岡田進弁護士の接見時の対応について | 廣野秀樹\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(金沢地方検察庁御中)

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 殺人未遂事件として木梨松嗣弁護士、長谷川紘之弁護士を金沢地方検察庁に刑事告訴手続き中 (さらば弁護士鉄道\泥棒神社の物語)

 市場急配センター(石川県金沢市)の組織犯罪と加担、隠蔽をした弁護士らの物語(事実)。

 まず、未提出なのですが、昨年次のような記事を作成してあります。



岡田進弁護士への電話<2009-09-25 金>

 時刻は23時18分になっています。今日9月25日15時10分頃、岡田進弁護士の法律事務所に電話を掛けました。電話番号は金沢弁護士会のホームページにある会員名簿ですぐにわかりました。国選弁護人をした18年前のことについて、どの程度記憶があるのか確認しておきたかったのですが、即座に「全然記憶にないね。頭にないわねぇ。」と言われ、そうですかと言って、すぐに電話を切りました。



 いささか動揺が感じられたのは、応対で引き継いでくれた女性でしたが、フルネームを求められ、そのまま名乗りました。なお、岡田進弁護士には、「18年前の傷害、準強姦事件について県警に再捜査を要望する手続きを進めているところなのですが」と初めに伝えていました。



 その前に、金沢地方検察庁にも電話をしていましたが、担当の長谷さんはお休みとのことで、掛け直しをして岸田さんとしばらく話をしました。有罪を求めた検察官が求める結果を得て判決が出て、確定したのに、そのやり直しを検察庁が裁判所に求めて再審請求をするはずがないなどと言っていました。「どこの世界でも、自ら間違いがあれば、自ら間違いを正すのが当たり前」と反論はしておきました。



 「弁護士を頼んで裁判所に再審請求をするのが筋」というようなことも言っておられたので、岡田進弁護士のところに電話を掛けて、どのような認識でいるのか確認しておこうという気になったのです。



 これも午後で、13時を過ぎてからですが、能登警察署に電話をしました。大家さんは金沢に行っているので、今日は一日いないと言われました。自分の事件のことで金沢に行ったのか気になるところですが、これも確認の術はないでしょう。



 そろそろメインとなるAKさんへの手紙を書きたいところですが、なかなか取りかかる気分にはなれず、今日もほとんど時間をつぶしてしまいました。夕方に気分転換で宇出津の港の方に散歩に行きました。地元では「赤灯台」と呼ばれていたあたりですが、子どもの頃の遊び場の一つです。もう10年以上経つのかもしれないのですが、そばに団地が建っていて、その景色を見ていると、感慨深いものがありました。



http://hirono-hideki-01.sakura.ne.jp/xoops/modul





 

 手抜きのような感じになるかもしれませんが、記憶の新しい時期に作成した記事を引用しました。基本的にあれから何も変わりがないのですが、最近になって、また少し自分の岡田進弁護士に対する見方も変わってきたと思います。



 岡田進弁護士は平成4年の事件の一審の国選弁護人でした。ただ一度、それも10分もあるかないかの接見(面会のこと)でしか、言葉を交わしたことがなく、それも畳みかけるような感じで終わりにされたのですが、実に不可解なまま長い間考え続けてきた問題の一つです。



 これも月日が経つほど記憶が薄れているので、過去に書いた記事を引用したいのですが、ちょっと簡単に探すことができそうになく、書き直した方が早いと思うので、今記憶にある範囲で、ある程度のことを書いておきます。



 とにかくものすごく意表をつかれたような接見で、その衝撃や戸惑いを自分は長い間引きずってきたと思います。接見の内容は時間的にもすごく短いものであったので、18年以上経った現在でもほぼすべてに近く記憶していると思います。



 なんと表現したらいいのか、これもすごく戸惑うのですが、初っぱなから喧嘩腰というのか異様に感情の高ぶったような態度でした。第一印象は弁護士というより税理士という感じで、すごく頭の良さそうな人に見えました。本物の弁護士に会ったのもそのときが生まれて初めてだったので、それだけに戸惑いも大きかったと思います。



 会話の順序までは覚えていませんが、とにかく具体的な事実に関する質問というのは皆無でした。最初に警察に話したことに間違いはありませんね、という感じで念を押されたような記憶は残っていますが、具体的にはっきりした言葉は正確には思い出せません。あるいは、やったことに間違いはありませんね、という言い方であったのかもしれません。



 とにかく当時は現在と比較にならないほど弁護士に対する信頼や権威は高いものでした。司法試験は最大の難関といわれ、司法試験の合格者も500人台の時代でした。法律については右も左もわからず、自分が受ける裁判についても理解していなかったので、とにかくどうすればいいのか、さっぱり考えることもできない状態でした。



 二者択一を迫られるような感じで、特に問題はないように認めると、岡田進弁護士は、やや満足げな感じで、雰囲気もいくらか和らぎました。そうそう、高圧的というのがぴったりな態度で、最初からがつんと頭ごなしにかましてきたという感じです。



 それからあらかじめ用意してきたような質問をいくつか投げかけてきました。「被害者との間に事件前、合意のセックスはありましたか?」、「事件当時、酒を飲んで酔っぱらっていましたか?」。まあ、こんな程度であったと思います。それも私の言い分を遮るようなタイミングで言葉を挟んできました。



 そして、量刑について、やや深刻ぶって同情の念もちょっぴり交えた感じで、こういいました。「まあ、5,6年は言ってくるでしょう。」、自分はほぼ独占的に取り調べを受けた谷内孝志警部補から、「1年3月ぐらいやな。裁判官も2年以上行ってこい(懲役)、ということは絶対にない」と言われていたので、そのギャップに驚き、戸惑いました。



 この私の衝撃は岡田進弁護士にもはっきり伝わっていたと思います。そのときも彼は、どことなく満足そうな表情を浮かべたように見えました。



 後日、過去の記事を読んで他に思い出すことがあるかもしれませんが、だいたいこんな感じでした。時計などないので正確な時間はわかるはずもないのですが、あるいは5分程度だったのかもしれないぐらいです。



 現在は本当に断片的というか細切れような記憶しかないので、脈絡もはっきりしないのですが、圧巻だったのは、一番最後の場面でした。「反省、後悔するなら、はじめからするな」と言い放ち、にらみつけるような感じの視線を、うちひしがれる私に向けて、立ち去っていきました。とりわけ、最後の場面は座って話をしている状態ではなく、席を立ち、後ろのドアを半分開けたような状態で、私の方を見据えていた姿が、強烈に印象に焼き付いています。





 岡田進弁護士については、他に書いておくこともなり、あまり記事が長くなっても読みづらいかと思うので、今回はこのあたりにしておきます。



 なお、この接見があったのは、5月28日に金沢刑務所内にある拘置所に移送されてから、2,3日後のことであったので、平成5年5月の終わり頃ということになりそうです。