■美の学への疑惑
美を学問として確立することに対しては、
これまで疑惑を向けられることがあったし、
実際、
美を生み出す芸術家にとっても美学を
むず痒く感じることが少なくないだろう。
しかし、
その疑念が具体的にどういったものであるか、
論じることは難しい。
それとなく、
「芸術は学問で語れない」と論じることが
精一杯なところが多い。
実際の曖昧なその正体をここでは確認していく。
1.美学への疑惑の正体
■美意識と美学的認識の対立
美的体験を司る美意識はそもそも、
直接感情に訴えかけるもので、
反省や推理・概念的理解に媒介されない。
一方で美学的認識は、
同じく美を対象とするも論理的に意味づけられる
「真」を思惟によって追求する。
美意識は個々の対象をありのままの存在として捉え、
その感覚的現象に即して直接認識することに終始するが、
美学的認識は、個々の認識に端を発しながらも、
それらに通じる普遍的法則を抽出することを目的としている。
このような美的意味領域と理論的意味領域の対立を踏まえれば、
美はその反理論的性格のために学の手から遠ざかり、
学的取り扱いを拒むもののように見える。
もし美的現象の理論的考察をあえてすれば、
本来柔軟な美的価値や創造行為さえも
概念構成の硬直した枠組みにはめこみ、
美の固有の生命相を殺すことになるのではないか。
上記の理由により、
ことに芸術家は、美学が美の聖域を侵害し、
不当にも想像力の自由な奔騰を制約すると考え、
それを白眼視する傾向が強いところがあるのである。
*参考・引用
「美学総論」(弘文堂) 竹内敏雄
