連日なんと過ごしやすい9月なのでしょう。
でも我々ホモサピが過ごしやすいということは蚊やGも過ごしやすいということで、最近彼らはとても活発。昨日は別々の場所で2度、人間に混じって雑踏を闊歩するGを踏みそうになったよ。
今日は洗濯機を3回ほどぶん回した。家事というのはひとつが終わると次のが始まるので数珠つなぎ、終わらんものだ。
昨夜BSPをつけたらたまたまやっていた「シリーズ深読み読書会」がすごく面白かった。たまたま観たのが横溝正史「犬神家の一族」回だったので、引き続き放映する「悪魔が来たりて笛を吹く」回も録画してあとで観た。
小説家、ノンフィクション作家、文筆家、シンガー、俳優など複数人ゲストが集まって読んだ本について掘り下げたりする番組。それぞれの興味知識、経験、職業、読書経験を持ち寄りながらひとつの作品についてあれこれ話すのってこんなに見てて楽しいものなんだ!と驚く。いわゆる「読書会」ってこれまで内心意味わかんないなーと思ってたけど(読書ってとっても極私的なものだと思ってたので共有する意味ある?って思ってた)、この番組を観て読書会の醍醐味みたいなものを初めて知った。
(ゲストはみんな話術に長けていて知識も豊富、カメラには映らないけどファシリテーターもちゃんといるようなのでこのようにうまく進行するのだろうなーとも思う)
横溝作品が好きな道尾秀介氏、ミステリ作品として語る綾辻行人氏、ついオペラに例えてしまう島田雅彦氏、天皇制や時代背景に絡めて深読みする高橋源一郎氏や関川夏央氏などなど、各人の意見や選ぶ言葉がそれぞれ「なるほどなーーー」って頷けて面白くて、作品のストーリーも並行して展開してゆくのでずっと目が離せなかった。(こういう言及の仕方は失礼かもしれないけど、鈴木杏さんの大きな瞳と絶妙なたたずまいが本当に美しくてボーッと見つめてしまった。発言も良かったし)
よく考えたら横溝作品って子供の頃からすごくなじみ深いのに、それはぜんぶ角川映画から来てる「なじみ」で、実は私は原作を一切読んでいないのであった…!この番組で深掘られていくのを観ていると映画よりはるかに面白そう(文章的にも横溝の生きた時代背景的にも)なので、「これはもう一刻も早く本屋に走るべきじゃないか!」と思った。犯人はもう知ってるから安心して読めるし(?)
あと何よりしみじみ思ったのは「教養だいじ!」ということ。色んな本を読める素養自体もだけど、それについて「面白かった〜」以外の感想や意見を言語化するときに、教養のあるなしが差になってくるなと。ゲストの皆さんにはそれがふんだんにあるからこそのトークの面白さなのだ。「悪魔が来たりて…」に太宰やチェーホフや源氏物語やギリシャ神話を見出せるという。
あと「悪魔が来たりて…」回での
高橋「玉虫といえば何?」
島田「玉虫厨子?」(即答)
高橋「そう!それはどこにある?」
島田「奈良」
高橋「そう、法隆寺ね」
このナチュラルやりとり、私は全く知らんことなので「すごー」って思った。
「犬神家」回では、
安藤裕子「家宝である三種の神器をなぜ金メッキなんかにしたんでしょうね?佐兵衛は資産家なんだから本物の金にすればいいのに」
関川「これは横溝が意図的にしたんでしょう。わざとですよ。三種の神器といえば天皇制。それを金メッキだと…」
というやりとりも「うおー」となった。そこにふと疑問を持つことも、それを読み解こうとすることも、アホではできないのである…。
横溝作品は「旧い因習にとらわれた家」が描かれることが多いけど、それはすなわち「家父長制」の象徴だとゲストたちは言う。犯人は「家」そのものだと。
「現代は家父長制が崩壊したけど…」という誰かの発言にすかさず、
島田「いや、(それが) 家庭と呼ばれなくなっただけ。学校と呼ばれたり、組織と呼ばれたりするようになっただけ」
高橋「空気とか忖度とかの特質は残っていて、明確な家というものがなくなった分、どこに敵がいるかよくわかんない中で、個人が追い込まれてる」
うんうん。
横溝は家そのものや天皇制や華族(まあこれらはぜんぶ「家父長制」そのものなんだけど)への批判の眼を作品内に忍び込ませているというのが皆の見立てだった。高橋源一郎の「エンターテインメント(作品)でも、時代や大きいものと闘えるってかっこいいと思う。僕らも横溝に負けないように頑張らなくちゃ」という発言はよかったな。
ちなみに仕事はまったくはかどっていない。やばい。