自分が歳を取れば取るほど、人の誕生日も年齢もあまり気にならなくなる。

礼儀の問題もあるので、年上か年下かくらいはある程度覚えているが、

私が敬語で話さなくなるのは、歳関係なく仲がどれだけいいかに起因しているので、

あまり関係ないと言えば関係ないかもしれない。

 

先日、ゴルフ仲間と話していると日本で22歳の女性と付き合っていると彼は言った。

彼の実際の年齢は知らないが、少なくとも60歳は優に超えている。

旅行代理店を経営して、それを売却しているのでお金には困っていないのだろう。

そして当たり前だが奥さんも子供もいる。

私はモラリストではないので、不倫だ!不潔だ!奥さんが可哀想だ!などとは全然思わない。

飲みに行って盛り上がって一晩過ごすというのであれば、22歳の女性でも大丈夫だが、

話を聞くと一緒に旅行に行ったり、ゴルフを教えたりしているらしい。

驚異的だな感じるのは、22歳の女性と長い間一緒にいれることだ。

それにゴルフを教えたりできることだ。

「やっぱりさ、若い子は生命力があるよ」と彼はわかるようでよくわからないことを言っていた。

 

日本でキャバクラに行ったり、フィリピンでフィリピンパブに行ったりすると若い女性が多い。

もちろん若い女性が嫌いではなく、ある種の魅力があるのは認めるが、30分以上話していると苦痛に感じる。

生物としてのレベルが違い過ぎて、気を使い疲れるのだ。

私は、わざわざお金を使って気疲れすることをみんなよく定期的にするなと畏敬の念を持っている。

だから、そのゴルフ仲間にも22歳の女性といったい何の会話をするんだ?と不思議な気持ちになる。

私は年齢を気にしないと言っているが、実は人一倍気にしているのかもしれないなと思った。