時刻は6月26日13時05分です。あらためてこの項目の見出しを見てみたのですが、新しい事務員を紹介する運転手、のことになっていました。これはもちろん木村さんのことですが、ずいぶんと外れた内容を書いていたようです。
6/26 13:28
どうしたものかと思いますが、木村さんのこともKOらのことも、事件そのものと関係があるとは断定できない点で、その他というような共通項はあるとおもいます。また、個別には無関係に見えても、全体としては看過できないつながりや事実が含まれています。
6/26 13:49
木村さんに関しては中野さんのことも併せて書くつもりでいました。二人とも実名にしましたが、それも私の考えぬいた上での判断です。事件の音の深いところで関わりのある人物という可能性もある一方、全くの無関係でありながら、しがらみからも影響を受ける可能性も考えられるからです。
6/26 13:49
実名にするのは必要最低限という配慮は常にやっております。実名にしたからと共犯者としての嫌疑が濃厚というわけではなく、また、匿名にしたからと言ってそれが薄いわけでもありません。ありのままの事実を書いておりますが、理解を超えている部分や断片的な認識しかない部分があります。
6/26 13:49
そういう中で誤解を生じ、混乱を招かないためにも特定すべきところは特定しておくというのが私の方針であり、ツイッター等での反論意見の場も事実上用意されています。警察、検察に相談するのもよいことでしょう。タイトルにも金沢地方検察庁御中と看板を掲げています。
6/26 13:49
とりあえず、見出しに対応した内容のことを書き上げ、次のことに移りたいと思います。新しい事務員の話です。
6/26 13:49
平成4年の2月の中旬から3月の中旬の間ではなかったと思うものの、割と最近になってこの部分の記憶があいまいになってきました。その時期としては、かなり天気の良いさわやかな天候でした。
6/26 14:09
これもWとかを改めて実名にしますが、和田くんと二人、それぞれの乗務する大型ウィング車で、北陸道を福井県鯖江市に向かってきました。たぶん積み荷はミールだったと思います。浜田漁業金沢工場よりは北陸ハイミールの可能性も高いという気もします。
6/26 14:09
ミールは倉庫移動という地場というかローカルの仕事も多かったのですが、福井に行ったのはその時、一回だけだったと思います。
6/26 14:09
片山津インターと加賀インターの間だったと思いますが、尼御前サービスエリアがあって、そこに入りちょっとした休憩をしました。福井に向かっている時のことです。
6/26 14:09
その尼御前サービスエリアのなかで和田君が話しかけてきたことですが、新しく事務員が入るらしい、Aちゃんは話しかけても余り喋ってくれんし、返事だけ、というようなことを言っていました。
6/26 16:38
そしてこれも既に書いているのではと思いますが、被告訴人竹沢俊寿が以前、日通と関係があって社員であったような話も聞いたことがありました。土建屋の社長とかヤクザの組長だったという話とは、普通に合わないとは思いますが、どちらも被告訴人竹沢俊寿の過去として聞いていた話です。
6/26 16:58
いくらかはっきりしていることは小島という事務員が昭和59年当時にいたことです。日通から来たと聞いていました。保険の係をしていると聞いていましたが、小さい会社で度々保険の仕事があるとは考えにくく、電話番以外に何をやっているのかよくわからない存在でした。
6/26 16:58
顔の方もいまでもなんとなく記憶に残っていますが、真面目でおとなしいいかにも事務職と行った感じの人だったと思います。年齢は40代にも見えましたが、若いのか年配なのか、どちらにも見えるようなタイプでした。体型はがっしりして見えました。肩幅も広く。
6/26 16:58
これも前に書いていると思いますが、昭和59年の時点で日通カラーの大型平ボディ車が2台いました。1月に私が入社した時点であったようにも思いますが、どちらも最近に納車された真っさらの新車という感じでした。
6/26 16:58
乗務していたのは棟方さんと原田さんでした。変わった名前だとお守ったこともあり棟方さんの名前は憶えていますが、無口でおとなしい感じの人でした。北海道から来た人と聞いたような気もします。庄和61年の8月には既に姿が見えなくなっていたと思います。
6/26 16:58
大倉さんは金沢市場輸送での麻雀の常連メンバーにもなっていたと思います。被告訴人安田敏の工事現場突入の時、ワゴン車で現場に来ていた木村さんも、たぶん金沢市場輸送で麻雀をしていたのではと思われます。
6/26 17:19
ただ、私自信の記憶では金沢市場輸送で木村さんが麻雀に参加している姿というのは見かけていなかった気もするのです。それもあって片山津温泉せきや、の客室で麻雀をやっている姿を見た時は、その普段とは違う服装とも相まって、かなり意外に映ったのだと思います。
6/26 17:19
会社で木村さんの姿を見かけていたのも、金沢市場輸送の給油機でトラックに給油している姿や、市場急配センターの裏駐車場で仕事を終えて帰っていくような姿を、たまたま見ていたもので、いずれも割と早い時間で16時前だったとも考えられます。
6/26 17:19
和田君のことですが、これも前に書いているところがあるかと思います。平成3年の11月の20日頃だったかに、市場急配センターに入って大型ウィング車に乗務していました。確かそれまで被告訴人東渡好信が乗務していたトラックに乗務しましたが、いきなりだったかはわかりません。
6/26 17:19
今まで結びつけて考えたことがなかったのですが、思えば、被告訴人東渡好信が古河の市場でベルトコンベアーに指を詰めたとか言い出し、トラックの仕事をやらなくなってから、配車係になったのも同じくその頃だったと思います。
6/26 17:19
東渡が乗務していた大型ウィング車というのは、金沢市場輸送でその平成3年の4月ぐらいに入った日野の新車でした。それまでの金沢市場輸送のトラックのデザインやカラーとは一新して、ベースが白で赤と青のラインがデザインされていました。
6/26 17:39
これは2台同時に入った新車で、どちらも日野のトラックだったと思いますが、もう一台に乗務したのが輪島の浜上さんでした。浜上さんも海士町の出身だと聞いていました。被告訴人東渡好信とは長い付き合いという感じで、共にトレーラーで木材を運ぶ仕事を多くやっていたような話でした。
6/26 17:39
どこに書いたのか記憶にはないですが、本書では既に書いていると思いますが、被告訴人東渡好信が市場急配センターの事務所やその周辺の路上で、包丁を手に握り、被告訴人松平日出男を追いかけまわしたという原因になったのも、その日野の新車のことだと聞いています。
6/26 17:39
同じく書いていると思いますが、石川丸果の売り場で、荷受けのじいさんの首根っこをつかまえて、キャベツの箱のなかに押し込んだということもありました。まるで海面に沈めて溺れさせるような行為です。無言でいきなりやったので、じいさんもさぞや驚いたことだと思います。
6/26 17:40
じいさんの姿は、今でもなんとなく記憶に残っているのですが、市場では珍しいぐらいの高齢の人でした。荷受けをやっていたところを考えると石川丸果の社員であった可能性が考えられます。平成3年の春のことなので、他の雇用形態というのも考えにくそうに私は思います。
6/26 17:40
河野秀美さんに関してはもともと金沢市場輸送で鮮魚を運ぶ保冷車に乗務していました。少なくとも私が金沢市場輸送にいた6月20日ころまではそうだったと思います。
6/26 18:00
今、市場急配センターで河野秀美さんがどんなトラックに乗務していたのか、思い出すのに集中しているのですが、残念ながら思い出すことが出来ません。新しいトラックでなかったことは間違いないと思いますが、平成4年になってから被告訴人浜口卓也と同じく日産の新車に乗務したかもです。
6/26 18:00
この3人は金沢市場輸送を退社したのではない扱いで市場急配センターに移動したとも聞きました。私の場合は、金沢市場輸送をやめてから新たに市場急配センターに入社したことになっていると、聞かされたのですが、誰に聞いたのかはっきりしませんし、真偽もどうなのかと思っていました。
6/26 18:00
3人は9月に入ってすぐに来たようにも思うのですが、9月中というのは長距離の仕事も本格的にはなっていなかったようにも思います。古河の市場の山三青果の仕事も、ローテーションでまわるような状況にはなっていなかったように思います。
6/26 18:00
9月中は東京の晴海埠頭や有明から外果の果物を運ぶ仕事が多かったとも記憶していますが、9月、10月、11月というのは、中央市場の裏の倉庫から馬鈴薯を運ぶ仕事が多かったと思います。利益が出るとは考えにくい仕事で、間に合わせという感じでもありました。
6/26 18:00
改めて考えてみると、古河の市場で河野秀美さんと一緒になったという場面を思い出すことが出来ず、あるいは一度もなかったのかもしれません。浜上さんも余りなかったような気がします。この二人は特に仕事の選り好みも強かったようです。
6/26 18:21
馬鈴薯でも河野秀美さんの場合は、大勢の人を動員して、市場周辺から壊れて捨ててあるパレットを拾い集めでそのパレットの上に荷物を積み込んでいました。荷降ろしさの市場に着いてからは、フォークリフトで降ろして指定された場所に並べるだけで済むそうです。
6/26 18:21
私はかえって面倒そうにも思っていたので、全くではなかったかもしれませんが、やることはなかったと思います。そこまでやるというこだわりには感心し理解も超えていましたが、それぞれにこだわりを持つというのは運転手の考えと経験にもよるもので、強くありがちな傾向です。
6/26 18:21
河野秀美さんは金沢市場輸送でも権利意識の強い運転手だったようで、それで配車係の被告訴人本恒夫とも衝突することがあるとか聞いていました。仕事ぶりはともかく、会社の側では扱いづらい運転手でもあったようです。
6/26 18:21
人それぞれの考え方もあることで、労使関係というのは本来そういうものなのかもしれませんが、どうもそういう権利主張の傾向がある人で、独自のこだわりももっていたようです。余り評判の良い話としては耳に入ってこなかったような気もしますが、曲者的なところもあったかと思います。
6/26 18:21
多かれ少なかれ他の運転手もクセのようなあったと思いますが、基本的に個人プレーのような仕事内容なので、見えない部分も沢山あったと思います。同じ会社の運転手でも半年に一度も顔を合さないことがあると聞くこともあったぐらいです。エサをやっていた時代の話だとは思いますが。
6/26 18:41
もともとそういう自己主張の傾向が強かった河野秀美さんなので、被告訴人東渡好信や浜上さんとは方向性も同じく気があったようです。平成3年春の金沢市場輸送のストライキにもまっさきに参加していたように思います。
6/26 18:42
ストライキに関してもまだまとまった説明は書いていないかな、と思いました。どさくさのような状況でもありましたが、その時に連絡を寄越してきたのが被告訴人安田敏でした。計画された行動であった可能性があるので、徹底解明が必要と思います。
6/26 18:42
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