感謝 | 元AV女優の宏岡みらいのブログ

感謝

父が亡くなり、お葬式も終わり東京に戻りました。



決まっていた東京の入院も叶わず、地元の病院に入院し、余計な延命治療をして苦しい時間を長引かせないように、何の治療もしない入院でした。



あたしが着いた初日だけは、父と話すことができたので、父の冗談を聞き、病院で楽しい時間を過ごすことができたことを神様に感謝します。



朝から夜まで、母と付き添いをしていましたが、病院から、父の危篤を聞いて一番初めに駆けつけたあたしも、父を看取ることはできませんでした。



亡くなる30分前に、医師が
「苦しくないですか?」
と父に聞いて…



「大丈夫」
と首を縦に振ってから30分後に危篤になったそうです。



いつも苦しそうだったのに、ただの一度も「苦しい、辛い」とは言わず、 「俺は幸せだ」と言っていた父。



今、「病から開放されて楽になったんだ」と頭では思っても、涙が止まりませんでした。



思春期には、酒乱の父が大嫌いで、家族も嫌いで、「嫌いな人の世話にはなれない」と16歳で筋を通し家出し、何年間も家に帰らなかったあたしですが、大人になってからは、父の気持ちや家族の気持ちが解り、父を大切に想ってきました。



父と和解し、仲良く過ごせたことは、あたしの人生や人間関係に大きな影響を与えました。

してもらった恩を忘れないこと、 人の立場で物を考えること、感謝すること、人を許すこと、を覚えました。



未成年の頃ずっと、父に愛されていないと思っていた未熟なあたしは、あたしこそが誰にも愛を持っていなかったので、父の愛に気が付くことが出来なかったのでした。



大人になって、父には感謝の気持ちでいっぱいで、父とラブラブに過ごせた日々は、かけがえのないキラキラしたものとして残りました。






盛大な葬儀に、父の偉大さや、人徳を改めて感じました。


お忙しい中、来て頂いた方々には本当に感謝しています。






しかし、あまりの父の盛大な葬儀の忙しさにパニックになったあたしは…






「この忙しいのに、お父さん、どこに行ったの?早くお父さんにこっちに来て手伝ってって言って来てよ~(`Δ´)」




と、喪主の弟に叫んだことは、代々語り継がれることでしょう(゜▽゜)