Now I'm in Antalya Türkiye.
(2023年12月31日)

Merhaba!
こんにちは!



現在、トルコの地中海沿岸の街アンタルヤにいます。
クリスマスは雨のバトゥミの宿で過ごし、今日大晦日は飛行機の中で年越しをする予定のひろです。
全く季節感無く過ごしています。
あっ、旅人みんながそうではなく多分僕だけ。
ほとんどの人がちゃんと年末年始楽しんでます。
僕、あんまり気にしないんですよね…
でも日本の友人達が忘年会楽しんでる様子を聞くと、羨ましい…

結局飲み? ( ;∀;)




今回は前回までの3つの話しの後日談を少し話したいと思っています。
年末に真面目な話。


「僕の戦争」、「小さな世界での資本主義の現実」
の回を読んでくださりありがとうございます。
その後のあの宿に住んでいた彼らについて心配してくださる方がいたので少しだけご報告。


先ずマリーナとセルゲイは街の中心からかなり離れたところにアパートを見つけてそこに住んでいます。


耳が不自由なウクライナ人のおじさんは、そこに一緒に住まわせてもらっているようです。


みんな助け合いながら生きています。
逆に僕が大丈夫か心配されてしまいました。
行くところがなければ、トビリシに戻って来いって。


スマホとお金を盗まれたロシア人は別のHostelに移って元気でいると、セルゲイが教えてくれました。
住むところが確保さえできれば、彼ら旧ソ連圏の人達が集まる宿ならば、食事もシェアし合っているので、とりあえず心配ないでしょう。


若いおとなしいロシア人青年は、あの時点で1週間後にアパート入れる契約をしたと言っていたので、その間だけのHostelを探すと言っていたので大丈夫でしょう。
もともと彼は音楽(ベース)を勉強していてHostelでは練習出来ないからアパートを探していたのです。


この2つの話に最後にそれぞれ参考のニュース動画をあとで貼ったので、もし興味ある方で観てみたい方は改めて開いてみてください。









それからこの話を読むとジョージアの人達冷たいと、思う人もいるかもしれませんが、全ての人がそうではありません。
これも一部の現状ということも分かってください。


僕はこのあと、黒海沿岸のバトゥミとクブレティという街の最安値の宿に泊まりましたが、どちらの宿にも多くのロシア人が住んでいて、宿のオーナーはとても優しい良い人でした。
日本人の僕にもね。




そして前回の記事
「被害者側と加害者側(アルメニア人虐殺博物館)」
についてですが、投稿した後から読み返してみたんですが、なんか上手く書けているのかどうか分からない感じですね… 🤔
言いたいこと上手く伝わっていないような…
(個人的な思いだけをぶつけてしまったような…)


どの部分をピックアップするかでいろんな捉え方出来たり。
まぁ、その方がみなさんがいろんなことを考えるきっかけになっていいのかも。


実はトビリシからバトゥミという街に移動し最初に泊まった宿で、中国人の青年と台湾人のおじさんと同じ宿でした。


彼ら二人は僕が日本人だと知って、僕の前で中国語でいろいろ話してたのですが、台湾人のおじさんが英語で

「日本は、アジアでNo.1の国だよ。」

って。

「ありがとう。でも、日本のエコノミーは今やダウンで中国の方がすごいでしょ?」

と言うと

「日本は小さな島国で、人口も中国よりは遥かに少ない。でも今の経済力を保っていられるのは凄いこと。日本のベースのレベルは違うよ。」

って。
そしておじさんはこういった

「台湾は昔日本だったんだよ。知ってる?」

って、凄い笑顔で言ってくれました。
中国人の青年は少し苦笑いだったけど。


実はこの日は12月15日で、中国で南京大虐殺の日とされている12月13日の2日あとだったのです。


僕は中国人青年と二人の場で、翻訳アプリを使い


"12月13日は南京大虐殺の日でした。あなたの国の人には大変申し訳なく思っています。
もしよければこのことについてあなたの個人的な思いを教えてもらえませんか?"


と聞いてみた。

僕って、


懲りないよね… 滝汗


でもコミュニケーション(対話)がなければずっとわだかまりは無くならないと思うんです。
あっ、僕の中のね。


これについて彼は、

"このことについては非常にセンシティブな内容となります。しかし私たちはこれを乗り越えなければならない。そして二度とこのようなことが起こらないように。"

と言ってくれました。
長い文ではっきり覚えてないのでだいぶ端折りましたが…
(彼はこの事について中国政府の話の全てが本当であるかどうかはわからないと言っていました。それを含めてセンシティブと言っていました。)


そして前回、憎しみを煽る報道、情報(いわゆるプロパガンダ?)という事にも軽く触れました。


台湾の親日。
今回話した台湾人のおじさんしかり、やっぱり親日なんだなって思いました。
でも台湾が親日である原因は日本に感謝してる、ってだけでは無いのを知ってますか?


犬が去って豚が来た(狗去豬來)


って言葉知ってますか?


日本統治が終わって中国から国民党(蔣介石)が来た事を表していて、犬(日本)はワンワンうるさいが、何でも我々のものを食い漁る(奪い盗る)豚(中国)よりまし、っていう意味です。
つまりその後の国民党の統治がひどかったから、比較され良い印象を持たれているだけ、という一面もあるということ。


実際には日本統治時代に苦労した人も沢山いたでしょう。(台湾にも慰安婦問題などあります。あまり報道されないだけで…)


それとは逆に反日と言われる韓国のお年寄りが日本統治時代は良かった、と語る事を聞いたりしたことがありませんか?


勿論酷い仕打ちを受けた人がいるのも本当だと思いますが、これも本当だと思うんです。


なかなか韓国社会で発言しづらいでしょうけど…
そして台湾社会で日本の過去の悪い一面を語るのも難しいのかもしれませんね。


旧日本軍の兵士が全てが悪い人でもなく、全てが良い人でもないと思います。


どちらがどのくらいの割合だったかなんて分かりません…


しかし人の心のなかには悪い事のほうが印象強く刻まれる傾向があるのかもしれませんね。
そしてそういう気持ちがプロパガンダに利用されるのかもしれませんね…


一方中国については僕はあまりこういった話を聞かないのですが。
ただ抗日というくらいで具体的な話は…


実は僕、32年前に中国である体験をしたことがあります。




当時の中国は今とは違い大きな街でもまだまだ綺麗でないところが沢山あり、通りに物乞が沢山いました。


通貨は人民用の紙幣と外国人用の紙幣に分かれていて、その価値(レート)も違いました。
物の値段はどちらで買っても同じなので、僕らはブラックマーケットで外国人用紙幣を人民幣に両替すると、1.3倍から1.5倍くらいになったと思います。
(闇両替はそこら中にありました)


線路沿いは列車から投げ捨てられだビニール袋などのゴミだらけ。


極めつけは街角に貼られた公開処刑の様子の写真。
(死刑は公開処刑で数人の罪人が一度に銃殺される様子を見せしめのために貼ってある。また現場を見に行くことも出来るのでしょう。)


近年、中国の旅行者がインドのことを汚いなど途上国扱いにする発言を時々見かけますが、30年前さほど違いはありませんでした。
しかし中国はここ30年で全体的に大きく様変わりしました。
若い世代はきっと昔の中国を知らないでしょう。
インドの変化は部分的です。
大きく変わった街と、そんなに変らない街。
しかしおそらくインドはこれからだと思います。
インドもあっという間に変わっていくのでしょうねぇ…


あっ、ごめんなさい、中国を悪く言いたいのではなく、そんな状況だった中国での話です。
当時中国には未開放地区と言われるエリアがありました。
貧しい地区で外国人には見せたくない為、外国人が入ってはいけないエリアです。


ですがある時僕は長距離バスで昆明から西双版納まで移動することがありました。
当時まだ道は悪路で(中国の今の幹線道路は広くてめっちゃきれい)、この移動が途中で一泊するものだと僕は知りませんでした。
そんなバス移動での出来事です。


そのバスには前方に男の子2人と女の子1人、3人組の不良の若者が乗っていました。
男の子達はジャックナイフをチャラチャラとさせて粋がってました。
(漫画でしか見たことないような不良…笑)


それとは別にお年寄りの男性が僕の少し前の席に。
僕は当時の彼女と一緒に旅をしていたので、僕ら2人の話声で中国人で無いことはわかったでしょう。


そしておじいさんが僕に尋ねました。

「あなた達はどこから来たんだね?」

あっちゃ〜
僕の中の印象でも中国人の高齢者は日本の事が嫌いな方が多いと思っていたので。

気まずいな…

でも仕方ない。

「我是日本人(私は日本人です)」

「日本人…」

やっぱ、気まずい… 滝汗

ところがこのあとおじいさんの口から出た言葉は

「この方は私達の国の客人だ。大切にもてなしなさい。」

そう、それも不良少年達に…

えっ?どういうこと?

「えっ?謝謝…」

おじいさんにこやかに笑ってます。

不良少年達はなんか戸惑った感じで、うなずきます。


そんな中、空は暗くなり、やがてバスは未開放地区の街に停車し、僕ら乗客はバス停近くの同じ安宿にみんな泊まります。
その夜、宿の部屋でこのおじいさんの言葉を考え、改めて驚き、感動して、この言葉を噛み締めていました。


翌朝、僕の部屋の扉がコンコンとノックされます。

「バスが出発するからそろそろ準備して…」

あの不良少年達です。
これにもびっくり。

「謝謝。」

やはり当時の中国では年上の人の話は不良少年でもいうこときくんでしょうか?(笑)
あの不良少年が…


この出来事は昔の中国の旅の中で心に残って、忘れられない出来事なんですよね…


これって、このおじいさんの心の広さというか、このおじいさんが凄いと思っていたんです。
その時は…


でもよくよく考えてみると、嫌な思いをさせられた日本人なら、何も相手にしないまでも、こんなに親切に満面の笑顔で対応してくれるだろうか…
もしかしたらこのおじいさんは、昔日本人相手に何か良い思い出があったのではないだろうか…


そうも思ったのです。


僕の勝手な妄想ですよ。


この話、実は今まであまり人に話したことありません。
特に中国人には。
しかし今回の旅でこの思い出を2人の中国人に話しました。

「ふーん。それはとても感動する話だね」

と言ってくれたんですが、彼らはこの話をどう捉えているでしょう?
多分ただ心の広い優しいおじいさんの話だと思っているんだろうな…


僕の言いたいこと分かります?
伝わっていますか?


情報が管理され社会の風潮がある程度統一されている中国でさえ、未開放地区だからかもしれませんが、こういう出来事があるのです。


悪い印象、良い印象、どちらもおそらく真実です。


どちらを見て、どう考えたほうがいいのかな…




そして僕は良い思い出を大切にして、人に感謝をしていきたいなって思うのです。



僕自身も誰かのいい思い出になれるといいなぁ…





今回も僕のブログの過去記事のリンクを貼りたいと思います。
情報や偏りといった関連の話です。









あっ、勘違いしないでください。
今回の記事で僕が言いたかったのは中国や韓国の報道、情報管理についてではありませんよ。
そういった事はどこの国でもあるということです。


ちなみに世界の民主度ランキングをみると、日本はそれほど高くないの知ってます?
その理由の1つにあるのは報道の自由度が低いということです。

私達は日本に報道の自由はあると思っていますが、海外の報道記者からすると、政治家にインタビューするためには外国人記者クラブに入らなければいけないとか、質問はあらかじめ用意して確認をとらなければいけないとか、自由な質問は出来ないらしいです。

結局政府の方針を述べられるだけ。
それに反することは答えてもらえない。
日本だってそうなんですよ…


 





固い話はこの辺にして、最後にちょっと心温まる話をひとつ。

僕は今トルコの地中海沿岸の街アンタルヤというところにいます。
今回の旅もすでに14ヶ月目に入ってます。
シャツはジョージアの市場で買った、中古のネルシャツ。
ジョージア人ってみんな大きくて、なかなかサイズがないんだよね~
ジーンズもそろそろ買い替えないと…

そんなある日の夕方、旧市街地のちょっと人気の少ない路地を歩いていると、

「ちょっと!ちょっと!ちょっと待って!」

えっ、僕?
後ろを振り向くと、地元のおじさんが息を切らせて走ってきて、

「そう、あなた。これを、このお金を…」

って50トルコリラ札を手のひらに。

「えっ?僕に?」

「そうあなたに…これでご飯食べて…」

「えっ?ありがとう。でも僕大丈夫です。もらえません…」

「えっ?お金あるの?大丈夫?」

ちょっと驚いた表情。

「はい…」

「あっ、そう。お金あるんだね?じゃあご飯食べてね。」

おじさん安心したのか笑顔。

「はい。ありがとうございます。」


なんだか…
おじさんの笑顔で僕も笑顔…

僕の身なりみて心配したのかな…

優しいなトルコ人…

感謝…


ん?

これ心温まる話でいいですよね? 笑い泣き笑い泣き笑い泣き



みなさん、良いお年を♪



Teşekkürler!

今日も読んでくれてありがとうございます!


I'm praying for your happiness and peace.