昨日は私の上司というか長年お世話になった指導教官の先生のお見舞いに六甲の施設まで行ってきました。
大学を退職されて30年近く経ちます。
元々は九州大学理学部物理の教授でしたが、
御年90歳ほどで、今は阪大の名誉教授です。
現在神戸にお住いの当時の秘書さんが最近私に近況を報告してくれて、一緒に行きましょうということで実現しました。
この先生とはとても長い付き合いで、
というか私の人生を左右された先生で、とてもお世話になっています。
大学4年で九大理・物理の卒研生として研究室に配属となり、時は進んで九大の博士課程の学生だった私を上手いこと?というか一切阪大ということを告げず「助手の採用があるから」ということで言いくるめて中退させ、阪大の助手として連れてきた先生です(笑)
私としては
「(地元の)九大の(出身校の)理学部物理の助手になれるんや!ラッキー」
と思っていたのですが、蓋を開けてみると全く違っていました(笑)
阪大はとても良い大学なので、どうのこうのというのではなく、
ただ単に私が福岡大好き人間がため、当時は騙されてしまった感がぬぐい切れませんでしたね(笑)
そのことを昨日も自ら言っていたのには、まだまだ大丈夫かな?と、とても喜ばしく思いました。
(在職中、私がいつも九州の大学に帰ると言っていたので(笑))
ちなみに、奥様は数年前にお亡くなりになり、神戸の芦屋の自宅でひとりて暮らしておられましたが、
2,3年前?、私に全く同じ内容で同じ日に何度も繰り返し電話をかけてくるようになり、そろそろヤバいかなと?と思っていた矢先に全く連絡が取れなくなってしまいました。
1年ほどして、東京にお住まいの娘さんから当時の研究室秘書さんに連絡があり、この施設に入居しているとのことが判明。
私も肺がんその他でなかなか都合がつかず1年以上経ちましたが、ようやく昨日一緒に施設に行くことができました。
当時の技官さんも一緒です。
彼は現在私が阪大で雇用している方で研究を手伝っていただいていますが、
遠いにも拘らず一緒に来てくれました。
でも、行ったはいいけど、
先生に
「お前誰や?」
と言われたらどうしようか?
とかなり不安に思っていましたが、
さすがに学生時代の大学4年生の頃から始まって、阪大時代もご自分の退職まで一緒に苦労をしてきた奴の顔は忘れなかったようですね(笑)
東京にお住いの娘さんは、いきなり日頃会えない方が来てどうなるかとかなり心配されていたようですが、元秘書さんが和やかな雰囲気の写真を送ったようで安心されたようです。
こちらとしても思い出してくれて安心しました😅
ちなみに、
私の顔を見るなり手を差し出して握手を求められたのですが、
「先生!私、誰だかわかりますか?」
の質問にも
「わかるよ!****だろ!」
の言葉にホッとした次第です。
波があるようですが、たまたまいい感じのときに行ったのかも知れませんね。
でも終始和やかで、笑顔を浮かべていたことをとても嬉しく思います。
学生時代は、夏になると福岡の三苫の海岸近くにご自宅があったので、毎年、海水浴とバーべキュー。
当時の話も少ししましたが全て覚えていらっしゃいました。
私は両親を早くにして亡くしたため、またカミさんのご両親もこれまで元気でいるため、考えが全く及びませんでしたが、
肺がんサバイバーとして、万が一死ぬときのことを考えて終活を考える以前に
「自分を見失ったときのことも考えて、終活についてはしっかりと考えていかないといけないなあ」と強く考えた一日でした。
また、自分が死んで亡くなるよりも増して、そちらの方が残された家族にとってはとても大変なことだなぁって思った次第です。