自分はその人より賢くなんかない | フーテンひぐらし

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永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。

いきなりの30℃。つい数日前までは「室内で靴下はかないでも寒くない日が早く来ないかな…」と思っていたのに、それをすっとばして「フローリングの床を歩くと足がペタペタする」季節になってしまった。はやい。心の準備ができてない。

いったん連日の運動を止めると、やらなくてもいいかあーという空気になって今週まったく運動していない。習慣化は難しいのに止めるのは簡単だ。というか早く広いスペースで思い切り動きたい。

世間では「#検察庁法改正案に抗議します」のタグをつけたツイートが土曜深夜に100万を超え、翌日には200万になり、ついには470万になったとニュースが報じていた。すごいことである。もちろん私もこのTwitterデモには参加した。

同時に「みんなちゃんと内容理解して反対してんの?(笑)」「雰囲気で盛り上がってんじゃないよ」という冷笑派から、有名人に対して「歌手だから知らないかもしれないけどw」「政治的発言にがっかりです、イメージが壊れます」とつっかかる人までたくさん出てきた。
確かにどういう法律で、何を変えようとして、何が問題だとされているかは自分で調べて理解しないといけない。だけど今回の470万のうねりは決して「なんか盛り上がってっから私もタグつけとこ♪」なんていうノリとは違うと思ってる。

問題は「コロナ禍で皆が大変で、政府には他にやってほしいことや制定してほしいことがたくさんあるのに、いま早急にやらなくてもいいことを議論なしにスピーディーにすすめようとしている」こと。そして「みんなが『それはおかしいんじゃないか』と訝しんで信用も納得もできていない内容を、理解を求めることなくどさくさに紛れて通そうとしている」ことだと思う。そのことに多くのみんながNOと言った。これまで政治に関しての発言をしなかった人、したくなかった人も、この空気なら勇気を出して言えるぞ…と思って声を上げた。それがとてもすごいことだと私は思う。コロナ禍を機に、少しずつ少しずつ、空気は変わってきている。

だから「よく知らないくせにw」なんて言われて縮こまる必要はないんだよ。政治に詳しい人だけが声を上げる資格がある、なんてことは絶対にない。

どんな人でも等しく「I think」を声に出していい。それがお互い相容れないとしても。卑怯なのは他人に「お前のそれはおかしいw 黙っとけ」みたいに言うことで自分の「I think」を形作った気になってる人だと思う。

政治の話でもそれ以外のことでも、年若だから、年を取りすぎてるから、女だから、専業主婦だから、外国人だから、◯◯な仕事してるから、世間を知らなそうだから、何かチャラそうだから。そういう「このひとは自分よりモノを知らないor深く考えていないに違いない」という思い込みは本当に失礼だし、たいてい間違ってる。そういう思い込みでなぜか勝手に一段二段うえに上がったつもりで「知らないなら教えてあげるよ」みたいに話を始めたらアカンのだ。この思い上がりと勘違いは誰しも日常でやりがちなので私も気をつけたい、ほんと。


先日、人とやりとりをしていたら、私の言葉の裏に心配や危惧が隠れていることに気づかれ、その人は1つ1つについて理由と背景と自分の考えを教えてくれた。自分が恥ずかしいしダセェ…と思った。結局、想像の範囲内で勝手にものごとを推測してただけだったから。
人にはこちらからは見えない膨大な世界としっかりした深度があり、安易に決めつけたりナメたり侮ったりしていては絶対にいけないのであるよ。
なので、その他に私が抱えている(というほど大したことじゃないけど)「あの人はこうなんじゃないか」「あの件はああなんじゃないか」というやつも、しょせん己ひとりの独善的な浅知恵、または勝手な悲観なのだろうな…と思ってゆるゆるとした気持ちに戻った。

自分にはよく理解できないし全貌が見えないけど、あの人がやっているなら(又はやっていないのなら)きっと何かそれなりの理由があるのだろう。
そう思って暮らせるくらいの大人になりたい。道は遠い。

風が気持ちいい。はやく何もかも収束して、大好きなみんなと外でウエーイとか言って乾杯したい。生ビールまいにち飲みたい。