被告訴人安田敏の組織的犯罪計画への関与をうかがわせる事実/平成4年2月14日バレンタインデー当日の言動と愛知県内での白菜散乱の話 ****続きを記載予定****
2015-08-04 火曜日 11:43 >> [[ ←これからの記述範囲の開始時刻]]>>
平成4年2月14日のことを書いておきたいと思います。どうも被告訴人多田敏明のことよりは全体的な記憶も薄れていて、思い出すのもきつさがあるので、この被告訴人安田敏のことを先に書いておきたいと思います。
平成4年の1月になると、被告訴人安田敏との付き合いは減っていたと思います。1月25日の土曜日にはまだ私が厳しい目を向けることもなかった場面の記憶が残っています。
1月25日というのは、被害者AAさんが首にネックレスをつけて会社に来ていた日のことで、私が被告訴人安田敏を通じてプレゼントをしたネックレスとは違うものと思われました。私が買ったものはこの長さで首に巻けるのかと思うほど、長さの短いものだったからです。
彼女の姿を会社で見たのも1月21日以来だったかと思います。1月22日にも少しは姿を見たかもしれませんが、ミールを運んで名古屋方面への運行が連続となっていました。朝に名古屋方面でミールを降ろし、夕方には金沢でまた積みこむという仕事でした。
ネックレスのことは被告訴人安田敏に聞いても「しらんじゃ」と言われただけだったように思いますが、被告訴人安田敏は割と上機嫌で、二階の事務所のコピー機を操作して一万円札のコピーを作って喜んでいたのも、その時だったように思います。
その日彼女は思いつめたような様子で、17時より少し前に、泣きながら小走りで帰っていくような様子が、休憩室の外に見えました。17時より5分か10分ほど前だったと思いますが、そういう時間に彼女が退社する姿を見たのも初めてでした。
その25日の夜も、私は彼女の自宅に電話をしたのですが、この時初めて電話に出た母親が、心配そうな警戒心を持ったような態度を感じさせたのも印象的でした。そんなにきつい感じではなかったですが、そういうのはその時だけでした。
1月12日の入善パーキングエリアから掛けた電話のことは、数日前に書きましたが、それ以降、彼女の自宅に電話をすることはほとんどなくなっていたと思います。
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