事件、裁判に関与した弁護士の一覧(gooブログ過去記事より転載) | 廣野秀樹\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(金沢地方検察庁御中)

廣野秀樹\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(金沢地方検察庁御中)

 殺人未遂事件として木梨松嗣弁護士、長谷川紘之弁護士を金沢地方検察庁に刑事告訴手続き中 (さらば弁護士鉄道\泥棒神社の物語)

 市場急配センター(石川県金沢市)の組織犯罪と加担、隠蔽をした弁護士らの物語(事実)。

 以下の記事はgooのブログの過去記事(投稿日時:2005-11-30 23:25:14)から一部関係者の実名部分を修正して転載しました。

 仕事が終わり、ご飯の支度をして片づけを済ませるとこんな時間になりました。いつも夕食を食べるのはもっと遅く、22時を超えることが多いぐらいです。スーパーから惣菜など買ってきた方が早いのですが、今日はちょっとおかずを作りました。
 休日以外は、こんな生活の毎日です。
 新規にトラックバックも入っていて、つい先日「国策調査」という言葉を知りました。ネットで検索を掛けて調べたのですが、明確な意味は見つかりませんでした。なにか鈴木宗男議員の問題などを取り上げた本の中から出た言葉のようです。
 この4文字から想像するしかありませんが、国家が行う陰謀的策略のことなのでしょうか。策という字も、使い方によって、「施策」、「策定」、「方策」などは穏やかな印象を受けますが、「策略」、「策士」、「術策」となるとかなり危険な響きがあるかと思います。

 今日も夕方になって、アクセスが少なくなっているようです。日中も昨日ほど多くはなかったようで、大学機関からのアクセスも今日は一件も確認できていません。夜遅くになって、ちらほらアクセスが増えるのは、お仕事の関係なのかと想像しています。

 君子危うきに近寄らずというのか、一般の方々には、敬遠されているのかもしれません。司法の問題点、というタイトル自体に堅い話、難しい話、まして素人なので読む価値なし、というような判断がなされているのでしょうか。どうしても肩書きや知名度が必要で、それだけで判断されるとなると打つ手なしです。
 今日は、朝早くを除き、今のところ他のサイトにコメントもトラックバックも入れてはいません。しかし、ログを信じる限り、このアクセスの少なさというのは無関心の反映であり、危ないという印象が大きくものを言っているのかも知れません。

 そこで、要点をいくつか説明しておこうと思うのですが、私はこれまで検察を主体に記事を書いてきたかもしれません。実際問題として、検察に対する不信、無関心は私の不利益にも直結するものだと考えています。
 しかしながら、もっと強烈なかたちで、検察への不信を露わにしたり、批判するような記事はまったく珍しくはなく、巷にあふれているという印象を受けます。真実、最高権力としての検察の真偽を問うのであれば、当サイトも無関心ではいられないはずかと思えます。
 共謀罪の成否など治安立法の強化に対する関心自体が、予想以上に低いことなどを見ても、どちらかと言えば、治安の強化を国民は望み、お上に任せて、よしとしているのかもしれません。
 その検察、具体的には現在の私の問題の担当者である金沢地方検察庁のハラさんは、「検察はスーパーマンではありません」と言っていました。開き直ったような発言にも聞こえますが、それだけ社会は複雑多様化し、手に負いがたくなっているのかもしれません。一方的に、権利を主張するだけで、あとは任せっきり、放任して、なにも自分で考えようとしない国民が大多数となれば、まことに困ったことだと認識されているのかもしれません。

 私は前に、このブログサイトの投稿記事で、告訴事件云々の見解を示しました。しかし、それも咀嚼しがたい割り切れなさの残るものでした。同じことを繰り返し考えていくうちに、別の見方が頭に浮かびました。
 これはもともと基本的な考えだったのですが、やはり検察も告発という意義を重視し、それがあまりにも軽視されている現状に、戸惑いと躊躇を深め、あのような「告訴事件」という表現を使ったのかもしれません。
 私は、告発を始める直前か、直後に石川県警察本部に電話を掛け、告発についてお尋ねしました。電話の声ですが、年配の温厚な感じの人が、「この社会でこのような不正、不正義が行われていていいものか」というような不満、もしくは苦情を訴えかけるような手続きであると、味わいのある言葉で説明を受けました。

 あるいはこのような攻撃性も人を遠ざけ、関わりを避けさせてきた要因なのかもしれません。しかし、事後になって、被害を受けたとき、同情、同調を要求するような感情論で、警察の対応を非難するという印象の事件も少なくないばかりか、決まってこのようなパターンとして、マスコミが定型的に報道している姿勢にも疑問の念を禁じ得ません。
 ある弁護士は死刑反対論者であったところ、事務処理の過程で逆恨みを受け、妻が殺されるという被害に遭い、猪突猛進という印象で、加害者の死刑を求めている言う報道に接したこともありました。
 松本サリン事件の容疑者にされた河野さんにしても、警察を批判、論難しているという印象が強くあります。再発防止に関する警察捜査に対する理解の姿勢を窺うことは、マスコミ同様ほとんど感じることが出来ません。何かの宣伝に利用されているような疑問さえ、感じるほどです。
 レベルにあわせる、というのもマスコミの基本姿勢なのかもしれず、真実マスコミが私の問題を無視しているのであれば、そのような解釈は当を得たものと言えるでしょう。
 しかし、そのマスコミの対応も足並みの揃ったもので、全体的な方針、相違のようなものが窺えなくはありません。
 そのマスコミ自体も、NHKに代表されるように不祥事など不信、疑惑の的にさらされています。

 この問題は様々な過程を経て、今日に至っております。そのすべてをここで紹介するのも無理がありますが、大雑把に言うと、正式裁判、再審請求という裁判所を相手にする展開から、検察へと移ろいで来ました。
 検察を指名したのは、私自身の意思によるもので、本来は警察という方法もあり、実際AKさんは、警察へと私を導こうとしていたようです。
 なぜ、私が検察を選んだのかというと、理由はいくつかあるのですが、一つは国の機関という独立性です。大雑把に説明しますと警察の大半は地方公務員のはずです。間違いがあるかもしれませんが、警察署長クラス以上が国家公務員になるはずです。
 いわば地域に密着しているわけです。言い意味でも悪い意味でも。実際、昭和20年代は国の警察と、地方の警察は別物として分かれていたはずです。都道府県をまたがった捜査というのも昭和の終わり頃か平成の初め頃までは、ほとんど実施されておらず、実施しても縄張り意識などで、ぎくしゃくと円滑には進まないと週刊誌等で見た記憶があります。
 ちなみに刑務所の職員は全員国家公務員だと聞きました。
 この件につきましては、I運送やK運送の組織犯罪の可能性を意識し始めた時点で、私はすぐに法務大臣に情願書を送り、徹底した調査と調査団の派遣を要請しました。まだ、福井刑務所に行く前のことで、平成5年頃の話です。当時の法務大臣は強硬で知られた後藤田法務大臣でした。警察官僚の出身だったような記憶もやや曖昧ですが残っています。

 このように書くと、裁判所、検察、警察という国の機関が主導的であったという印象を受けるかと思いますが、当事者としての私からすれば、むしろ主導的であったと考えられるのは、弁護士です。弁護士が国を動かしたというのが真相なのかもしれません。
 このあたりも具体的な説明を済ませておこうと考えているのですが、先に関与した弁護士の名前を挙げておきます。

(平成4年傷害・準強姦被告事件)
第一審 金沢地方裁判所 岡田進 金沢弁護士会所属
控訴審 名古屋高裁金沢支部 木梨松嗣 金沢弁護士会所属
上告審 最高裁判所 斐川雅文 東京

(民事裁判)
長谷川紘之 金沢弁護士会 原告側代理人

(個人的弁護相談)
 西村依子 金沢弁護士会所属
 畠山美智子 金沢弁護士会所属 同弁護士会からの紹介
 小堀秀行 金沢弁護士会所属 相談料1万円(消費税別)
 若杉幸平 金沢弁護士会所属 弁護士会会長の経歴あり、被告訴人OKNの紹介

平成11年傷害事件
当番弁護士 名前記憶になし 元検事と話していた。比較的若い人。
第一審 野田政仁 金沢弁護士会所属
控訴審 小堀秀行
上告審 山口(記憶忘れ)東京。東京都渋谷区桜ヶ丘の法律事務所だったような

 今回はざっとこれだけご紹介させて頂きます。個別にはどれも説明済みのことがほとんどのはずですが、ホームページ(http://www.hirono-h.net/)のリンクにあるファイル、データベースには出ていないものが含まれているかと思います。

 西村依子弁護士は現在独立されているようですが、当時は金沢では一番に人数が多いぐらいの法律事務所の所属でした。合同法律事務所という名前だったかもしれません。飛び込みで電話を掛け、訪問しましたが、相談料は要らないと言われました。
 共産系の弁護士事務所として有名だったようです。木梨松嗣弁護士も共産系と福井刑務所のなかで噂を聞きましたが、真偽は不明です。金沢には梨木作次郎という有名な弁護士がいるそうですが、あるいはそちらと名前も似ていることから混同されているのかもしれません。今金沢弁護士会のホームページで確認したところ、梨木弁護士は引退されたようです。想像ですがかなり年配なのかもしれません。

 いずれにせよ、関与している弁護士は共産系の可能性が濃厚なようです。刑務所でも共産系の弁護士は、国家に敵対して力になってくれると評判がよかったようです。

 木梨松嗣弁護士に電話をしたのは、平成11年の2月頃が最後でした。相談したいことがあれば、いつでも電話をしてきていい、といわれたのですが、それっきりです。また、この木梨松嗣弁護士だけが私撰弁護人でした。

 被告発人TSK会長が、平成9年1月終わりぐらいの電話で、弁護士を紹介してやるといい、具体的な名前まで出していたのですが、記憶にとどめようと意識しすぎたことで、かえって記憶に残すことが出来ませんでした。
 これは夜に掛けた電話でしたが、同じ頃、岡田進、長谷川紘之、木梨松嗣の弁護士事務所にも電話を掛けましたが、いずれも弁護士本人は不在だといわれました。長谷川弁護士だったと思いますが、会話のなかでご本人かもしれないという印象を受けました。私のことを知っているといい、詰るようなことを言っていたからです。
 また、これは重要なことかと思うのですが、古川龍一判事が、福井刑務所に本人尋問に来たとき、原告代理人弁護士の姿はありませんでした。もちろん原告や家族の姿もありませんでした。これで3600万円もの賠償判決が出たこと自体が、常識で考えられないことです。言葉を悪くすれば、まさしく八百長裁判。
 この判決は平成7年中、夏か秋には出ていたはずです。控訴などしていないので、刑事事件と同じであれば、判決が出てから2週間で確定しているはずです。
 平成7年といえば、1995年になりそうです。ちょうど10年前、既に請求権の時効は迎えているようだと最近になって気がつきました。250万円も弁護士費用を払ったというのに、なんのための裁判だったのでしょう。
 このあたりも後日、重点的に書きます。

 一度にはとても書ききれないので、折を見て、機会に触れて、具体的なご説明も書いていく予定でいます。カテゴリの分類はまったく当てにならず、後日、分類や割り当てを全面的に変更する可能性がありますので、ご理解願います。