#h6_k 判決を下したのが同じ小島裕史裁判長だったということです。さらに第三者の供述調書を重視したという点も似ているかと思われます。ただし、自分の事件とは決定的な違いもあります。それは自分の事件の場合、冤罪ではありません。しかし、誤判という意味では、やはり共通性のあるのではと
posted at 00:01:46
#h6_k 思っています。警察の対応にも似たような疑問を感じるのですが、とにかく犯人を有罪にすることを最優先にし、必要十分に事件を吟味したとは思いがたいところです。そのあたりは岩手の事件で@kuroki_akioさんが積極的に取り上げている問題とも通じるところがあると思えます。
posted at 00:05:21
#h6_k 私は今、Twitterやブログで自分の事件のことを書いていますが、これは出来るだけ多くの人に読んで考えてもらいたい問題だと思っています。ブログを書いている頃、意味が分からないとかわかりにくいというコメントをいくつかもらったことがありました。答えになっていないのかも
posted at 00:15:25
#h6_k しれないのですが、自分自身理解に苦しむところが多いのです。また、私の方から疑問点について、具体的な指摘を求めてきましたが、これに答えてくれるような反応もほとんどなかったと思います。しかし、最近になって自分自身の考え方も変わってきました。誤解を恐れず簡単に言うと、
posted at 00:18:37
#h6_k 個々の警察官、弁護士、検察官、裁判官の事情と資質も問題です。事情というのは個人的な事情と職場環境に分けるべきかもしれません。職場環境という意味では、制度上の問題もあると思います。これも誤解を恐れず、簡単に言えば、彼らは簡単に被疑者の思い込みとか、都合の良い言い訳と
posted at 00:30:26
#h6_k とらえたのかもしれません。私にしてみれば信じ難いことだったので、余り真剣に深く考えないまま、時間を無駄にしてきたような気もしています。これは、被疑者という立場に限った話ではないと思います。未解決の事件の被害者の遺族においてもどこか共通するところがあるように思えます。
posted at 00:34:47
#h6_k 犯罪被害者の遺族が事件の真相を求めるのは、常識と言ってもよいと思います。自分の事件の場合、幸いにして遺族にはなりませんでしたが、意識不明の状態が2ヶ月ほど続き、死亡する可能性が高い状況でした。事実上、捜査も裁判も被害者不在の状態で完結したので、まさに死亡事件に近い
posted at 00:41:43
#h6_k のではないかと思います。しかし、控訴審は事情も異なっていたはずです。手元で資料を確認せず、今の自分の記憶だけで書くので正確でないところもあるかもしれませんが、平成4年の9月頃、控訴審が始まった頃には、被害者はリハビリ専門の病院に転院していたはずです。
posted at 00:45:42
#h6_k 被害者本人の話というのは全く重視されませんでした。重視以前に一切裁判には提出されていなかったはずです。6月の終わり頃には意識は戻っていたはずですが、記憶ははっきりしておらず、その後の回復の程度というのも、私には一切知らされませんでした。
posted at 00:48:49
#h6_k 時間と紙面の都合もあり、一足飛びしますが、私が被害者と最後に接触を持ったのは平成18年10月の始め頃のことです。私は平成15年から被害者や両親の実名も記載して、ネットで事件のことを書いていました。そのことは金沢地方検察庁も熟知していたはずです。関係者の殺人未遂事件
posted at 00:53:41
#h6_k での告訴に向け、金沢地方検察庁に頻繁に連絡をとっていた頃のことで、当時の担当者は遠塚という人でした。告訴を実のあるものにするには、被害者家族の理解と協力が不可欠だと考え、遠塚さんに被害者の自宅を訪問すると話しました。全然反対はされず、協力が得られるのであれば、
posted at 00:56:56
#h6_k 金沢地方検察庁に直接来ていただき話をうかがうことになる、などとも言われていました。このあたりの詳しいことは、現在プライベートモードに設定してあるHatena::Diaryのブログに、当時の記事があるので、匿名に編集してご覧いただけるようにしておきたいと思います。
posted at 01:00:08
#h6_k 普通に考えて私が訪ねてくることは金沢地方検察庁から連絡が行っていたと思うのですが、正直なところ、こんなことも信じられなくなっています。直接訪問するしか手立てがなかったのは、自宅の電話番号が非公開になっていたからです。以前電話で了解を得て、出した手紙も未開封のまま
posted at 01:11:25
#h6_k 送り返されていました。いずれも金沢刑務所を満期出所したあとのころです。その前は、PHSの携帯電話の番号まで教えてもらい、積極的に話を聞く姿勢も窺えていたのですが、それが平成11年8月の事件となってしまい、私は平成13年12月31日まで服役していました。
posted at 01:13:42
#h6_k 自宅にはインターホンがついていたのですが、出たのは彼女だと思います。いや間違いありません。3回ほど、「だれ」と呼びかけられたのですが、私はまともに受け答えをすることが出来ず、時間が経ってから父親がなかから出てきました。いろいろと考えてしまうこともあるのですが、
posted at 01:17:11
#h6_k 現実的な問題として考える余裕もなく、時間を過ごしてきました。考えれば考えるほど、捜査や裁判に対する疑問がふくれあがってくるからです。自分のことでさえ、こんな状態なのに、これを他の誰かに理解を求めるというのは、いっそう困難なことに思えてきます。昨年の9月か10月頃には
posted at 01:21:26
#h6_k 金沢中警察署に電話を掛け、藤井刑事課長と話をし、自分が書いた手紙を被害者の父親に渡して欲しいとお願いしました。内容を読んだ上で検討します、という返事はもらったのですが、これもどうにも引っかかりがあって実行に移すことは出来ませんでした。なぜなら、父親が何より不満と
posted at 01:23:50
#h6_k 不信を持っているのは、石川県警と思えてならなかったからです。そういう感情的な問題を別にしても、立場的に拒むのではないかと思えました。私は自分のことだけでなく、被害者やその家族の気持ちや立場も世間の方々に理解していただこうと努力してきたつもりだったのですが、無視という
posted at 01:27:05
#h6_k 最大最強の対応しか、受けることが出来なかったと思えるからです。ある意味、それは裁判や司法に対する信頼の裏返しと考えることもあるのですが、警察・検察に対する不信や批判を目にするたびに、複雑な気持ちになることもあります。
posted at 01:31:07
http://ow.ly/21u21 ここで山口成良金沢大学教授は、被害者が会社の裏駐車場に自分の車を駐めていた行動を、些細なこととしているが、同時に、一度自宅に電話することを了承しながら、駐車の行動とともに一切電話に出なくなったことにも全く触れていない。 #h6_k
posted at 11:07:14