ベルナルト・ヴォルツァーノのような深い見識を持った思想家を含めた大抵の論理学者は「名辞と言表の相違」について「本質的なもの」として見なしてきた。そして更に学問(論理学)が成熟すれば「彼らの見解が正しかった」とされるだろう。この両者の間には、たしかに「共通点」はあるが、その相違は「単に外面的なものにすぎない」とする考えは論駁されねばならないだろう。もっと正確に言えば「名辞的作用と完全な判断とは決して同じ志向的本質を持ちえない」のである。したがって、一方から他方への転移は「この志向的本質の内部に必然的な変化を巻き起こすこと」を我々ははっきりと認識すべきである。(フッサール)「名辞的作用と完全な判断とは決して同じ志向的本質を持ちえない」