時計の針が告げるのは・・・-アジ6匹 梅雨の中休みという感じで,いい天気だったので,前から誘われていたアジ釣りに行ってきました。エサ取りの小さなフグには苦戦しましたが,なかなか良い型(25センチぐらい)のアジ3匹をつり上げました。誘っていただいた方は6匹釣っていました。私の方は家族3人暮らしで,

その方は単身赴任だったので,3匹わけてもらい,都合6匹を持って帰りました。明日,調理してやろうと思っています鯵のムニエル,いやタタキ,塩焼,フライ,どうやって食べてやろうかな。



時計の針が告げるのは・・・-箱ふぐちゃん

仕事はまったくといってよいほどなく,左遷みたいなものですが,海は近いし,こうして釣りにも気軽に来れるので,結構なことです。誘っていただいた取引先の方から,いろいろと教えてもらったので,これかもどんどん釣りに行こうと思います。まあ,島ではほかにやることもあんまりないようですから・・・・。

今日のNHKクローズアップ現代は,国民幸福度指標がテーマだった。

幸福とは何か,これは永遠のテーマだ。

家族で食事をとりながら,しみじみ自分の幸福を噛みしめた。

家族そろって,楽しく夕餉をとることができるのが自分にとって,どれほど幸せなことか。

こんな辺鄙なところに異動を命じられたが,単身赴任ではなく,家族帯同で赴任できて本当に良かった。

毎日,ろくに仕事もないし,遊びに行くところもなく,島から出ることもできない,こんなところに単身赴任してきたら,ノイローゼになってしまうところだ。

思うに,幸せの極意は,「ほどほど」ということである。「中庸」なんて難しい言葉もある。

お金がたくさんあれば,盗られはしないか,もっと増やせないかと心配の種はつきない。あっちこっちの女性にモテモテならば,それはそれで大変だ。仕事も忙しすぎると嫌になるし,なければないで退屈だ。

要するに,なんでも「ほどほど」がよいのだ。

人は,この世の楽園を求め,さまよい歩いているが,実は,今いるこの場所こそが「楽園」であることに案外気づいていないだけなのかもしれない。

足元を掘れといったのは哲学者ニーチェだったかどうか知らないが,とにかく,不確かな将来や理想郷を探し求めるより,案外,毎日の暮らしを大切にすることが幸せにつながるのではないか。

嫁と娘,3人でささやかな夕餉を一緒に摂ることができるのは,本当に幸せなことだ。

昼休みに散歩をしている。

雑木林のなかを歩くだけだが,誰にも出会わず,野鳥の鳴き声だけが響いている。

道路の両側には,さまざまな草木が生い茂っている。

「雑草という名の草はない。すべての草には名前がある」と昭和天皇は仰ったと午前中に読んだ小説の中に書いてあった(有川浩著「植物図鑑」(小学館))。

自分も決して,温室育ちの蘭ではなく,道端に咲く雑草のようなものなのだが,他人から雑草と言われるのはちょっと癪に障る。

そう思って,見てみると,なるほど,雑草とひとくくりにするには惜しいくらい,さまざまな草木が生い茂っている。

都会であれば,植栽の種類も単調で,さして興味を引くことはないが,この島では,実に多種多様な草木があって,興味をそそられる。といっても,先日,桑の実を食べて,その素朴な美味しさにひかれ,なんか食べれそうなものはないかときょろきょろと辺りを見回しているだけなのだ。

それにしても,さりげなく草木の名前を口にして,その効用などを話題にできるのは恰好よい。私は,結構,野山を歩くのが好きなのだが,そうした知識はほとんどない。これを機会に植物や昆虫,星などの自然について詳しくなって,妻や娘に語ってみたい。

さっそく,植物図鑑をアマゾンで注文した。これで散歩がさらに楽しくなるとよいのだが・・・。

ちなみに,今日の昼休みの散歩の帰り道,枇杷の木を見つけた。結構,大きな実がたくさんなっていて,一つ採って食べてみたら,これも驚くほどうまかった。