こんにちは.

 

昨夜探し物をしていて,

自宅の机の引き出しをことごとく開けていたら

なんと!思い出?の品が(笑)

 

これなんだかわかりますか?

 

20数年ほど前,

私の体の一部として体重を支えてくれていたものです.

 

前に,脚を骨折をしたといいましたが,

骨折をした左脚の脛骨に取り付けられていたプレートです.

 

 

 

 

手術をしてくれた主治医の先生からは,

 

「術後1年ほどしてプレートを外します(抜釘)」

 

と言われていましたが,

とにかく埋め込まれたネジの先端が筋肉を引っ掻くのか?

 

痛くて痛くて,

ギブスが外れてからというもの,

とにかくこのプレートもとってもらいたいの一心でリハビリに努めました.

 

刺激を加えないと骨は再生しないということだったので,

気合を入れて体重を骨折部になるべくかけられるよう,

ギブスで固まってしまった膝関節の筋肉のリハビリを気合を入れて行いました(笑)

 

骨折後ギブスで固められた後の筋の状態は,

経験された方ならお分かりだと思いますが,

完全に硬直していて,

無理に伸ばそうとすると,

筋が切れそうなくらいの痛みが発生します.

 

私は,

学生時代に顎の骨を折った経験などもあり,

そのときは一月ほど上顎と下顎をワイヤリングして完全に閉じられてしま子,

ワイヤーが取れたあとは当然のことながら全く口は開きません.

 

ワイヤリングされていたときは

流動食で,7kg程痩せてしまいましたが,

外れたときにはとにかく何か固形物を食べようとうどん屋に飛び込んだのですが,

麺をすするにも口が開かない状態!

 

あのときばかりはさすがに泣きたくなりました.

 

そんなこともあり,

毎晩,車のブースターケーブルのプラグを口の中に突っ込み毎日リハビリ,

折角接合した顎の骨がまた折れるんじゃないかと思うほど

涙流しながらリハビリを行いました(笑)

 

ただ,人間が自分でやる限りは決して

そのようなことは起こりませんのでご安心を.

 

ただ単に痛みに耐えてやるだけです.

そして,とにかくそうやってリハビリをやっていれば,

一日わずか数ミリずつでも確実に口が開くようになる経験をしています.

 

この時と同じように,

脚のギブスが外れた時も,

膝の角度は目いっぱい伸ばして160度くらい?

 

筋が切れそうなくらい,

毎日自転車のチューブを使って膝関節と足首関節のリハビリを行いました.

 

そのおかげで,

わずか1週間か10日ほどで普通に歩けるようになり,

 

なんと!

3カ月目のレントゲンでは骨折部の骨がほぼ融合!

 

4か月目にして抜釘手術まで行っていただきました.

 

先生が言うには,

 

「こんなに早く抜釘した患者さんは見たことがない」

 

そうです.

ちなみに,その間私がやっていたことをいろいろと聞かれました.

(たぶん学会発表のデータ収集かな? 笑)

 

ちなみに,

このときは仕事中に,

ステンレスのアングル架台の上に取り付けた

重心がとても高くて,

重さ400kgほどある実験装置を学生と二人で移動させていたのですが,

アングル下部に取り付けていた小さなコマ(車輪)が

床のちょっとした出っ張り(障害物)に引っ掛かってしまい,

その時後ろ側からおしていた学生が,

動かなくなったので装置の上部を力を込めて押したため,

手前にいた私の方に見事に倒れ掛かってしまいました(笑)

 

1千万はする装置だったので,

どうにか自分の力で転倒を防ごうと咄嗟に思ったのですが,

さすがに400kgの重さには負けてしまい,

私の左側の下肢脛骨の上にアングルが乗っかってしまいました(笑)

 

とりあえず救急車を呼んでもらい,

救急隊員が来る間に学生5~6人に,

丈夫な金属アングルや木の角材を探してもらい.

てこの原理で彼らに装置を浮かせ間にブロックを挟み込むことで,

どうにか下敷き状態から解放されました😅

 

人間ってやはりバカですね.

いざというときは自分の体よりも

1千万円の装置を死守してしまいました(笑)

 

装置の方はというと,

軟着陸したおかげでその後10年ほどは現役でバリバリ頑張ってくれて

よい実験データも出してくれました.

 

 

ちなみに,このときは労災扱いだったので,

入院その他の処置費用に関しては全く支払う必要なく

いつまで治療を続けてもよかったのですが,

上述したように,とにかくネジの先っぽが筋肉組織を引っ掻いているようで

痛くて痛くて耐え切れず,

気合を入れてリハビリを行いました.

 

その時以来,

痛くても苦しくても

リハビリはやればやるだけ効果があると実感しています.

 

その教訓が今回の肺がんの手術後にもしっかりと活かされました.

 

あっ!

一番言いたかったことを忘れていました(笑)

 

このときは当然附属病院もある吹田キャンパスで骨折したわけで,

救急車には来ていただきましたが,

たぶんうちの大学病院に入院かな?

と思っていたのですが,,,

 

とりあえず,

救急の入り口から中に運ばれました.

中には見るからに若そうなインター風の先生と年配の教授もしくは助教授(当時はまだ准教授とは呼ばれていませんでした)が4~5人.

あとは看護師さんが数名.

ベッドに寝かされて脇の下を持っているのが2,3人?

足を掴んで引っ張るのも2,3人?

 

骨折すると,

筋肉の収縮で骨がズレてしまうのか,

とにかく5,6名がかりで左脚を引っ張られ,

入院かな?

と思ったらまた救急車に運ばれました(笑)

 

それから,救急隊員の方が何度も電話をしていましたが,

どこも断られていたので,

私から市立池田病院はどうでしょうか?

(当時も豊中市に住んでいましたが,池田市と市境に住んでいたので)

とお願いして,

結局最終的に池田病院となりました.

 

まあ,私の変なこだわりかもしれませんが,

今思えば,

その時のうちの大学病院の対応もあり,

肺がんを告知されたときも,

なんとなくうちの大学病院は敬遠して,

市立豊中病院を選択したのかなあと思いました(笑)