私は、酔っ払うと何か良いことを言ってしまうらしい。

良い事なのか悪い事なのかわからないが、それを言った事を忘れてしまっている。

 

ペルーのマチュピチュの麓の街の温泉で、

一緒にマチュピチュを登ったフランス人の1人が受付で言い合いをしており、

終わった後に彼にスペイン語で何を言ってたんだ?と私は聞いた。

「昨日飲んでいる時に君に教わった話だよ。水が枯れ、森が枯れ、動物がいなくなった世界で、お前らはお金を食べて生きていくのか!って、あの守銭奴に言ってやったんだよ」と彼は言った。

そんな話をした記憶はまったくなかった。

 

フィリピンから帰任した友人の1人が送別会の時に言った。

「僕が赴任したての頃、Hiroさんに偶然日本料理屋で再開して、その時にゴルフを勧められたのだけど、

 おじさんのスポーツでやる気がなかったのですが、ゴルフはいかに少ない回数でボールを穴に入れるかという単純な目的がゴールを戦略を駆使して競うスポーツで、野球やサッカーというよりはサバイバルゲームや戦争に近いと思う。ただ、そういう物騒な話ではなく、本質的には自然環境との戦いの中でやる大人のピクニックなんだって教わって、やってみたらまさにその通りで楽しいフィリピン生活を送ることができました」と彼は言った。

まったく記憶になかった。

 

昨日の話だが、久しぶりに転籍前の会社の女性の後輩から連絡が来た。

彼女は、私より前にその会社を辞めて、フィリピンに語学留学に来て、その後、今の私の所属するフィリピンの会社で働きたいと申し出があった。

もう8年以上前の話だ。

その時にマニラまで来てもらい、食事をした。

その翌日に彼女からフィリピンの会社からオファーの辞退の旨が本社に送られた。

当時の社長からなんで彼女をちゃんと引き留めて雇用しなかったんだと怒られた。

私のせいなのだろうか?

何年か後の日本出張時に彼女と再開して食事をすることになった。

「私はHiroさんにあの夜いただいた言葉を絶えず心に留めて日々頑張っています」と彼女は言った。

「あの夜?あの夜ってマニラで食事した時ですか?僕何を言いました?」と私は驚いて聞き返した。

 

会って食事をした時に、彼女はフィリピンの会社で働きたいと言った。

だが、その際私が言ったのは、会社の人間としての意見と個人としての意見があり、どちらを聞きたいかと質問したらしい。

ただ、選んだら選んでない方の意見は言わないとも言ったらしい。

彼女は迷わず個人としての意見を聞きたいと言った。らしい。

我々の業界は、斜陽産業とまでは言わないが、少なくとも拡大する業界ではない。

これからは小さなパイの取り合いがますます激しくなる。

あなたはまだ若く、可能性しかないのだから、もと大きなフィールドか、もっと楽しいこと道を歩いてほしいと私が言ったらしい。

大きなフィールドってなんですか?楽しい事ってなんですか?と彼女が聞くと私はライ麦畑で捕まえての話をしたらしい。

世界は不公平で残酷で、草原の中を歩いて、崖から落ちそうな人たちを助けられる仕事がたくさんある。

僕が本当にやりたいことはそういうことなんだ。と言ったらしい。

彼女は偉く感動し、その後日本に戻り、保育士の学校に行き、保育士になったようだ。

 

「それ、本当に僕が言いました?」と再開した際に彼女に聞いた。

「やっぱりHiroさん覚えてなかったんですね。でも、そういうところが素敵でもありますが」と彼女は言った。

 

その彼女から久しぶりに連絡が来たので、

来年の2月に仕事を辞めることにしたと伝え、今彼女が何をしているか聞いた。

「Hiroさんの今後を個人的に勝手に楽しみにしてます。

 また、どこかで会いたいです。

 なお、私は今も何をして生きていくか決められずにおりますが、

 前回、日本でHiroさんに会った時に言われた、道中、道草を楽しめを日々思い出して楽しんでます」とメールが来た。

道草を楽しめ?本当に私が言ったのだろうか?

歳なのだろうか?わからない。