アニメ『進撃の巨人』のシーズン1を観返しての感想です。

進撃ファンなら繰り返し聞いたアルミンのセリフ


『 何も捨てることができない人には何も変えることはできないだろう。
 化け物をしのぐためには人間性さえ捨てる。』

アニメシーズン1のラストのアルミンとジャンの会話で、ジャンはアルミンに問いかけました。


『人間性さえ捨てて化け物を倒したとして、それは勝利なのか?』

このシーン、すごく好きなんですが、アニメオリジナルでした。
諌山先生の監修ありなのかしら?
原作のラストまで読んだ上で、これは諌山先生によって追加されたセリフなんじゃないかと思ってます。
自身の破壊欲求を優先して、人間性を捨てたエレン。
虐殺はダメだという理想論のために、死なせたくない大事な仲間であるエレンを殺すことを選択した104期生たち。

以前、ウォーキングデッドの感想でも書きましたが、生きるために何でもありなんだったら、そんな世界に生きている価値はあるんでしょうか?

 

 

フロックは、エルヴィンとエレンを「悪魔」だと言いますが、二人は全く違うと思います。
 

エルヴィンは世界の真実を知りたいという自身の欲求を抑えて、自分と新兵たちを犠牲にすることで、残された多くの壁内人類に真実を伝えることができるかもしれないという可能性にかけた。
 

エレンがやったことは、獣の投石にさらされた状態で、仲間を見捨ててひとり、地下室を目指すのと同等の行為に感じられます。
自分の欲求が最優先。

その結果として、お前らは助かるんだから文句はないだろという態度。

そのくせ、俺がこんなつらい決断をしたのは、お前ら仲間を守るためだったと発言する!

私がエレンを受け入れられない理由は、地鳴らしは仲間を守るためだったと繰り返し発言(回想)するところです。
 

仲間に幸せに長生きしてもらいたいから、地鳴らしを選んだと回想しますが、エレンが大事な仲間だとイメージした人たちは、地鳴らしなんか望んでいません(フロックを除く)
「人類の夜明け」のあの回想シーンにフロックがいたのは、エレンによる記憶改ざんじゃないのか?


フロックや一般のパラディ島住民を大事な仲間だと思っているとは信じられない。

実際、パラディ―島の一般人は、壁の崩壊で大勢亡くなっているし。
本当に大事な仲間たちは、エレンを止めるために、つらい判断をして多くのかつての仲間を手にかけた、かけざるを得なかった。
そんな彼らが、生き残ったとして、のほほんと幸せに暮らせるとは思えません。

 

マリア崩壊前、ただ生きてればいいという壁内人類の生き方を「家畜」だと蔑んでいたのがエレンでしょ?

生粋の調査兵団は、壁の中に閉じこもっているだけでは、人類に未来はないと考えて戦うことを選んだ人たち。

でも、エレン以外は、壁内の一般人を「家畜」だなんて思ってなかったはず。

自分たちは壁外の世界を知りたいし、外の世界を取り戻すべきだと思う。

だからと言って、壁外に出るのを馬鹿らしいと思っている人たちを否定していたとは思えない。

邪魔されたら戦ったと思うけど、税金泥棒とののしられても、甘んじて受け入れていた。

だって、結果を出せていないから…


エレンって毒親みたいだなと思います。

「あなたのために、私はつらいことも我慢してるのよ」と言って、子供に自分の理想を押し付けるタイプ。

トロッコシーンのアルミン、ミカサ、ジャン、コニー、サシャを大事に思っていたこと自体は嘘ではないと思います。

でも、エレンが何よりも優先したのは、自分の破壊欲求。

仲間のために、自分にとって優先順位の高い大事なものは何も捨てることができなかったように思います。

 

幕末の頃だと思いますが、当時の日本に「自由」という概念がなかったため「Freedom」は最初「わがまま」と翻訳されたと聞いたことがあります。

確かに「自由」と「わがまま」は被るところがありますが、自由な人は他人の自由を妨げることを良しとしないでしょう。

エレンは「俺は自由だ」と繰り返し発言しますが、これを「俺はわがままだ」に置き換えると、私にはとてもしっくりきます。