こんにちは。
じゃなくて、もう、こんばんは?(笑)
毎週週末は家内の専属運転手および荷物持ちを兼ねて豊中市の千里中央っていうところに買い物に行きますが、なんだか太鼓の音が聞こえるぞ!
っと思っていたら、今日は救急(9月9日)の日なんですね。
うちのお隣さんのご主人は豊中消防署に勤めていて、今朝は何やら朝早くからガチャガチャとうるさく(笑)、ドアの開き締めの音も何度も聞こえていました。
思い返せば、私も2年前の9月には、肺がんをあっさりと告知されて気持ちは救急状態でした(笑)
で、少し当時の告知のときのことを思い出すと同時に、母のときのことを思い出してしましました。
昔、私の母が胃がんで亡くなった頃は、患者本人にはがんであることは全く伝えていなかったと思います。
私は当時小6の小学生だったので詳しいことは一切わかりませんでしたが、私の母も、入院&手術して、時間が経って治癒さえすれば直ぐにでも家に帰れると思っていたように思います(私もそう信じていた。というか帰らぬ人になるなんて考えてもいませんでした)。
今年の4月に亡くなった姉は、当時ずっと病院で付き添っていましたが、たぶん本当の病名も聞かされていたと思います。
今に思うと、さぞかし辛かったでしょうね。
まあ、今頃はあちらの世で母や娘とも会えて、楽しくやってくれていると思います😊
しかし、
母(というか、当時は子供だったので、「お母さん」としか呼んだことありませんが)にしてみたらずっと、医師が手術前に説明した病状と、なんか違うんじゃないの?という疑問を抱いていたかもしれませんね。
私はまだ幼かったので、聞かされていませんでしたが、ある時点で母にも自分の病状が告げられたのだと思います。
ある時を境に急に、一度病院のベッドで一緒に添い寝したことがありますが、私の名前の名づけの由来やその他色々を話し始めてくれて、そのときのお母さんの話が無かったら、おそらくというか間違いなく今の私はおりません。
そういう意味では、残されたというか、この先どうなるかわからないけど、しっかりと自分の病状を知らせてくれて、その後の自分や周りの人生をしっかりと考える機会を与えられるということは、とても大切だと思うし、私にとってもとても良かったと思います。
またこうしてブログ発信して、役に立つかわからないけど、少しでも参考になるかもしれない情報を提供できるのであれば、それはそれでよいですよね。