Now I'm in Thai land.(2016年8月13日)



नमस्ते ナマステ(こんにちは)

リアルタイムはタイに来ていて、サワディー カップですね。
男性はサワディー カップで女性はサワディー カーって言います。
訳あってタイで夏休みを過ごしています。
結構気を使って疲れる休みです…(笑)

注 2016年8月の話です


と言って書き始めたこの回、投稿するのは1ヶ月以上後になりました。(笑)









2015年11月22日

僕はリシュケシュからさらに北上し、ダラムシャラの街にいます。
知ってる人もいると思いますが、ダライ・ラマが亡命している街で、チベット亡命政府がある街です。


僕は仏教聖地を回るテーマの最終地点にこのダラムシャラを設定していました。


何故ならもしかしたらわずかな可能性ですが、ダライ・ラマに会えるチャンスがあるかもしれないからです。


以前は事前に申請をすれば謁見出来たのですが、ダライ・ラマが高齢になってからはその制度はなくなってしまいました。


しかしインド国内のダライ・ラマの講演は無料で誰でも聞けるので、スケジュールさえ合えば見れるのです。
またここダラムシャラではダライ・ラマが移動する際など、偶然見る事が出来る機会も度々あるそうです。


そんなダライ・ラマをひと目見たいと、見る事が出来たらこの仏教聖地巡礼の旅が報われるような気がしたからです。(笑)


僕はリシュケシュから、バスでデリー経由で長い時間をかけ、明け方早くにこの街に着きました。


チベット亡命政府があるのは、ダラムシャラ郊外のマクロード ガンジーというところ。
標高2,082mあります。
バスを出るとそこは、凍えるような寒さです。
流石に北インド、しかも高地では侮れません。 




寒さに耐えながら、客引きに連れられ一軒目の宿を当たってみると、事前に目星をつけていた宿の向いにあり、その宿より安くて部屋も広くてまあまあ。
Wi-Fiもあるというので、とりあえずチェックイン。

「Wi-Fiパスワードは?」

「大丈夫。ちょっと待って。」

というと、主人は出て行き、しばらくして戻ってきて、はい、って渡されたパスワードを見ると、


んんんん???? (¯―¯٥)


「これって向かいの宿のWi-Fiだよね?」

「大丈夫。友達だから。」


???(笑)(´-﹏-`;)


もらいWi-Fi。
このパターンはじめて…
まあ、いいっか。
使えるなら。(笑)



そんな感じで宿を決めると、しばらく休んで、食事をしがてら街を散策。


朝の空気は冷たく身が引き締まります。
白い息を吐きながら、長い階段を登り、通りに出ると、小さなスタンドカフェ(屋台ですね)発見。


「コーヒーある?ブラックコーヒー。」

北インドでは小さな店では普通チャーイのみ。
コーヒーあってもインスタントのスリー イン ワン。

「OK。普通でいい?それとも濃いの?」

Oh!

「濃いのお願い。」

なんとこの店ドリップコーヒー!
インドではドリップコーヒーなんてお洒落なカフェくらい。


はい、ここ行きつけ決定!
兄ちゃん愛想ないけど、いい人そう。

奥にいるのがお店の兄ちゃん


コーヒー飲んで街を歩きます。


ってな感じで、いつも通りに居心地のいいお店を探しながら歩きます。




やはりチベット亡命政府のある街です。
街にはダライ・ラマを慕って集まってきた多くのチベット族の人達がいます。
勿論、インド人もいますがチベット料理のレストランや、チベット洋品店、土産物屋、かなりの割合です。


街は山の上にあり、坂が多い街です。
それもまたチベットをイメージさせます。


そして、街のいろんなところで "FREE TIBET" の文字を見かけます。




この街では、否応無しに中国とチベットの関係を考えさせられます。
何故チベット人は亡命せざるを得なかったのか?


中国はチベットを侵略し吸収した。(ウイグルも同様)
戦いが続き民が苦しむのを避けダライ・ラマはここインド、ダラムシャラヘ亡命。


中国は「宗教は毒だ」という、毛沢東の言葉により、ダライ・ラマをしたい続ける民衆を思想犯として、拷問、強制労働を繰り返し、チベット仏教とその文化を彼等から取りあげ虐げているのは、多くの人が知っている事だろう。


その裏には、チベット、ヒマラヤの多くの地下資源(レアメタルなどの鉱物)が目的だとも聞く。




しかし、物事を考えるときは様々な方向から見てみる事が必要だと思います。



中国の立場から考えを調べてみると、チベットでは長く農奴制度が存在し、民衆の95%が農奴、僧侶に対して酷い年貢を納めていて、それを納められなかったり、それに反発すると、目玉をくり抜いたり、皮を剥いだりするような、酷い拷問が行われたと言います。


またダライ・ラマの誕生日には人間の皮を使った儀式などが行われていたとも。


そんな時代のチベットの姿の映像をYouTubeで見ました。


そんな暗黒な社会から開放したのが中国だと。


今は人々に教育を与え、経済を活性化させ、近代化へと導いている、それが中国としての立場です。



僕は、この街にあるTibet Museumに行ってみました。


そこにはチベットが今の状況に至るまでの経過が写真などのパネルによって、展示、解説されています。


そこには、FREE TIBETを掲げ、デモをしている僧達の写真。
軍や警察によって、捕らえられていく様子。




僕が数ヶ月前に訪れた、リタンやセルタ、ガンゼの街(東チベット、正式には四川省西地区と言われるエリア)で、軍や警官に取り押さえられる思想犯とされた一般の人々の様子。
しかもそれは、ほんの数年前の出来事。



ラサの街を巡回する人民軍の隊列。


街なかで焼身自殺をして、訴えるチベット僧。
(ダライ・ラマはこれらの行為を行わないようチベットの人々に語りかけているそうです)


捕らえられた人々は酷い拷問や、強制労働をさせられ、思想教育を受けるといいます。
行方不明(おそらくは亡くなってしまった)になってしまった方もいるそうです。
そういった人達の写真。




中国政府により作られた学校の写真、中国の人民服のような制服を着て勉強している子供達。
その授業は中国語で行われ、チベット語は学ばないと言います。
子供達は中国語や多少の英語を話せるが、今ではチベット語を読み書き出来ない子達が増えているそうです。


そして、そういった状況から逃げたしたい、子供にちゃんとした教育を受けさせたいと、インド、ネパールを目指し危険なヒマラヤを超え、亡命してくる人達の写真。





その途中、人民軍に射殺された人。
(これは、ヨーロッパの登山家が撮影した映像。YouTubeでも見る事が出来ます。)




人にとって何が幸せなのでしょう?


豊かな生活?
自分達のアイデンティティーを守る事?


中国がどんな言い方をしても、過去のチベット社会がどんなものであったにしても、こういった事実がある事は真実のようです。



僕はダライ・ラマ法主公邸の隣にある、チベット寺ですべての人々の幸せと、平和を祈りました。




その日の夜、この問題について調べました。




翌日朝早目に起きて、Triund Hill(街から見える高い山)に登ってみました。


実は道間違って違う登山道から違う山登ってたみたい…(笑)


前日に買ってといた、バナナとチョコパンのおやつを持って出発。


Map's Meというオフライン地図アプリを頼りに、登山道を登ります。
途中地元の人と1回すれ違っただけで、誰とも出会いません。


もちろん道間違えてるから…
(;^ω^)


黙々と登ります。
(ムスタン以来トレッキング好きになってます。)
途中チベット問題について考えながら…


この一見チベット対中国という図式の問題は、もとを正せばこの2カ国だけでなく、帝国主義時代のイギリス、アメリカ、ロシア、モンゴル、そして日本も含めた国々が絡んだ国際関係の中、今のチベットと中国の関係だけが残ってしまったという感じらしい。


もとは悪くなかった、チベット、中国、モンゴルの関係の中で、特にイギリスの二枚舌外交により、今の関係になってしまったようです。


詳しくはこの場では割愛します。
歴史を語ると大変長くなってしまうので…
(この問題、興味ある方は是非ググってみてください。)


ただ言えるのは、世界の多くの解決出来ない紛争の原因は、過去の西側先進諸国の行いがもとになっている事も、我々は忘れてはならない…


どんな問題でも原因は複雑に絡み合い簡単ではありません。


僕は誰が悪いと言っている訳ではありません。
ただ平和で、みんなが幸せに暮らせる世界が、いつの日にか…
そう祈っているだけです。


なかなか頂上に辿り着かないので、昼過ぎにたどり着いた途中の頂でお昼にしました。
バナナとチョコパンを食べながらインドを見下ろす。





雲の上?
(それともインドの大気汚染のガスの上?笑)




山の空気は昼でも冷たく、日が雲に陰ると昼でも肌寒いです。


清々しい空気の中、スッキリしない気持ちを切り替え、山を下ります。




途中冷たい雪解け水に足をつけて、脚の疲れを癒やします。

(>ω<) つめた!



今チベットは、多くの中国人観光客が訪れる観光地となっています。
中国政府から優遇され多くの漢民族が移り住み、経済は発展し、生活は豊かになっています。


昔ながらの遊牧は禁じられ、人々は定住するようになり、チベットにはなかった野菜を作る農家が増えています。


漢民族とチベット人が結婚した家族には補助金が与えられます。


今では漢民族がチベットの人口の半分以上になったそうです。


知ってますか?
民族浄化って言葉(ジェノサイド)。


中国が進めている政策は民族浄化。
緩やかに、そして確実に、チベット文化、チベット民族を中国化してしまう。


1つの民族を消滅させてしまう。


しかし、逆に言えば貧しい人々が富んでいる人々と同化することによって、豊かな生活を得られるということです。





そこに住んでいる人にとって何が大切なのでしょう?
中国の押し付けだけでなく、実はチベット人の中でも人によって考え方が違う人がいるのかも…


そう思うのは僕だけでしょうか?
ただ中国国内では、チベット人とそんな話をすることすら出来ないのも事実なのです。
(街の至るところに監視カメラがあるらしい)

リタンの街の監視カメラ


僕達は良く考えなければいけません。
何故これ程までの多くのチベット人が、僧侶だけでなく一般の人々までもが、ダライ・ラマを慕い続けているのか…


ここでもまた、人々の幸せについて考えさせられます。




街に戻ってきました。





夕陽にチベット寺院が輝いています。


重ねて言います。
僕はすべての人々の幸せと、平和を祈っています。





仏教聖地を巡る最後の地、ダラムシャラ…
ついにダライ・ラマには会えませんでしたが、僕にとってはここもまた記憶に残る地となりました。







धन्यवाद ダンニャバード

いやここでは、チベット語で

ཐུགས་རྗེ་ཆེ་トゥグジェチェ(ありがとう)

I'm praying for your happiness and peace.


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この街でいつも通った、モモ(チベット餃子)売りのおばちゃん。


いつも人がいないのを見計らって、僕に1つおまけのモモをくれました。(^。^)

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