劇場公開で観た


ノルウェイの森


先日妻が借りたブルーレイが家にあったので観た。


劇場公開時、仕事もプライベートも、ワタナベの場合と同じで「かなり立て込んでいて」、そんな状態で観るのがかなりきつかった。

有名すぎる原作のストーリーもさることながら、音楽だ。登場人物の心理状態に合わせて、きれいな弦楽器の旋律が一瞬にして不安をそそる不協和音に変わる。きれいすぎる映像とのギャップもまた、不安定さを掻き立てる。なんともいやらしい映画だ。もう二度と観ることはない。そう思った。


何の因果か、我が家に問題作のブルーレイがやってきた。妻は当時観ていない。なら、妻だけ見ればいいものだが、なぜか魅かれた。ディスクを手にトレイに乗せ、覚悟を決めて、観た。


高校時代の回想から始まり、直子との再会。ミドリとの出会い。レイコとの出会い。その背景に携わる直子が抱える問題。夏の街灯に群がる蛾のように、直子の存在に引き寄せられるワタナベ。そんなワタナベを見守り、頼り、「信頼」するミドリ。一度観たストーリーが、一度聞いた音楽をBGMに、テレビ画面に展開される。


映画を観ることが、これほど人の心理に左右されるものだということに初めて気づいた。そうなのだ。大丈夫、だったのだ。筋書きも、映像も、あの嫌な音楽も、承知していたからかもしれないが。


映像が美しい。今回改めて思ったことだ。やはり登場人物の心理状態なのか、シーンによって色を使い分けている。緑の美しいシーンはこれからの進展を予感させる。青いシーンは内面に秘めた複雑な状況を。そして秀逸は、本当の自分を追及する白いシーンだ。直子・ミドリという二人の女性それぞれの白のシーンが強烈だ。


観たい映画を観て、読みたい本を読んで、聴きたい音楽を聴く!-naoko
直子とワタナベの白。


観たい映画を観て、読みたい本を読んで、聴きたい音楽を聴く!-midori
ミドリとワタナベの白。


ともにこの作品を象徴する名シーンとなっている。公開当時抱いた感情とは裏腹に、この作品が「好きな作品」のひとつになった。


公開当時も思ったが、ミドリを演じた水原希子の演技が鮮烈。主演の松山ケンイチの演技はこれまでの履歴で証明済み。菊池凛子もまたハリウッド映画に起用されるなど折り紙つきというわけだ。ところがこの水原希子、これが初めての映画。初めての演技であるとは信じ難い名演技である。繊細で、凶暴で、従順で。


蛇足であるが、この作品、パンフレットも気に入っている。
観たい映画を観て、読みたい本を読んで、聴きたい音楽を聴く!-ノルウェイの森
LPレコード風、なのである。

そのうち、紹介する機会があるかもしれない「フィッシュ・ストーリー」では、EPレコードを模していた。音楽が作品の重要なファクターであることの証明であり、主張。作り手の凶暴な意図が、肺にドンっとくる。


hiroでした。