7月5日に投稿したなう | 廣野秀樹\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(金沢地方検察庁御中)

廣野秀樹\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(金沢地方検察庁御中)

 殺人未遂事件として木梨松嗣弁護士、長谷川紘之弁護士を金沢地方検察庁に刑事告訴手続き中 (さらば弁護士鉄道\泥棒神社の物語)

 市場急配センター(石川県金沢市)の組織犯罪と加担、隠蔽をした弁護士らの物語(事実)。



時刻は7月5日9時15分。昨日とは一転して、編めが不理想にない良い天気です。一日雨の心配がなさそうな宇出津のあばれ祭りというのは、何年ぶりか思い出せないぐらいです。少なくとも2009年の祭り以来は、毎年二日間の祭りを通して一度もなかったような気がします。
7/5 9:38

昨夜はとても大きな収穫がありました。事件の事実関係をまだ優先したいので後回しですが、先にそのツイートを紹介しておきます。
7/5 9:58

2014-07-05-003421_でも裁判ってもともと真相解明のための手続きではなくルールに従って裁判所が目の前の事案を判断するだけのもの。.jpg http://t.co/WT6Oyn4Nmx
7/5 9:58

Twitter / sakamotomasayuk: 被害者遺族が被告人が被告として出廷しないことを非難するという ... https://t.co/lzqnP1Nuzt
7/5 9:58

2014-07-05-003459_この操作は許可されていない可能性があります。 ページを再読み込みしてお試しください。.jpg http://t.co/78hazBmPp5
7/5 9:58

独自に作成したコマンドでファイル名に日時を含めたスクリーンショットを作成していることは既にどこかで説明していると思います。用途は色々とありますが、もうひとつ大事なところを記録しご紹介しておきたいと思います。
7/5 9:58

昨日は初めに涌波について書くつもりで、関連した説明を始めるとあちこちに飛び飛びなってしまったかと思います。私がこれから説明をする市場急配センターの堂野さんは、平成10年11月22日に自ら労務の担当者として話を聞く必要がある、と言った人物です。
7/5 10:19

現在の市場急配センターの担当者とホームページに掲載されている堂野俊一という人物と同一人という保証は出来ないですが、その可能性は一般的な判断として疑いの余地はないものと思いますが、可能性が0ではないことは、先にお断りをしておきますので、その旨ご留意願います。
7/5 10:19

私はこの市場急配センター株式会社という存在自体を、社会的な問題の対象として告発しなければなりません。その会社の現在の代表という立場と、事件そのものの事実やその関係者との関係というのも峻別しておく必要があるとも考えます。会社が個人の持ち物ではないという意味を含め。
7/5 10:19

被告訴人安田繁克から涌波に住んでいると聞いたのは、当時、金沢市場輸送でイワシの運搬をやっていた堂野さんの愛人という女性の息子でした。はっきりしたことは聞かなかったと思いますが、堂野さんの実の息子とは聞いておらず、当時16歳で市場急配センターで働いていました。
7/5 10:19

私自身、最低でも一回はその16歳の少年を2トン車での市内配達に同乗させて一緒に仕事をしたことはあったと思います。私の場合、その少年よりもその少年の同級生で高校の夏休み中のアルバイトと聴いていた少年を、同乗させることが多かったことを、書いてすぐたった今思い出しました。
7/5 10:19

愛人の息子という少年、それは私が市場急配センターで市内配達の仕事を始めてから知ったことで、被告訴人安田繁克に聞いていました。当時は他にそういう話を聞く相手もいなかったので、それは間違いないことだと思います。
7/5 10:39

当時ははっきりと意識しなかったようにも思いますが、被告訴人安田繁克が堂野さんのことをよく知っている人物のように話していたことは、改めてかなり不自然にも思います。なぜなら当時の堂野さんというのは一緒に仕事をした私でさえ、会社との関係がほとんどわからない人物だったからです。
7/5 10:39

堂野さんはダンプの持ち込みと聞いていました。最初に姿を見た時からそのダンプと一緒でしたが、そのダンプというのも割と珍しいタイプだったので余計に印象に強く記憶に残っています。
7/5 11:23

網まで書けるようなチップ専門のダンプとなると金沢ではほとんど見かけていなかったように思います。金沢港も木材の多い港ですが、チップ専門の工場がないためか、少なくとも私の記憶では見かけることはなかったか、ごく稀だったと思います。
7/5 11:43

金沢市場輸送のダンプというのはその木材チップ専門に近い感じのダンプでしたが、完全なそれとは違っていました。補強についてもずいぶん考えられたような作りで、見た目もそれだけ頑丈そうに見えましたが、ダンプ自体の重量も重かったと思います。
7/5 11:43

トラックの重量に関する法律もずいぶん前に大幅な変更があり、規制自体が変わったと聞いているので違っているところも多いかと思いますが、当時の大型車に関しては車体の総重量に対する積載量が決められ、その重量がステッカーとして後部に貼り付けてありました。
7/5 11:43

正確な記憶はないですが、例えば金沢市場輸送の大型保冷車の場合、「最大積載量9250」などとステッカーが貼り付けてありました。平ボディ車だと10800とかになっていたような気もします。
7/5 11:43

冷凍機付きで頑丈そうな大型保冷車だと8トン台になっているのが普通だったと思いますし、中には7トン台というのも見かけていたように思います。細かく言えば箱の高さも長さも車検上の限界はあるものの、トラックごとにまちまちでした。
7/5 11:44

普通に考えると、思い重量を積むトラックほど頑強な補強も必要になるのですが、その補強材がずいぶんと車体の重量を増やすと聞いていました。まともにやると僅かな最大積載量のステッカーを貼らなければならなくなるので、どこもかなり誤魔化しているのが普通だと聞いていました。
7/5 12:04

過積載のトラックの危険性というのは実際に運転を経験したものでないとわからないところがあるかと思います。ブレーキー性能の良くなかった時代となるとなおさらのことです。ブレーキーが焼けて煙があがることもあります。
7/5 12:04

基本的にはトラックもダンプも同じかと思いますが、大きな違いの一つはダンプの場合デフが2つだと聞いていました。普通の10輪のトラックの場合、デフというか駆動しているタイヤは横から見て後方の手前側のタイヤだけです。いずれもタイヤはダブルになっていますが、その後ろは引きずりと呼ばれ。
7/5 12:04

乗用車でいえば4輪駆動にも近いと思います。私自身、2デフというのはほとんど運転したことがなかったですが、エンジンブレーキの効き具合も全然違うとは聞いていました。雪道でも歴然とした違いが出ます。
7/5 12:04

引きずりの10輪だと、雪道の坂の上で止まってしまうと、動けなくなるということが普通にありました。そうではなくても重心が前に掛かりすぎていると、急で長い坂道を登り切れないことがありました。
7/5 12:04

一般には知られていないか、普通に聞くこともない話なのでついでに説明をしましたが、冬場の長距離トラックの仕事というのは、そういうことでもずいぶんと神経を使います。事故や渋滞、通行止めの可能性も雪が降る時期だと高くなります。どこへ行くにも山間部を通ることは多いです。
7/5 12:25

長々と説明しましたが、金沢市場輸送のダンプというのは2台だけでしたが、イワシをより沢山運ぶために考え抜かレたような設計になっていました。本来、加工イワシの本場というのは石巻港などですが、同じようなダンプというのも見ることがなかったと思います。
7/5 12:25

石巻港には鮮魚の定期便があったので数日おきのように年間を通じてしょっちゅう行っていました。港に近い河口に日和大橋という大きな有料の橋がありました。その橋を渡って魚市場の方に入ると料金所があるのですが、その周辺というのはイワシや鯖の加工と思われる独特の匂いが強烈でした。
7/5 12:25

石巻港の場合、イワシに限らず小魚を冷凍加工して、養殖の魚のエサにするという工場が多かったようです。既に書いていると思いますが、それに近いことは金沢港でもダンベとしてやっていました。生の状態で水槽に入れて運ぶものでしたが、平ボディ車の仕事でした。
7/5 12:25

ダンベの行き先のほとんどは三重県でした。そこは個人のような小さい工場で、養殖用のエサの加工をやっていることが多いという感じでした。三重県も養殖漁業の盛んなところだと聞いたことがありましたが、石巻のエサでも行き先はほとんど四国と九州と聞いていました。
7/5 12:25

日本海側と太平洋側では都市の規模も港の規模もまるで違いますが、イワシに関しては漁獲の時期が、地球の裏と表のように入れ替わっていると聞いていました。
7/5 12:47

太平洋側の港でイワシの仕事が多いのは、福島県の小名浜港、宮城県の石巻港、青森県の八戸港、北海道の釧路港だと聞いていました。
7/5 12:47