芦原歩夢さんのブログで関西の球団(南海・阪急・近鉄、ファミスタのレイルウェイズだなぁ)の最後が語られてました。
福岡も一度ライオンズに逃げられた苦い思い出があります。
ボクのじいちゃんは西鉄ライオンズの施設応援団長だったらしいです。
家業のラーメン屋の仕事そっちのけで平和台球場まで行っていたらしいです。
そのせいか、僕の父は野球があんまり好きではありません。特にプロ野球。
ボクはじいちゃんの血を受け継いだのか?野球キチガイです。
小3の時にライオンズが所沢へ、幸いライオンズが年に何回か平和台で公式戦をやってくれていたので、プロ野球を見る機会にはめぐまれていました。父は好きではないのに、よく連れて行ってくれました。
だから、ボクの青春は西武ライオンズの弱小時代から黄金時代までの10年間くらいです。
大学1年の時にホークスがやってきて、最初は好きになれませんでしたが、今ではただのホークス好きです。
ホークスがやってきて、平和台球場の待遇が良くなったのが印象的でした。人工芝が張り替わったり、ベンチのシートが良くなったり、ビジョンができたり。そこで高校・大学と野球ができたことがいい思い出です。
じいちゃんが生きていたらホークスの応援しているのかなぁ?
そういえば、はじめて甲子園で野球を見たのはじいちゃんに連れられてだったなぁ
昨日は雨。練習休み。