34本目(6月19日鑑賞)


人間の善と悪。

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ノア 約束の舟


監督・脚本:ダーレン・アロノフスキー

脚本:アリ・ハンデル

撮影:マシュー・リバティーク

衣裳:マイケル・ウィルキンソン

出演:ラッセル・クロウ/ジェニファー・コネリー/エマ・ワトソン/ローガン・ラーマン/ダグラス・ブース/レオ・キャロル/レイ・ウィンストン/アンソニー・ホプキンス


世界が洪水にのみこまれる夢を繰り返し見るノア(ラッセル・クロウ)。アダムとイブの犯した罪に神の罰が与えられると考えたノアは、妻のナーマ(ジェニファー・コネリー)とセム(ダグラス・ブース)、ハム(ローガン・ラーマン)、ヤフェト(レオ・キャロル)の息子たち、孤児だったイラ(エマ・ワトソン)と共に巨大な舟を建造し、地上の全ての動物のつがいを乗せる。

舟の存在を知った有力者トバル・カイン(レイ・ウィンストン)は、その軍事力を背景に舟の強奪を目論む。人間の業の深さに嫌気が差したノアは、神が人間の絶滅を望んでいると解釈し、人間の種を残すべきつがいを乗せないことを決意する。


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神の言葉を聞いたノア。


「創世記」。クリスチャンでないhiroでも、そのアウトラインは知っている。そのhiroも、洪水が来て、舟に乗って、助かって、めでたしめでたし、かと思ってた。本作、深い。元を知らないので、どこから改編なのか不明。よって以下は本作で描かれた内容についてのみ。


各サイトの採点が低い。「ブラックスワン」の監督で大作…なのに低い。この種の聖書なり教義なりに触れる作品、権威団体の思惑が絡むことが、「まれ」以上にあったりする。本作の評価、そういったものに絡んでたりしないか、とは邪推だろうか…あくまでも個人的な疑問として。


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イラはセムと恋に落ちる。


本作、大作。であるが、怒涛のアクションや迫力のCGとは、違う場所にある。テーマがテーマなので、宗教劇に寄っている。人間の悪行と善行。それを繰り返し煩悶する登場人物たち。なぜ神が怒ったのか、なぜ自分が選ばれたのか。この行いは正しいのか。その答えを探しながら、舟は形作られていく。


強奪者として登場するトバル・カイン。アダムとイブの子でアベルを手にかけた人類初の殺戮者カインの末裔。ノアの父を殺したトバルは、力・戦い、ひいては悪行の象徴として描かれる。

「愛」さえも欲が勝ると「淫」になる。愛に身悶えする次男ハム。その「愛」を「淫」とするノア。自分を「善」と信じてきたノアの行動が、ハムの中に「悪」を芽生えさせる。

善悪を問い続ける物語にあって、主人公もまた「善」と「悪」の間をさまよう、不完全な人間。


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トバルは殺戮者カインの末裔。


さすがにアロノフスキー監督。一筋縄でいかない。「創世記」の方舟の物語を、自分なりの解釈で映像化。批判されるポイントもまた、そこにあるであろうことは想像できるし、それは仕方のないことでもあるのだろう。

主演はラッセル・クロウ。「レ・ミゼラブル 」に続く歴史的大作に挑む。その存在感、体重同様、増していく。いまだに増量感。

特筆すべきはハーマイオニー改めエマ・ワトソン(アラタメテナイ)。これは主役と言っていい。ホグワーツ入学当時からの旧知。もはや母を演じるまでに成長。

もう一人、パーシー・ジャクソン改めローガン・ラーマン(オイオイ)。坊主頭が凛々しい。彼の脆弱さがいい。人間そんなに強くない。

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子供たちは父の行動に疑問を抱く。


人間の悪業を見すぎたノア。人間の善を信じられなくなったノア。しかし、ノアが選ばれたのは、人間の善を信じることができるから。監督は本作でそう結ぶ。
人間は誰もが悪を持っている。そして善も持っている。悪が勝る人間は、善へと導かなければならない…説法としては、そんなオチか。そうは言っても、それがまた難しい。

たまたまこの日、本作を鑑賞した日、仕事において「なんだこの人は」と、目上の人に対し、少々むかついた。そんな状態で本作鑑賞。この符合、なんだろ。「許しを与えなさい」とでも言われているような…(笑)。

VFXは今やとてつもない進歩。凄いのは当たり前。本作、人間の中の善と悪、自分の中の善と悪、そうしたものに悩み悶える者たちの魂の演技に、確かな見ごたえ。ベテラン・クロウと若い二人の対決は、これもまた見せ場。この二人「ウォール・フラワー」の二人。未見。観たくなった。

役者の演技が堪能できる本作(英語はわからんけど)。世間の評価は今ひとつ。どうしよう、hiro、思った以上に高評価。どうしようもなにもない。よかったのだから、それでよい。


hiroでした。

宗教的な知識は皆無。

不勉強はご容赦を。



脚本8 映像8 音響8 配役8 他(VFX)7

39/50