京都駅に義母を迎えに行き
私の父母は私の弟の車で京都に到着
私、2つ下の弟がいる
弟: 兄ちゃん、来たで
私は姉ちゃんだ
今年は妹が私の家に居候してるので
兄妹揃った
義父は他界してる
モー子と向こうで会っていると思う
昨年、旦那の絵の展示会開催前夜
旦那が
オヤジが夢に出てきて
「しっかり頑張れ。こっちは
モー子と居る」
と言ったんだと嬉しそうに
話してくれる夢を私がみた
ややこしいでしょ
みんなで蓮久寺にいく
今日は副住職が三回忌を
執り行ってくれた
副住職はモー子のお通夜と葬式を
行ってくれた
透き通った読経を聴くと
お通夜の際の
モー子の綺麗な寝顔が浮かんで
涙がでる
神様や仏さんは
なんで娘を連れてったんや
まだ早いやろ
とか
娘が痛みから解放された
という安堵感
とか
もう会えないんか
という絶望感
とか
悔しさと悲しさと
怒りと絶望と安堵と
むっちゃくちゃ
な中で
透き通った読経の声が
天高く響く
ただただ
娘への思いを
読経の響きに託して手を合わせる
三回忌もやっぱり
そんな感じだった
いつまで経っても
涙は出る、それは仕方ない
ちょっとだけでも
顔出して
「元気にしてましゅよ\(●°ω°●)/」
って言ってくれたら
どんなに良いか
そんな中
副住職がこんな話をしてくれた
蓮久寺の住職は皆さんご存知の通り
不思議なものがみえたり、起こったり
側にいる私もその様子を見るにつけ
あの世はあるんだろうなと
思うこともよくあります。
お経には
あの世があると書かれています。
あの世は時間軸がこの世とは違い
この世の40年が
あの世の1日だったりするそうです。
そしたら
モー子にとっては
向こうに着いて
まだ約1時間12分ぐらいしか
経ってないんやな
四十九日は
計算したら、約5分36秒
色々挨拶して
(o・ω・)っ旦
お茶にしますかね💕︎
ってぐらいな計算。
仮に私が90歳まで長生きしても
28時間ぐらいあれば
一晩過ごしたら会える
ぐらいの感覚
生きるって大変
モー子、ひと仕事終わって
お茶🍵してるんやな
そんな風に思ったら
少し気持ちも楽になった
弟が三回忌終わって
声をかけてきた
弟:兄ちゃんお疲れ様
姉ちゃんや