早稲田を歩いていると

いつもお参りする地蔵さまがいます

 

その名も

「落馬地蔵さま」

 

 

徳川三代将軍家光公が落馬した際に

土橋の下よりこの地蔵さまが現れ

公いたく畏怖して祀ったという

伝えがあります

 

鉄馬にのる私は

この地を通るたびに

落馬しないように

手を合わせているのでした

 

さてさて

 

この地から弁天町へ歩くこと10分程度で

「漱石山房記念館」がありまして

 

今日は時間があったので

入館しました

 

 

この地で漱石は

明治40年から亡くなる大正5年まで過ごし

 

「坑夫」「三四郎」「それから」「門」「道草」「こころ」を執筆し

「明暗」連載途中に胃潰瘍で亡くなりました

 

館内は主に漱石の手紙や初版本が展示されていたり

漱石が過ごした書斎も再現されています

 

見学したあとの感想は

 

後世に文豪と敬われる漱石も

あまり楽しい暮らしをしていなかったのかもと

と思うのでした

 

そもそも

作家であるがために

自己肯定感に乏しく

癒されることのない神経質な苦しみに

さいなまれていたような気がして

なりません

 

幸せって

難しい

 

つかもうとすると

陽炎のように逃げてゆくもの

 

なのかもしれません