はなしをきかせろ | フーテンひぐらし

フーテンひぐらし

永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。

ここんとこ毎度まいど、みなさんに興味のないはなしですみません。
「フーテンひぐらしは落語ブログになったのかよ」と思われるかな、ごめん
ガーン

それでなくても近頃はI thinkな記事を書いてないものね。

それには理由があって、ひとつには
恋愛時代の「これはどうなのかな」「こうなのかな」という
推理と迷いの時期が終わって、
結婚して完全に「このためにはこういう手段を講じるべし」の
実行の時期に変わったから、というのはあります。

不確かな未来を迷う、相手の言動を推測する、ということがなくなって、
それらすべては1人、もしくは2人でどうにかせねばならない課題だから、です。
すべてにカタチがついたという感じですね。
現実問題として必死という(笑)

これは男女まわりの話以外でもいえることで、
それはきっと、わたしがこの年齢になったからだと思っています。
やるべきことがはっきりみえているので
黙々とやるしかないという年齢(笑)


もうひとつは、自分のなかの溢れてくるものは、今はかなり
意図的に溜め込んで外に出さないようにしているというのがあります。

アウトプットはなにか制作物で出したい、というきもちかもしれない。


だからこの自分でも予想外の落語狂いのスピードも
ものすごく意味があるんだろうな、とひとごとみたいに思ってます。

落語的な何か、落語家的な何かが
ひどく私の中の何かと結びつくんです。
(決して落語家になりたいということではござんせん 笑)

泣いて笑って迷ってた時代に比べてとんと退屈な記事が
続きますが、ご容赦くださいませ。



そんな私が昨日深夜グッときた動画。

柳家三三はいま大人気の噺家さんで、
わたしはまだ観れていないので近々ぜひ観たいと思ってますが、

この中で、三三の師匠である柳家小三治のことばにしびれたのです。


小三治が袖からとあるお弟子さんの高座を動画に撮っていて、
それを楽屋でお弟子さん自身に黙って観せる。

お弟子さんは自分の高座を観ながら
…落ち着かないですね…」とポツリ。

小三治師匠は言う。

 「それが(自分で)分かりゃ、大したもんだ。

 思いは(身体の)中に入れて、表へ出さない。
 噺なんだから、所作はいらないんだよ。

 そこに何人の人が気づくかねえ。
 みんな面白くやろうとしてる。笑いをとろうとろうとしてる。
 そうするたびに、どんどん客が逃げていく」



あああー深けぇぇ…と深夜にひとり唸りました。

たとえば会社の仕事に関していうと、
我々は「買わせよう、買わせよう」としてるだけなんじゃねえか。
そのあまり「話を聞かせる」ことを忘れてやしないか。
「これはとてもいいモノです。なぜなのかというと…」をちゃんと語ってるか。

それ以外のことでも、もし恋愛においてだとしても、
この「笑わせようとするな。話を聴かせろ」は
「伝えたいこと」の基本姿勢として、
いつも気にしてなきゃいけないことかもしれないと思いました。

「笑わせよう」が「好きになってもらおう」とか
「嫌われないようにしよう」とか「得しよう」とか
「もうけよう」とか「ラクしよう」とか、
そんなものなのかもしれない。


小三治は目の前に正座してた若い前座さんに言います。

「前座。こういうのをただボンヤリ聞いてちゃだめだぞ。
 いまお前はとんでもねえことを聞いたんだ」


はい、私もとんでもねえことを聞いたように思います。