[資料]平成3年金沢市東力にて http://hirono-hideki-01.sakura.ne.jp/twitter/h3touriki1.jpeg
posted at 15:02:04
[資料]平成3年金沢市東力にて2 http://hirono-hideki-01.sakura.ne.jp/twitter/h3touriki2.png
posted at 15:02:09
[資料]2004年9月30日サーバ http://hirono-hideki-01.sakura.ne.jp/twitter/server20040930.jpeg
これ見て気がついたのですが、今使っているノートパソコンもう6年以上経っています。いつ死んでもおかしくない。
posted at 15:14:13
過去記事の抜粋引用始めます。平成5年の10月中頃、25日だったかの懲罰明けてから作成したものです。記憶も鮮明だったと思いますし、より正確な情報としてご紹介します。終了時点でお知らせします。9月7日控訴審判決の直後、革手錠をはめられて3日ほど保護房にぶち込まれました。理不尽とはその
posted at 15:28:52
「それ私の家の近く、私行って来てあげる」と彼女 また、この数日前であったと思います。昼頃二階で、彼女と二人切りになり、彼女は私に、「今度、後ろの方にもフィルム貼りたくないけ?......
posted at 15:34:04
なんか後ろの車(人)から丸見えって、嫌やぞいね」 また、この頃、二度ほどこの当日もそうであったのですが、私と二階で二人切りになると彼女は席を立って台所にゆき、そこで化粧を直しておりました。
posted at 15:34:15
また、フィルム貼りを実際に手伝ってくれた日の数日後(二、三日後)、彼女は台所付近で話しかけてくれ、
posted at 15:34:50
私が自分の車に貼ったフィルムの色が薄かったことより、濃い方が良かったと言ったところ、彼女は明るい声で、「私、薄い方がいい」と言ってくれたのです。ちなみに彼女の車のフィルムは濃い色であります。
posted at 15:35:01
⑩九月下旬の某日 私は、YSNの自宅に掛けた電話で、彼女が好きで交際を求めようか迷っていると告白した。
posted at 15:36:20
するとYSNは、明るくなだめるように、「やめとけや、ダメやったら大変なことになるぞ、同じ会社でこれからどうやって顔合わせてゆくんや」などと説諭するようなことを言った。これは20日頃ではなかったかと思います。
posted at 15:36:27
「どっか行くが、送っていってあげるか?」=彼女 「ダメよ広野さん、乗ったらダメよ、どっか行きたいんやったら私の車使いなさい。」=IHK
posted at 15:37:19
それと、なにか満足そうであったYSNの顔を覚えております。自分の反対意見が私に絶妙の効果を与えていることに内心ほくそ笑んでいたのかもしれません。もしくは、本当に彼女が私など相手にするわけがないと思っていたのかもしれません。
posted at 15:38:31
10月5日土曜日 すぐに思ったとおり彼女が出ました。私は、思いあまって声が出ず、それを切ってしまいました。そして暫くして勇気をふるってもう一度掛けたのです。
posted at 15:39:58
「もし、もし、広野やけど」(私) 「はい」(彼女) 「あの、頼みあるんやけど」(私) 「..........」(彼女) 「今晩、おれの自宅、電話掛けてきてもらえんけ?」(私) 「はい」(彼女)
posted at 15:40:46
「あの、電話番号.......書くものあるけ?、92の1563」 「はい」 「はい」
posted at 15:41:02
それで、夜八時頃に彼女に電話を掛けてくれるように頼んだのです。彼女は、事務的にたんたんと「はい」と答え、私の自宅の電話番号さえ訊こうとはしませんでした。あらかじめ予想していた当然の成り行きと言ったような感じさえありました。
posted at 15:41:40
10月5日夜の電話 8時を7,8分ほどまわって電話が掛かりました。「もしもしAです」、彼女の声はすこぶる明るいものでした。それがかえって、YSNの言う、彼女の余裕のあしらいと同僚としての気遣いとして感じられたのです。
posted at 15:43:28
「もしもしAです」 「今日どこも走らんかったん」 「給料もらった?月曜日になったやろ、私一万円頼んで前借りしてん。それで今から友達と片町飲みに行くげん。広野さん飲みに行ったりせんが.......八時半に友達迎えにくるげん」
posted at 15:44:03
「う....ん(もったいぶって)残念ながら女の子なんです」 「う....ん」(もっと時間をかけて、いかにも答えにくそうに) 「いないんです。ハハ.」(軽い笑い声) 「ごめんなさい」 「私、好きな人おるし」
posted at 15:44:18
私は、ただただ打ちひしがれ、もう立ってもおられないようにへたり込むように「あきらめる」と言って、「気にせんといてくれ」などと言って電話を一方的に近い状態で切ったのです。
posted at 15:44:29
それから、私はYSNの自宅に電話を掛け、ダメだったと伝え、酒をあおって眠りました。
posted at 15:45:16
夜中に目が覚めました。テレビがついたままになって、恋愛物の洋画をやっておりました。それを見ると私はますます落ち、落ち、落ち込んでしまう内容だったのです。今思えば、この夜が本当に悪夢の始まりでした。
posted at 15:45:23
それから私は眠れない夜を過ごし、朝になってYSNの自宅に電話を掛け、一緒に名北に行くことにしたのです。AM10時30分頃に金沢(会社を)出発して戻ったのはPM8:00時頃だったと思います。
posted at 15:45:49
その日彼女は、六時近くまで会社におりました。これは全く初めてのことであったと思います。そこで、その退社に直前に次のようなことがあったのです。
posted at 15:48:35
私とYSNが会社前で、新車を見ていたところ、彼女が二階から駆け降りてきて、私に「広野さん、今日どっか走るが?」、のように言ったのです。
posted at 15:48:43
10月12日土曜日夜 その日の夜の様子を要点だけを取り上げ次に記します。 午後七時から八時半頃に、私の自宅に二、三回無言電話が掛かった。
posted at 15:49:41
午後十時四十分頃、私は104番号案内にて、初めて彼女の電話番号を知り、自宅から彼女の自宅に電話を掛けた。
posted at 15:50:05
彼女の母が出て彼女にかわってくれた。私は無言電話の件で、今日会社に自分に宛てそれらしい所在を尋ねる電話はなかったか、訊ねた。彼女は、私は受けていないと答えてくれた。私は礼を述べて電話を切った。
posted at 15:50:15
「ちょっと待って.....(階段をかけのぼる音が聞こえた)....はい」
posted at 15:50:26
私は、10分ほど迷いに迷ってもう一度彼女に電話を掛けた。彼女はすぐに出てくれた。私はすぐに「この前の話やけど、もう一度考えてみてもらえんけ?」、のように申し向けた。
posted at 15:50:59
彼女は「.....(暫く考えて)..ごめんなさい」、のように答えたが、そのあとやさしく話しかけてきてくれた。それで会話は十二時に十分ほど前まで続いた。途中私は遅いから切ろうかと言うと、彼女は「大丈夫や」、のように言ってくれた。
posted at 15:51:09
電話を切った直後、離婚後初めて八月の初め頃以来、前妻より電話が掛かった。前妻は、それ以前の私の長電話をいぶかしむ様子は全くなく、無言電話のことも全く知らないといっていた。(それまでの時間帯、前妻は仕事中であった可能性が強い。)
posted at 15:51:49
話の内容は覚えておりませんが、あたりさわりなく三十分ほどで終えたように思います。
posted at 15:52:07
そして、夕方五時をまわって私が退社して東力に丁目の自宅に向かって軽四を走行していたところ、長田地内あたりより追跡するような彼女の車(6601号)に気づき、新神田あたりで、それをはっきり確認したのです。
posted at 15:53:13
その夜、私は自宅より、二度目の彼女の自宅への電話をしました。午後七時半から八時頃だったと思います。それから二時間ほど会話をしたように思います。会話の内容は現在覚えておりません。
posted at 15:53:24
福井刑務所における追加記載 私が今日は飲みにいかんかったんと切り出したところ、彼女は、友達みんな用あるって.....だやいしやめてん、と話したことは実によく印象に残っております。また、すこぶる穏やかでありました。11/9
posted at 15:54:09
また、私が神戸のバナナセンターから戻った二日後か三、四日後にも前妻から電話がありました。私はその時前妻に、数日前に神戸に仕事で行った旨を話したのです。
posted at 15:54:47
その日夜の八時頃、突如前妻より電話が掛かりました。当日その時点で、私は文さんに電話を掛けるか、かかってくるのを待っていたこともあり、前妻の態度が復縁を求めるようになってきていたこともあり、
posted at 15:55:25
私は前妻に対し冷たく対応したのです、そしてそのあとのAさんの電話でも、私は彼女に、交際はあきらめているから気にしないで、構わないで欲しい旨を伝えたように思います。
posted at 15:55:43
また、この電話(文さん)の前の、数日前の電話では、二時間以上に及び私は彼女と会話していたような覚えがあり、一方、前妻からの電話も、最終的には十一月十日頃にかかってきた時、
posted at 15:56:18
私が腹を立てて(先方が喧嘩腰であったので)それを一方的に切ってしまったのですが、それが年内最後の前妻からの電話だったように思い、また、その当日にも私はAさんと電話で話をし、
posted at 15:56:49
この時は短い話で、ほとんど一方的にあきらめるからもうこれで電話は掛けないと申し向けて、彼女の返事を得ないまま切っているのです。そしてこの次に、私が彼女に電話を掛けたのが、およそ半月後の十一月二十五日なのです。
posted at 15:56:57
最後に前妻から電話があった時、彼女はうれしそうな感じだった。久しぶりにみた態度だったが以前にはちょくちょくあった機嫌のいいときの話しぶりだった。私はすぐそれを一蹴して二度と電話を掛けないように宣告したのである。
posted at 15:57:30
以前の彼女の性格からしてすぐにまた掛けてくると思っていたが意外にもそれっきりだった。したがって、これ以降に前妻から電話が掛かったことも、
posted at 15:57:48
それ以前に電話で口論のようになったことも考えにくいかもしれない。しかし、それが絶対だとは言い切れない。記憶が鮮明に近かったことを考えると一度私が不愛想な対応をした数日後に電話があったこともあり得るかもしれない。
posted at 15:57:52
また、前妻に絶縁を宣告した直後の電話でAさんにもはっきり断りを告げたがこの時だけは真剣な気持ちでその旨を話した。それ以前の電話でもほとんどの場合最後の方であきらめると告げていた。
posted at 15:58:23
その日昼頃、私は昼前にIHKに通帳のことを聞かされ「彼女に行ってもらった」、「30万円と3万円を別々にしてしまった」、「彼女は、今、出かけている」
posted at 15:59:28
十一月二十五日 私はこの日、初めてある種の自信を持って気後れなく彼女の自宅に電話を掛けました。午後七時四十五分頃だったように思います。
posted at 16:00:45
この時も彼女は、それまでと全く同じように「今日どこも走らんかったん?」と始めに声を掛けてくれました。会話は午後十時二十分か三十分頃まで続きました。彼女の家族の方が電話を使いたいという申し出により会話を終えたのです。
posted at 16:01:10
私が「好きな人どうなったん」と訊ねると、彼女は、「ダメになったぁ...みたい...私、悪いげん。冷たかったかもしれん..よお言われるぞいね。冷たい感じするって....これからは直そうって思っとるげん」などと言っておりました。
posted at 16:01:31
私が「このまま明日の朝まで話しておりたいな」と冗談ぽく言うと彼女は笑っておりました。
posted at 16:01:46
そして私は意を決して、彼女に「本当はすごく好きで諦め切れんげんけど、迷惑じゃないけ?」と訊くと、彼女は「大丈夫やぁ」と明るく答えてくれ、そして私が初めて「また電話してもいいけ」と訊くと、彼女は「いいよ」と答えてくれたのです。
posted at 16:02:06
ここで一つ肝心なこと抜けていたみたいです。11月25日の夜の電話で、彼女は初めに、「広野さん、いくつの時、結婚したん?」、「21や」、「私早く結婚したいぞいね。今まだいいけど、2,3年したら焦るぞいね。 翌日26日は私の誕生日でした。それもありよく覚えていました。日付を。
posted at 16:05:40
過去記事抜粋実況再開します。軽く雰囲気、流れをつかんでもらえればいいな、と思います。
posted at 16:11:55
十一月二十九日 その日私は、かつらぎ農協よりミカンを積んで小松に向かう途中、名神高速道伊吹SAより午後七時四十分頃か半頃、彼女の自宅に電話を掛けました。五分間ほどの短い会話でした。
posted at 16:13:17
「私、今から出掛けんなんし」(彼女)
posted at 16:13:37
十二月十三日 その日、私は彼女が裏駐車場に車(6601号)を停めるようになったのは直接私と話がしたいからだと考え、それに応えるつもりで意を決して、
posted at 16:15:44
タイヤ置き場となっている四トン保冷箱の前あたりに停めて会った彼女の車の横に自分の車を停め、その中で彼女が仕事を終わってくるのを待ったのです。
posted at 16:16:05
通常彼女は午後五時頃に退社し、遅くても五時半には必ず退社するのです。ところが、六時十分ほど前になっても彼女は退社のため自分の車の所には来ませんでした。そこで私は、あまり度が過ぎるとかえって嫌がらせになると思って帰ったのです。
posted at 16:16:13
また、この当時もしくは当日、すっかり私が彼女に好意を抱き接触を求めていることは社内に知られた様子で、特に0が、私の顔を見てニタニタとなにか言いたそうにしておりました。
posted at 16:16:59
すなわち、私がすっかり社内に彼女との関係を悟られたと感じたのは(完全の意味でもある)十二月の十日頃だったと思います。
posted at 16:17:07
その日午前二時か三時頃、私は裏駐車場の多田四トンウィング車の中で初めて彼女との関係を多田に告白し、彼女のことについて訊ねました。ttkは初め「事務員喰ってしもたん」などと訊き、そして彼女については、見ての通りや、
posted at 16:19:01
あんまりしゃべらん子やなどと言って多くを語りませんでしたが、これはその時、彼がひどく眠そうであったことも大いに関係していたように思われます。
posted at 16:19:30
その日は12月19日です。 その日私は未明に前日山三青果から積んできた荷物を降ろし、あがりのつもりで午前十一時頃に出社して二階に上がったのです。
posted at 16:20:19
そのところ私の予期に反して彼女の隣の隣の席に座ったTYNは私に七尾から関東に走るように指示を出しました。そのTYNの言葉を聞いた瞬間Aさんが、がつくりと首をうなだれるのがはっきりと見て取れました。
posted at 16:21:17
12月21日の私が24日東京に行くことに決まっていると言った時、そしてそのあと藤江陸橋下にて私がプレゼントを車外に投げた時と全く同じような反応であり、それは裏駐車場を彷徨彼女の姿とともに当時の彼女の苦悩をあらわす特徴
posted at 16:21:58
直後に彼女はしたに降りて行き、5~6分ほどで元の自分の席に戻り、そのあと、私は下に降りたところで彼女が5~6分外に出た間に裏駐車場に停めてあった自分の車(6601号)を以前停めていた会社面前に戻してきたことに気付いたのです。
posted at 16:22:53
十二月二十一日 当日私は未明から朝方に前日古河青果市場で積んだ青果物を卸し、朝方自宅に戻り、仮眠を取り、午前九時半か十時頃に起きてそのまま金沢駅前の三越デパートに行き、
posted at 16:23:37
「ティファニー」という宝石貴金属店で消費税込みで六万四千円ほどのネックレスを彼女に対するプレゼントとして購入しました。
posted at 16:23:44
それからそのまま会社に向かい、会社に着いたのは午前十一時一五分か二十分頃だったと思います。ちょうど裏駐車場にYSNがいたので、私はプレゼントを買ってきた事情を話し、YSNに彼女を呼んできてくれるように頼み、
posted at 16:28:33
そして会社内には全く入らずに裏駐車場の真ん中の奥の方に駐車したトラックの中で(3068号)、YSNの呼びかけにより彼女が来るのを待ったのです。
posted at 16:28:50
間もなく彼女はうれしそうな笑顔で恥ずかしそうに「なんやぁ」と、私の運転席の下より声を掛けてくれました。私が助手席に乗るように頼むと、彼女は「これどうやって乗るがぁ」と恥ずかしそうに言いながら素直に応じてくれました。
posted at 16:29:00
「もうじきクリスマスやね。オレ、クリスマスの日」東京行くの決まっとるやけど、これ先にもらって欲しいもんあるんや。一応クリスマスプレゼントと言うことで」=(私)
posted at 16:29:53
「私、こんな高価なもんもらえん......だって私広野さんになんもしてあげれんもん」「それに、私、好きな人おるし....」=(彼女)
posted at 16:30:10
「なんで家電話掛けても出てくれんが?」=(私) 「寝とったんじゃないか、私最近早く寝るし」=(彼女) 「おまえの家の人、出掛けとるって言いとったぞ」=(私) 「ほんならその時出とったんじゃないか」=(彼女)
posted at 16:30:36
「好きな人ってどうなったんや。その男と付き合っとるんか?」=(私) 「わからん」=(彼女)
posted at 16:30:56
「わからんってどうや。これだけ言っておくけどオレ付き合っとる男おりながら他の男と付き合うような女なら初めからいらんぞいね」=(私)
posted at 16:31:25
「....(無言)」=(彼女)「私の気持ち変らんし」=(彼女) 「ほんなはっきりもの言えるんやったらもっと早よ言えや」=(私)
posted at 16:31:44
「そんなんやったらこんなもん(プレゼント)もろても迷惑なだけやろな」=(私)車外に投げた 「初めに言ってきたん、あんたの方やしね」=(彼女)
posted at 16:32:01
これは一月二十二日の夕方七時頃私と彼女が東インターから西インターをまわって戻ってきたあと一階控え室に入った時、と実に似た雰囲気でした。
posted at 16:32:20
最後に入った店でその閉店とともに二人の二十代の女性と店を出たのですが、私が男女二組に分かれ別行動することを拒んだため二人の女は腹を立てていなくなり、
posted at 16:33:23
それでHTNさんも腹を立てて、私は午前三時頃一人でタクシーに乗って片町スクランブルあたりより会社に戻り、トラックの中で一時間ほど経ってから(会社に着いて)眠りました。
posted at 16:33:38
自宅に床屋から戻ったのは午後七時頃だったと思います。私は食欲もなく、それからすぐにYSN敏の自宅に電話を掛け今から訪ねる旨申し向け、彼の承諾を受けすぐに花里町の彼の自宅に向かい訪れたのであります。
posted at 16:35:18
「やっぱりダメやったか。ダメやと思っとったわい。お前が呼んどるってあの子に言った時、すごい嫌な顔しとったわい。あの子前縫い物してくれって頼んだ時、ちょうどあの子忙しかったらしくって顔曲げて(のような意味の方言)
posted at 16:36:11
嫌な顔で合図しておったわい。その時と同じような感じやったし、あぁ、こりゃダメやなってすぐ思ったわい。そしてあの子なかなかお前や呼んどるってゆうたら返事せんかったわい。
posted at 16:36:33
まあせっかくやし、行くだけ入ってやればってゆうてやってんけどな」などと感情たっぷりにうれしそうにYSNは申しておりました。私はYSNに前日の夕方に拾ってきたプレゼントを差し出し、24日に出社したときに彼女に渡してくれるように頼みました。
posted at 16:36:59
最初、YSNは渋ると思ったので私はもはや他には方法がないと諦め、「事務所で誰がおってもかまわんしIHKさんに渡して彼女に渡してくれるよう頼んでくれ」などと私は池田の顔を立て且つもっとも簡単な手段をYSNに頼んだのですが、
posted at 16:37:39
あとになるとそれはやはり軽率であってまたしても彼女を傷つけることになりかねないと思い直し、YSNのご機嫌をとってそのあとで前言撤回の上、
posted at 16:38:32
彼女を人目の付かぬように呼んだ上で、「Aちゃんのこといい加減な女やと思っとらんし、頼むしもらうだけもらってくれ」と頼み、それでもダメなら無理強いしないでくれとYSNに頼んだのですが、
posted at 16:38:58
YSNはあまり真剣には聞かず、それでも返事だけはしっかりと何回もしていたので私は承知してくれたものとばかり思い、肩の荷がようやく下りた気持ちになっていたのです。
posted at 16:39:06
また、その会話の途中突如YSNにMHKから電話が掛かり、ytkが喧嘩をして怪我をしたので代わりに豊橋に行ってくれと頼まれたらしく、YSNは仮眠をして夜中二時頃に出発すると云ったので私はそれからすぐにおいとまして自宅に帰ったのです。
posted at 16:40:54
また、私が初めてYSNの妻の顔を見たのもこの時でした。出産直前でもありました。
posted at 16:41:01
(実況中断)重要なことで抜けていることがいくつかあるみたいです、vimでF12送信しているのですが、カーソル移動で、キーを打ち間違え、変なところに飛んだりしているので、飛ばしてしまっているのかもしれません。全体的に思ったより詳しくないのですが、これは他にも理由があります。
posted at 16:44:12
(実況再開)眠いですが、がんばるもん、で続けます。
posted at 16:52:34
十二月二十四日 当日私は池袋インターから首都高速に乗り東北道を通って午前九時か九時半頃に古河青果市場に入り、青果物を積み正午頃に出発しました。
posted at 16:53:25
初めに彼女が出て次に東度にかわったのです。この時私は風邪をこじらせて特にのどの調子が悪く不機嫌な声になっていたのは致し方ないのですが、この事もIHKやTYNに存分に利用されたように思います。
posted at 16:54:03
初めに彼女が出て次にTYNにかわったのです。この時私は風邪をこじらせて特にのどの調子が悪く不機嫌な声になっていたのは致し方ないのですが、この事もIHKやTYNに存分に利用されたように思います。
posted at 16:55:27
この時のTYNは妙にやさしく、同情に堪えないと云った深刻ぶった感じでした。これは当時何度も見られたTYNの態度の特徴の一つであります。
posted at 16:57:39
とにかく深刻ぶることにより相手方に不安を与えるのがTYNの常套手段で、MHKはよりソフトにその傾向を有するものであります。この時の彼女は私の言葉を待つようにして、そして本当にすまなそうでした。
posted at 16:58:03
そのあと私は、午後11時30分頃か12時30分頃仕事を終えて自宅に向かう途中、長田本町と大豆田本町の境あたりの路上で、なにか白い塊のようなものを走行中にてまたいだのです。(自分の軽四アルトワークス)
posted at 16:58:36