hiroponの読書感想文

hiroponの読書感想文

自分用:読書感想文

Amebaでブログを始めよう!
高次脳機能障害(見えない障害)に苦しむ筆者

家族が障害を理解しようとしてくれたが、筆者にも説明が難しい障害を理解するのは難しく
いつも生活を共にするが故の度重なる自体の無理解、無共感に苦しんだ。

筆者は「なんとか理解して欲しい」という衝動があったが自分でさえ説明し難い。

医師も理解するのは難しかったようだ。

何より、見た目は健常者なので
「障害ないんじゃないか?」
「サボりたいの?」
「白い杖をついているのに、なんでスマホをいじるのか」
という固定観念に縛られた視線が、ますます筆者を追い詰めた。

そんな筆者を救ったのが、不登校だった同級生。

打たれ弱いかもしれないが繊細で人のネガティブな面を分かる人間。

かと言って、それに特に同調することもなくただ見守る人。

見えない障害の実情を詳しく知ることができた。健常者に見えるからこそ、筆者と同じような障害を持つ方は理解されずに苦しいと思う。健常者にとって、障害の感覚を知る手段はこのように本を読み疑似体験をすることだと思う。無理解は人を傷つける。
また、理解をしたからと言って人それぞれ違うのでお節介になるのはまた違うはずだ。筆者の親友の気持ちは分かる。私もそのタイプだからだ。また私の親友も似ている。世間から見たら弱者だろうが、その苦しみをそっと見守ってくれる存在は非常にありがたい。




講演会より

「障害を乗り越えて頑張っている小林さん」という見方

「小林さんができるんだから、お前も頑張れば、できるはず!」という親御さん

ステレオタイプな障害者像への抵抗感

様々な背景がある中、本人の実情を知らぬまま他人と比べられることほど辛く悲しいものはない。

「障害があるのに、それを乗り越えて頑張っている姿に感動しました」

「小林さんは、自分の生涯を受け入れていて、すごいです」

それに対して筆者は「おれは、それができないから、苦しんでいるんだけどな…」

十人十色。障害なんてそれぞれは症状・感覚が違うので、その問題に神経質になっている障害者に対して、安易な言葉は宜しくない。本質を知る努力をするべきだ。無理解でありきたりな言葉は当事者を苦しめる。障害者の方と比べるのは違うかもしれないが、育児でノイローゼ気味の母親たちも同じような感想を持っている。
傍から見たら、小林さんは成功をおさめているように感じる。同じ感想だ。しかし、ご本人にとっては日々の苦しみを工夫しながら改善した結果であって、何かを成し遂げた感覚がないのかもしれない。大抵の人は努力をしない。何となく仕事をして空いた時間に好きなことをする。そんな人から見たら小林さんの結果は努力の賜物に見えるのだ。その努力が進行形でゴールが見えていないから小林さんも苦しんでいるのだろうか。




合理的配慮の時代がやってくる

アメリカには「合理的配慮」という考え方がある。

障害者が何らかのこんなに対しての配慮を得ることは、周囲の善意ではなく、障害者にとって人として当然の権利である

その配慮を要請するのは障害者自身。

つまり、障害者には、自分の障害とそれによって生じる困難と希望の配慮を説明するという自立した態度が求められる。

これは必ずしも障害者を主体に考えられたものではない。

配慮を提供する側にとっても、過度な負担とならないよう、合理的にお互いの妥協点を調整する。

双方が様々な困難や事情を抱えているなか、ひとりひとりと向き合うためには、互いが各ケースで求められる本質とは何なのかを、丁寧に議論する余裕が必要。

2016年「障害者差別解消法(合理的配慮 が記述」が施行。

障害者のために設備・状況改善が進むと「逆差別」が日本では叫ばれる。障害を踏まえた上での「機会の平等」を全国民に提供するのが正しい道だと思う。確かに施設設備などはそれなりに費用がかかるが、それは障害者の権利なのだ。またそのような環境にすることで、障害者も自立した生活を送ることができる。自立するということは、周りの人にかかる負担も減るはずだ。
パブロフ報道の典型

各メディアと個人にも言える。自分に都合のいい情報だけ拾う。個人ならまだしもメディアがこのような姿勢では信用問題に関わる。裏づけの無い証言を記事にしていたとは。この本を通し、朝日新聞には同調圧力が潜んでいることが分かった。


尾崎秀美

尾崎・朝日新聞―(トラウトマン工作)―大陸での戦線拡大―アジア内での共産主義国誕生にむけての活動

ゾルゲと組んだいちスパイという認識だったがそれだけではなかった。中国共産党が生き残るために中華民国の国民革命軍と日本が衝突するよう扇いだ。戦争で犠牲が出ようとも世界の共産主義化に導こうとした


大義

引用
かつて、対支二十一カ条要求貫徹という「大義」が、やがて米英撃滅という「大義」が、次いで東京裁判という「大義」が、そして、ひところはソ連という「大義」が、次は中華人民共和国という「大義」が、そのうち、プロレタリア文化大革命という「大義」が、同時に北朝鮮、そしてポルポト革命という「大義」も現れ、朝日新聞紙面は雷同し、酩酊した。しかし、こういう「大義」好きはもう新聞ではないと私は考える。「大義」の機関紙を私は新聞と呼ばない。なぜなら、「大義」の正体を暴くのが新聞と思っているからだ。

戦争を見るとき、思想などが原因で偏った見方をすることが多い。現在のシリア内戦に関しても言えることだ。あるメディアが偏った報道をすると大衆は扇動される。そしてそれが世界を動かす力になる。しかし、その報道内容だけの世界が真実とは限らない。「なぜ攻撃したのか」「なぜそのような事件が起こったのか」双方の立場を踏まえて事実を炙り出して欲しい。それがなくてはただ世界を引っ掻き回しているだけだ。日本のメディアはどこが一番まともだろうか。
引用
北朝鮮の視点に立った検討も必要だ。原則論を貫き、経済制裁路線にこだわっていたならば、身動きがとれなくなる。甘いといわれても、対話・交渉路線の追及は必要である。いかなる民族が相手であろうと、対話と交渉なくして和解はない。北朝鮮の行動に対する「見返り」は当然必要であろう。日朝間に横たわる「過去の清算」の問題を考慮せずして、真の拉致問題の解決はないはずだ。

自国民を守る点でいうと、真っ先に思いつくのはイスラエルだ。捕虜交換で自国民1人対1000人(終身刑含む)でも応じる。また処刑された自国民の遺体を引き取る際も破格の条件を提示すると言われる。かの地を追われ迫害されたユダヤ人にとって自国民の保護が国是とも言えるからだ。通常ではあまりにも強硬な姿勢を貫くイスラエルだが自国民を守るためには常識をはるかに超える提示をする。拉致された方々は被害者ではあるが外交カードとして利用されるならば、このような思い切った策を講じる必要があるのではないか。


家族会

拉致被害者の家族により結成

石岡亨さんと田口八重子さんのご家族は不参加

世話人
・産経新聞記者の阿部雅美氏
・朝日放送プロデューサーの石高健次氏
・兵本達吉氏(共産党参議院議員橋本敦氏の秘書)


救う会

北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

「北朝鮮には厳しく対処するべき」という考え

運動のプロ(右翼含む)で構成されているので家族会の運営に深く関与

よって思想も大きく影響を与えた。

被害者のご家族が冷静になれないのは至極当然だ。恨む北朝鮮に対して感情的な対処を求めるのも理解できる。と同時に、これまで全く動いてくれなかった政治家と政府に対しても苛立ちはある。家族会の方々は外交に関して素人だ。各々アプローチの仕方は違うので内紛が起こる。本来は外交のプロである外務省とパイプを作るべき政治家がきちんと仕事をするべきだった。それが悲劇の原因でもある。


政治家と外務省

特徴
   
   政治利用する。

   利益がないと仕事しない。

   一部、真摯に考えてくれる人がいるが政治力学に押される。

   小泉氏だけ行動した。

拉致問題の「解決」の定義を明確化せよ。

例:政府認定拉致被害者17名全員の帰国 や 特定失踪者約900名を含むのか。

明確にしないのは、政府はこの問題を解決させず右傾化した民衆を煽る材料にしたいからではないか。


明確な「解決」がなければ、北朝鮮も自由にゴールを決められるので交渉はダラダラと長引く。蓮池氏が懸念するのは最もだ。政治家・外務省の動機がどうであれ、実際に行動することを望む。彼らを動かせる人物はいないのか。
斎藤博

日米関係の悪化を防ぐラジオ放送を行なった。


杉村陽太郎

ムッソリーニと渡り合い、幻の五輪招致に奔走した。


来栖三郎

駐ドイツ大使でありながら、日独伊三国同盟に反対し続けた。


杉原千畝

命のビザだけでなく、日本の救い得る重要情報を命がけで入手した。


歴史の基礎知識がない私にはまとめきれなかった。内容の全てが新鮮で大切だった。
それぞれ第二次世界大戦の開戦を防ぐために尽力。また人間性に優れているように感じた。貴重な情報を送ったのになぜ日本は戦争へと進んだのか。恐らくトップ(外務省)の人たちの間では結論は決まっていた。それを補強する情報のみ欲していたのではないか。このような姿勢は現代の一般人にも当てはまる。右翼だ、左翼だ、自分の政治思想は曲げず都合の良い情報だけ拾い補強する。事実を見る必要がある。


参考:一ノ瀬俊也(埼玉大学准教授)http://www.bookbang.jp/review/article/505704 より引用。

「本書は、昭和戦前期に欧米各国の外交舞台で活躍し、「日本外交を健全な方向に導こうと努力し続けた真のプロフェッショナル」である四人の外交官の生き様を描く。
 第一章の斎藤博は、駐米大使として、日中戦争勃発により極度に悪化した日米関係の立て直しに尽力した。エリート中のエリートである彼は、本書のタイトルにある「諜報」活動とは縁遠いように思うが、外交官として持っているべき「情報収集能力」「危機管理能力」「広報活動のセンス」のうち、広報活動の面で才能を発揮したということだろう。
 第二章の杉村陽太郎は、駐伊大使として一九四〇年・第一二回オリンピックの東京招致実現などに奔走した。しかし在任中に伊国が親日国エチオピアを侵略したことから両国、さらに判官贔屓により親エ的だった日本国内の世論との板挟みとなり、苦悩する。
 第三章の来栖三郎は、駐独大使として日独伊三国同盟に署名したことで知られるが、本人はドイツについて批判的な情報を本国へ送るなど、提携強化に反対であった。この章では、損な役割を与えられ、戦後の評価も高いとは言えない来栖の再評価が試みられる。
 第四章の杉原千畝は、著者がすでにいくつかの著書で扱ってきた人物であり、本書の白眉ともいえよう。杉原といえば、リトアニア・カウナスの領事館で亡命を求める多くのユダヤ人にビザを発行し、その命を救ったヒューマニズムあふれる人物として著名だが、本章で描かれるのは、対ソ情報収集のプロ――インテリジェンス・オフィサーという別の顔である。
 一九四一年、杉原がポーランド人将校とともに独ソ国境へ実地探査に赴き、そこで独軍が大量の兵力を集結させており、したがって独ソ開戦は近いという情報を入手したくだりは、まさに諜報の「鬼才」たる杉原の面目躍如といえる。
 以上の四人は、いずれも国のため、戦争の惨禍を回避するために力を尽くした。その激務と心労により斎藤は米国で客死、杉村も現地で癌を患い、帰国後亡くなってしまう。悲劇的なのは、結局彼らの努力が報われなかったことで、一九三九年に日米友好を唱えて斎藤の遺骨を日本へ運んだ米巡洋艦アストリアは、太平洋戦争で日本軍により撃沈される。また、来栖の息子・良は陸軍の航空技術士官として日米航空戦に参戦するが、戦争末期に飛行機事故死してしまう。歴史という大渦の中での、個人の無力さを痛感させられる。
 ところで、著者・白石氏の主たる問題関心は、なぜ日本を破局へと導いた対米英戦争は止められなかったのか、という点にあるという。杉原たちが命がけで本国へ送った情報が政策決定に生かされれば、あるいは歴史は違うものになっていたかもしれない。なぜそうならなかったのかという疑問は、たぶん多くの人が共有していることだろう。
 著者は、杉原たちの情報が生かされなかった理由を、「戦前期における日本の政治体制が抱えていた構造的欠陥」にあると指摘する。この「構造的欠陥」の解明は、日本近代史研究上の、きわめて重要かつ今日的な課題である。
 なぜ、そのような「欠陥」が生じたのか、という問いについての評者個人の考えを述べれば、本国の外務省トップが、自分の聞きたい情報しか聞こうとしなかったこと、およびそれをチェックする制度を欠いていたことであろう。彼らは、米英と協調するのではなく、独国やソ連と結ぶことで米英を威圧し、泥沼化した日中戦争の解決――もちろん日本に有利なかたちで――をはかっていた。万が一、その独国とソ連が戦争を始めれば、それらの構想が根本から吹き飛んでしまう。だから、自分たちに不利な情報は無視したのではなかったか。
 なぜ昭和戦前期の外交政策では、そのようなことがまかり通ったのだろう。私もこの重要な問いを改めて考えたいと強く思った。その意味で、非常に刺激的な一冊である。」
攻撃欲の強い人

破壊願望のある人
   
   自分自身の願望や利益しか考えない人
  
   自分に利益がないのに悪意を持って破壊しようとする人

例:後輩を可愛がり、上司に対する正直な気持ちを打ち明けたら、上司にチクり冷遇された。


では、どうやって見極めることができるのか。

→相手をけなして無価値化する。(何であれ、とにかくけちをつける)

例:大きな契約が取れ上司に報告。しかし、ねぎらいもなく、けなす。

→自分に能力、知識、経験などがあることを誇示し優位性を示す。

 非を認めず責任転嫁する。同僚などに個別にアプローチし人間関係について工作する。

例:「そういうことは、あなたが実績を出してから言うべき」いつも上から目線。

  「A(新人)はひよっこで何も分かっていない」「B(ベテラン)は10年いても出世できない」

→全てを支配したい。

例:保護者に腹を立てている教師が、その生徒をクラス全体の前で叱責。

→夫婦間で

例:高収入の妻に対して「そんな仕事をしても意味がない」という夫。

見極めるポイントなんてどこにでもよくあるように思える。この人そういうタイプだなと決め付けてしまうほうが危険に思う。それこそ私は妻に対しダブルバインドな言葉をかけてしまう自覚がある。これを見て反省。ただ誰にでもある要素だと思う。そういう部分が見えてしまうとこの人性格が悪いと感じるだけで。身近にそういう人がいるときは、どういう時にそのネガティブな要素を出してくるのかパターンを見極めたら自分の身に起きたとしても客観的に見ることができるのではないだろうか。


彼らが使う7つの武器

1.分からないふり

  咎めてもなぜ自分が責められるのか分からないふりをする。

2.他人のせいにする
  
  弱い人に押し付ける

3.非難に動じない

4.疲弊させる

  自己愛に強い人なので他人を認めない。責めても効果なし。

5.他人の価値を無視

  こちらが正しい主張をしても、敵対的になりこちらに執着してくる。

6.ズレ
  
  言葉と真意のズレ

7.罪悪感をかき立てる

先ほどのダブルバインドにも繋がる話だが、私もよく罪悪感を持たせるような言動をしてしまうことがある。厭味のようなもの。これくらい普通だと思っていたが普通ではないのだろうか。気をつけよう。


解決法

こういう人とはなるべく関わらないようにする。

ストレスが生じやすいのは対人関係だ。特に攻撃的になられるとストレスに感じる。経験上、こちらが攻撃的になると相手も反撃してくるし、反撃してこなくても向こうがどういう反撃を試みてくるのか気になって仕方ない。つまり、自分から一切手を出さなければいい。嫌な思いをしても一時的なものなら我慢。日常的に続くなら下手に出る。それでも効果がなければ彼らのような人は権威や権力に苦手だろうから上から意見してもらう。ちなみに人に優しくすると心が軽くなると科学的に証明されたらしい。