6月29日に投稿したなう | 廣野秀樹\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(金沢地方検察庁御中)

廣野秀樹\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(金沢地方検察庁御中)

 殺人未遂事件として木梨松嗣弁護士、長谷川紘之弁護士を金沢地方検察庁に刑事告訴手続き中 (さらば弁護士鉄道\泥棒神社の物語)

 市場急配センター(石川県金沢市)の組織犯罪と加担、隠蔽をした弁護士らの物語(事実)。



時刻は6月29日11時02分です。少し前まで強い雨が長い時間降り続けていましたが、ようやくあがったような感じです。少しですが、日差しも明るくなってきたような気がします。
6/29 11:24

さて、昨夜の続きです。平成3年3月の10日ころに市場急配センターの二階事務所で大幅な室内の模様替えがありました。模様替えというのが正しい言葉かどうかわかりませんが、机の位置などを変更しています。
6/29 11:44

とりあえず模様替えでいきますが、その模様替えで被害者AAさんの席というか机は、それ以前被告訴人松平日出男社長の机がほぼあった場所になりました。事務所の奥、正面道路側の窓際の位置です。事務所全体を見渡しやすい位置だったとも言えるかと思います。
6/29 11:45

昨夜の繰り返しになるかと思いますが、彼女の机の脇には中野さんが立って、何か報告のような説明をやっていました。そして、私が机に近づいていった時のことです。真剣な面持ちで仕事の話に看看を傾けながら彼女は下の方からおもむろにメガネを取り出し、そのメガネを自分の顔に掛けたのです。
6/29 11:45

私も驚きましたがよくある彼女の行動パターンなので、また新しいことを考えたのか、という感じでした。被害者AAさんが会社でメガネを掛けた姿というのは、それまで一度も見かけることがなかったからです。
6/29 11:45

事件後の彼女の両親のどちらかの供述調書のなかであったと思いますが、彼女は少し視力が弱くメガネをかけることがある、というような記載はあったように思いますが、なにか取り調べの警察官の誘導で出てきたような話に見えました。
6/29 11:45

それまで全く見たことのなかったメガネ姿の彼女だったので、メガネは演出のための小道具以外に考えられなかったです。さらにそのメガネを取り出して掛けたタイミングです。細かいことは思い出せないですが、似たようなことは他にも色々あり、これは特にわかりやすい例ではないかとも思います。
6/29 12:05

予想外の行動だったので私もそれなりには驚きましたが、むしろ側にいた中野さんの驚き様のほうがすごいと私の目には映りました。漫画に出てくるようなリアクションでした。
6/29 12:05

その時間帯ですが午前中の11時前かもしれません。長距離運転手である私が、二階事務所にいることは余りない時間帯ではなかったかと思います。
6/29 12:05

中央市場が休みではない限りは毎日同じことを繰り返しいるはずの中野さんの仕事内容なので、たぶん毎日同じ時間帯に同じように二階事務所に来ているものと考えられました。しかし、そういう場面を見たのは初めてに近いことで、中野さんの姿を見たのもずいぶんと久しぶりだったと印象に残っています。
6/29 12:26

なお、私は中野さんが以前の福井中継を続けていたという前提で考えていますが、福井中継をやめて他の仕事をしていたという可能性も十分にあると思います。
6/29 12:26

東北便は早い時で夜の23時ころに金沢の中央市場に着いていたと思います。遅い時でも2時ぐらいでしょうか。年の瀬で荷物の量が多かったり、大雪で交通事情が悪くなれば、当然に到着時間も遅れがちになります。
6/29 12:26

前にも書いていると思いますが、東北便は年の瀬の一番荷物の多い時で大型車4台、4トン車1台ぐらいの荷物がありました。主な荷物はサンマ、タラ、銀鮭、マグロなどですが、貝類やウニ、カマボコなどの練り製品も多かったです。塩釜では北海道の苫小牧からフェリーで来た荷物も中継で積んでいました。
6/29 13:38

練り製品などは市場以外に、市場の近くの食品会社への荷降ろしが多かったです。石川中央食品、カナカン、イケウチなどがありました。色々と混載で降ろし場所の違いもあったので、慣れないと大変だったと思いますが、やっているうちいつの間にか慣れていたのでなってことはなかったです。
6/29 13:59

マグロはほとんどが木箱に入った一本物のマグロで大きい物は300キロありました。木箱は大量の氷も入っています。練り製品は濡れないようにする必要がありました。降ろしやすい順番を考えて積んでおく必要もありました。
6/29 13:59

荷扱には注意しなければならず、ウニの箱などは横倒しにするだけで50万円の弁償になると聞いていました。練り製品もびしょ濡れにすれば売り物にならなくなります。破損等も基本的に運転手本人が負うということになっていたので、自然に最大限の注意を払うという習慣も身についたと思います。
6/29 13:59

鮮魚に比べると青果というのは、余り気を使う必要もなく荷物の種類も多くはなかったです。トマトやスイカはそれなりに気をつけましたが、荷受けのほうが心得ているのでその指示に従って降ろすというのも多かったと思います。
6/29 13:59

大型車は積める荷物の量も多く扱う量も多いですが、気分転換の運動という感覚もあって私の場合、さほど苦になるものではなくなっていました。むしろ昭和59年に4トン車に乗務していた頃の方が、慣れていなかったためもあったのか、しんどく辛い思いをしたという記憶が残っています。
6/29 13:59

そういう意味でも仕事の選り好みというのはしないようにしていて、まあ、会社に言われるままの指示で仕事をしていました。
6/29 14:20

長距離運転手として鍛えられたのは中西運輸商にいた時でした。何度も危ない思いをしたり、劣悪な条件下であったり、限界に挑むようなことをやっていたので、飛躍的に経験値を高めることも出来たと思います。
6/29 14:20

中西運輸商ではほとんどが佐川急便の広島・九州便でした。当時の佐川急便の社風も軍隊的な特別なものがあったので、厳しいところもありましたが、積み荷に対する責任や時間の緊迫性は一番の仕事が厳しく、特に鮮魚は生物なので何かあったときの影響も大きいと聞いていました。
6/29 14:20

鮮魚では石巻・塩釜からの東北便が多かったですが、九州の福岡からもウロコ運送と交代で定期便をやっていましたし、青森便もやりました。九州からは大阪や東京の市場に行くことも多かったです。築地の市場は特別な厳しさもあって、色々と得難い経験も出来たと思います。
6/29 14:20

同時に私の場合、身体的なことで長距離の仕事には限界も感じていました。もともと視力が弱いのですが、目の負担も大きく感じるようになっていたからです。
6/29 14:20