以下の記事はHatena::Diary(2006-10-05)からの転載になります。
■[告発事件]AAさんの家に行ってきたご報告(2006年10月5日)
ひとまず結果を出すことは出来たと思います。次に繋げるステップアップという意味ですが。
金沢で時間を調整し、AAさん宅の玄関に立ったのは、ちょうど20時頃でした。緊張していましたが、さけることの出来ない道だと腹を括っていました。
玄関先の駐車スペースには車が止まっていたのですが、玄関の電気がついていないばかりか、奥の方からも電気がついている様子は窺えませんでした。
インターホンを30秒おきぐらいに3回ほど押しました。呼び出しだけでなく会話の出来るものです。出る様子も、人がいる気配も感じられなかったので、たまたま家族で外に食事に出掛けているのかと考えました。
しばらく一時間ぐらい、時間をつぶして出直そうと考え、玄関先を2,3メートル離れたところで、インターホンから声がかかりました。
間違いなくAAさんの声だったと思います。後遺症のため、言語障害が残っているようです。市場急配センターにいた頃の、事件前の声とは別人のようですが、平成11年8月7日の夜も、彼女の声は聴いていました。
その時は、何を話しているのか分からない声で、母親の方が、「A、出たらダメよ」と言っていたのです。
その時に較べると、十分聞き取りの出来る声だったと思います。確か、「誰?」と間をおいて3回ぐらい繰り返していました。怪訝そうな素振りはなく、落ち着いた声でした。
とっさに、私が応えた言葉は、「おうかがいします。」で、これを2,3回繰り返しました。
少しすると物音が聞こえ、彼女と父親が短く言葉を交わす声が聞こえ、父親のAKさんが、玄関先に出てきました。
それから、玄関先の外の方で、正味、長くて15分ほど話しをしました。車に乗ってAAさんの家をあとにしたのは、私の車の時計で20時18分でした。この車の時計は、2,3分ぐらい時刻がずれているはずです。
細かいことは、あとで別のエントリで書きますが、相変わらず電話番号は電話帳に掲載されておらず、全く突然の訪問でした。
もっとも金沢地方検察庁の遠塚さんには話しをしていて、連絡を入れておいてくれるように一応頼んでおいたのですが、それは出来ないと断りを受けていました。
しかし、実際には、AKさんの方では連絡を受けていたのか、まったく驚いた様子も、意外な様子もありませんでした。