僕の母方の家は、北海道稲作の祖である中山久蔵の養子で、現在わかる史料から中山平三郎を初代としてトマコマイ村で開拓を始めました。


中山平三郎の戸籍は苫小牧町で発生したコイノボリ大火で焼失したため、詳細はわかりません。そのため、出身地が確定されなかったのですが、先日の史料から仙台藩出身だとわかりました。


仙台藩の人だとしたら、やはりこの白老にあった仙台藩陣屋で中山久蔵と一緒に北方警備と開拓にあたっていたとしか考えられません。


そのときに中山久蔵にその働きぶりを評価され、明治の御一新で陣屋がなくなると、2人でトマコマイ村へ移ります。苫小牧は農業に適さないとして、久蔵は島松へ向かうものの、平三郎はトマコマイ村に残ります。久蔵は今で言うアラフォー。まだアラサーで前途洋々な平三郎を養子にして中山家の命運を託したのです。


ここに、一つの家族の、北海道開拓秘話が語られます。このように苦労して開拓したご先祖のエピソードを紐解くとき、僕には不思議とチカラが湧いてくるのです。


もう一度、白老の仙台藩陣屋跡に行き、中山久蔵と中山平三郎が見た景色を、僕も見たいと思います。


ちなみに、今後の研究対象としては、久蔵が稲作で成功した中で、平三郎はどうやって苫小牧で生きてきたのか。中山家の伝承や史料から中山平三郎と苫小牧との関わりを調べていきます。


※10月20日に北広島市芸術文化ホールにて、北海道150年と題して、中山久蔵と稲作のシンポジウムが催されます。僕のご先祖、中山平三郎のことも少々取り上げられるそうなので、ぜひお越しください。