I'm in Kagoshima Japan now(2025年7月)



สวัสดีครับ(サワディーグラップ)


こんにちは!


最近タイと、カンボジアの国境で紛争が起こっていますね。

紛争のもとになっているのは国境付近にあるプレアビヒア遺跡の所有権だとか。

過去の歴史やカンボジアのフランス統治時代に決めた国境ののタイ、フランスの認識の違いや、統治後のタイ、カンボジアとの話し合いやいろんな経緯があるみたいです。

ちょっと、日本と韓国の竹島問題とかも思い出させます。


そんな争いの中で人々が傷ついているのを見て心痛めているひろです。


テレビの中で見た現地の人々も、僕の知り合いのタイ人も、みんな話し合いでの解決を望んでいます。


国の思いと人々の思いはどうして食い違うのでしょうかねぇ…




はい。

では今日の本題はタイ編の番外編となります。


では…








変わりゆくバンコク。



僕が海外を旅するようになったのは30数年前のことです。
その頃はスマホはなく、地図を片手に街を歩き、バスや列車の切符は駅やバス停で買い、飛行機のチケットは航空会社か旅行代理店で買う。
宿は歩いて探す。
それが当たり前。


前に別の回にも書いたけど、例えば中国は今の中国と全然違いました。
勿論キャッシュレス決済などは無く、時には釣り銭を投げてよこされる。


昔は上海でさえ古い建物が多く、イギリスの統治の香りを残す、情緒ある街だった。


それと同時に路地裏にはゴミも…。
鉄道の線路沿いは乗客が投げ捨てるゴミで溢れていました。


ところが今では省都の街は何処の街でも大きく、高層ビルが建っている。
現金も使わなくなっている街も。
通りは綺麗に舗装され、道幅も広く、EV車やEバイクが沢山走っています。


韓国も僕がはじめて行ったのは日本文化(音楽や映画)が禁止されていて、自由に楽しめなかった頃でした。
まだ地下鉄も工事中で一部しか走っていなくて、街にはキムチの匂いが漂っていた。
ファッションビル内の店員さんでも、東南アジアの市場の様にお客の前で、お昼ご飯を平気で食べていた。


今は皆さんが知っての通りです。
日本が失われた30年と言われている間にアジアは大きく発展したのです。


インドでさえ、一部の街では大きく整備され変わりました。
貧しいエリアは今でもさほど変わっていないところもあるけど。
そんなエリアでさえスマホが普及していたりするのです。


少し前の記事に書いたラオスも、SNS普及で人びとの服装や化粧などが全然変化している。


世界は発展とともに西洋化し、均一化しつつある。


旅をして楽しいのは、いろんな国の文化や暮らし、アイデンティティ、そしてそんな人々の笑顔を見れること。
なのにその違いが徐々に薄くなってきているのです。


そんな世界が変貌していくなかでのタイ、バンコクの移り変わりを今回は話してみたい。





30数年前…


僕はインドを歩いていた。
その時僕はまだタイに行ったことがなかったのです。


10数年前のインド デリー


デリーのパハールガンジは当時から安宿が多くあり、バックパッカーの集まるエリアだった。
そこでよく僕は、バンコクのカオサンの話を聞いていたんだよね。


旅人が集まるエリアで、インドに引けを取らないくらい混沌として面白いエリアだって。
旅人はそこで互いに旅の情報を交換しあっていたらしい。


その頃のタイでは大麻は合法ではなかったけど、旅人は通りで大麻を買い、宿の部屋でよく吸っていたと。
勿論インドも同じですけど。


カオサンではたまに警察の手入れが入り、拘束される日本人もいたんだよね。
一度は行ってみたいと思っていたカオサン。


僕がはじめて行ったのは10数年前。


もう当時の面影はだいぶんなくなっていました。
貧乏なバックパッカーだけでなく、普通の旅行者も訪れるようになっていた。


その後さらに政府による犯罪撲滅や街の美化が進められ、通りは新しく舗装され、昼間の路上での商売(屋台など)が制限され、綺麗なマッサージ店、バー、クラブなどが増え、いつの間にかツーリストが集まるインスタ映えスポットになっていった。


カオサンの夜


間にコロナの時期が入り、多くの安宿はつぶれ、生き残った安宿も改装したりして値段を上げている。
本当に安い宿はなくなっていき、今では数軒しかありません。


街の中心から交通の便を良くするためにか、地下鉄の開発などにも伴い、立ち退きになった宿もある。


週末には外国人だけでなく、タイ人の若者も集まり、クラブで夜どうし遊ぶ様な街になっている。
まぁカオサンも昔の印象と面影が随分変わったということだね。


カオサンのクラブの風景




 そんなカオサンの華やかさのすぐ裏で、まだ昔の空気を残す一角があります。
バス通り(Ratchadamnoen Klang Rd)を挟んだ向こう側、そこは地方や近隣諸国から出稼ぎに来た人たちがひっそりと暮らすエリア。


水路沿いの路上では、毎日中古品(中には盗品も)などを広げているお店。
パラソルの下にゴザを広げただけのマッサージやさん。
屋台でカイチアオ(卵焼き)やカオパット(炒飯)を売っているおばさん。
飲食店は木陰にテーブルと椅子を広げ営業してたりする。


水路沿いの木陰のテーブル


そして昼間から立っているのは、外国人相手の若い女性ではなく、地元の中年女性たち。
タクシーやバイクタクシーのお兄さんたちが、ゆっくり前を通って品定めをしている。
目が合えば、微笑んで手招きし、手のひらを広げて500バーツを示す。(僕が行った時点で2000円)


大通り沿いの歩道には、夜になると沢山の浮浪者が集まり路上で寝ている。
(昼間でもいるけど)
バンコクでもコロナで多くの人が職を失い、路上生活者となり、そこから立ち戻れなくなっている人達が沢山いるのだ。


そんな彼らに政府やボランティア団体が、お弁当を配りに来る。
日に何度も複数の団体が…


ここには路上生活者以外も、住む貧しい人達が沢山いる。
支援の車が来る度に、多くの人々が並ぶ列が出来る。


配給に並ぶ人々


そこでもらった弁当を、夜間路上で激安で売っている人もいる。


生きることとは…
彼等は今日も懸命に生きている。


僕はそんな人々の生活を、路上にテーブルと椅子を並べたお店でビールを飲みながら眺めている…


隣のテーブルの酔っぱらいのおじさんが、僕に話しかけてきて、僕が日本人だと言うと、知っている英語を並べ立て一生懸命に僕とコミュニケーションをとろうとしてくれる。


そして仲良くなり、地元のおじさんおばさん達と酒を飲む。
それが僕のスタイル。


行きつけのお店


そんな僕の行きつけのお店も、最近政府の方針で日中は通りにテーブルや椅子を並べて営業するのはダメになったという。
だから飲食を営業出来るのは夕方からだけ。


このエリアにも政府の街の浄化政策が始まったのだ…


そのうちに外国人が集まるカオサンに近いこのエリアから貧しい人達は追い出されてしまうのかもしれない。


ここで生きている人たちは何処へ行けばいいのだろう…
何処に生きる場所を見つければ…




カオサンからバス通り(Ratchadamnoen Klang Rd)を渡ったとこの角にあるモニュメント。
14.10.1973記念碑。
たぶんほとんどの旅人はここを訪れないだろうなぁ…
(近くに民主記念塔もあるよね)


ここにあるのは過去(1973年)に民主主義を求めて人々が反政府デモを行って、犠牲になった活動家が祀られたところ。
そんなモニュメントも、地下鉄の開発によって現在フェンスに囲まれているらしいです。
取り壊されるのかな…


僕がここを訪れたきっかけは、前にお話したMちゃん。
実は事件があった1973年当時Mちゃんと彼女の腹違いのお兄さんの2人はこの近くに住んでいた(お兄さんもこの活動に少し関わっていたらしい)ということで、彼女と一緒に犠牲になった人達の御参りに来たことがあるんです…



近くに移転されるならいいんだけど…
どうなるんだろう。


いろんなものが時代と共に変わっていくのは仕方がないこと…
でも人々にとって大切なものは残って欲しい。
(何が大切なのかは、考える人によって違うのだろうけど…)


世界は刻一刻と変化しています。
あなたがもし世界をみたいのなら
チャンス今なのかもしれません…。



チャオプラヤー川の夕陽





PS
友達でもある、行きつけのお店のママさんに「その後どう?」と尋ねたところ…

「大丈夫よ。夜、お客さんいっぱい来てくれる。」

って言っていました。


人々は逞しいですね…


安宿の猫





ขอบคุณครับ(コープクンクラップ)


今日も読んでくれてありがとうございます!

I'm praying for your happiness and peace.