我々が「純粋理念のアプリオリな外延へ」と立ち入るならば、我々は次のように言うことができるだろう。すなわち「人は純粋に(絶対に普遍的に)それら作用のスぺチエス的な意味本質を顧慮して、相関連する一方の作用を遂行できなければ、他方の作用も遂行できない」と言えるであろう。それどころか妥当性の理論からみても、ここには「法則的等価値の形での関連」が存立しており、したがって、理性的には「Sがある」ということを潜在的に認めなければ「このS」ということも言えないのである。(フッサール)「法則的等価値の形での関連」