岩手県というと、南部藩。でも、あんまりエピソードが思いつきません。
やはり、岩手県の歴史上、奥州藤原氏が光っています。
藤原清衡、基衡、秀衡を藤原三代といってまさに奥州藤原氏全盛期でした。
そして、四代目泰衡の時に源頼朝によって滅ばされてしまいました。

奥州藤原氏の話はNHK大河ドラマ「炎立つ」で放映されました。

炎立つ

藤原氏の歴史上一番ドラマチックなのは、秀衡、泰衡の時でしょう。
最後まで源義経をかばった秀衡、秀衡の死後、義経を殺し、
頼朝にあっけなく滅ばされてしまった泰衡。

しかし、義経は本当に殺されてしまったのでしょうか?
義経の首は、義経本人とは確認できないほど焼け、また
死後、43日も経ってから鎌倉での首実検でした。
恐らく本人とは確認できなかったと思います。

義経には平泉を落ち延びて北に向かった「北行伝説」が残っています。
三陸から八戸、そして蝦夷へ、義経一行が歩んだ後にいろいろなものが残され、
語り継がれています。
それらは、ひとつのルートになっているからまた不思議です。
ミステリーですね。

北行伝説


金色堂は1950年に学術調査がされており、金色堂の中のミイラ化した
清衡、基衡、秀衡の亡骸が確認されています。四代目の泰衡はさらし首に
されたので首だけでした。
彼らの亡骸は今も中尊寺の金色堂の内に安置されています。

金色堂

この学術調査の様子は映画になって中尊寺で上映されていましたが
今も見れるかは不明です。

中尊寺調査


秀衡のミイラはまだ弾力があり、泰衡の首は、少し斜めに切り落とされた
ところがなまなましかったと記憶しています。

ミイラの写真を見つけたので掲載します。
藤原秀衡の写真のようです。

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