出勤途中,保育園に行く途中の親子にであった。

なにやら,木の下でお母さんが,実をとって子供に渡している。

何をしているのだろうと興味がわき,聞いてみた。

「何か実をとっているんですか?」

「ええ,桑の実ですよ。今の時期はこれが楽しみで保育園まで歩いて行くんです。」

見ると,子供の手にはしっかりと実が数個握りしめられて,紫色になっている。

「へぇー,これって食べれるんですか?

「ええ,おいしいですよ。子供もこれが食べれるというと歩いて保育園までいくんですよ。」

試しに,枝から黒い実をとって食べてみると,イチジクを少し甘酸っぱくしたような味で,おいしい。

「うわぁ,おいしいですね」

「でしょ」

そういえば,この木の下で,小学生の女の子が何かとっていたような気がする。虫でもとっているのかなと思っていたのだが,この実をとっていたのかと合点がいった。

島の子供は幸せだなぁと思う。学校帰りにコンビニで買い食いはできなくても,道端に生えている木にはこんな美味しい実がなるのだ。

島の人に聞くと,子供の頃は当たり前のように食べていたという。

「もうすぐ,木苺や野イチゴなんかも食べれるようになりますよ。それと,サクランボは今もいっぱい落ちてるでしょ。」とこともなげにいう。

よくよく見ると,出勤途中に黒くて小さい実がたくさん落ちている。見上げると桜の木だ。おそるおそる食べてみると,小粒ながらサクランボの味が確かにする。

すごい!

帰り道に注意深く見ると,イチジクの木もある。

なんと実り豊かな島だろう。

帰り道に,果実をもいで食べるなんて,都会ではちょっと考えられない。

ここはいいところだ。



時計の針が告げるのは・・・-__.JPG さくらんぼです。見た目が悪いが,味はまずまず。





時計の針が告げるのは・・・-__.JPG 桑のみです。ちょっと珍しでしょ。ベリー系ですね。

先日,娘の通う中学校の授業見学があった。

離島の中学で,全校生徒数100人にも満たない小さな学校だ。

一クラスも20人に満たない。

授業は,アットホームな雰囲気で,学校というより「私塾」という雰囲気である。先生も,生徒を苗字ではなく,名前あるいはあだ名で呼ぶ。生徒も,先生に素直にわからないところを聞いたりする。とても良い雰囲気であった。

先生もベテランらしく,笑わせるところは笑わせ,生徒がちょっと集中力を欠いたり,悪ふさげが過ぎると,びしっと締める。メリハリの利いた授業であった。

3,4時間目に「進路講演会」というのものが講堂であり,全校生徒に対して,卒業生が来て,今の仕事を説明していた。これもなかなか良かった。28歳の漁師と30歳の1級建築士の女性が来ていたが,それぞれ,自分の仕事の魅力や進路について,生徒からの質問に丁寧に答えていた。

漁師というのはチョットすごい。しかし,なかなか普段,接することがない職業で,興味深かった。その方は,中学校の頃はサッカー選手になりたくて,高校もスポーツ推薦で入学したのだが,サッカー選手を諦めて家業の漁師を継いだという。誰にでもできる仕事ではないし,やはり,自分たちがこうした採らなければ,魚介類は食卓に上らないのだから,やりがいもあるし,誇りですと言っていたが,カッコよかった。自分の腕で飯を食っている男の自信がしぐさや表情に表れていた。建築士の女性は,中学校の頃,自分の家を建て替えた際,父親が間取り図を書いているのをみて,自分でもそれを書いているうちに楽しくなり,高校卒業まで毎日のようにそうした図面を書いていたという。それをみて,母親に建築士になったらどうかと言われて,今の仕事をすることになったという。

「14歳からのハローワーク」という本が一時,話題となったが,中学校の頃から,こうした話を聞く機会を持つのは良いことだと思う。

学校の勉強は大切だが,それだけがすべてではない。

要は,自分の得意なこと,好きなことを仕事にして,この世の中をどう生きていくかということが大切だ。

良い成績をとって,偏差値の高い学校に行って,大学に行っても,今の世の中,決して安泰ではない。それは「就活」に苦労する学生を見ていればわかる。

自分がしたいことや夢が見つかれば,勉強も苦ではなくなるし,必要があれば,人はどんなことがあっても学んでいくものだと思う。

娘よ,この自然豊かな島で,自分の将来を切り開いていけ。漁師でも,建築士でも,漫画家でも,デザイナーでもいいぞ。

やりたいことを思う存分やって,それが世のため人のためとなり,それで衣食を賄うに足りる糧が得られればそれで十分だ。決して,大儲けしたり,有名になったりする必要はないぞ。


仕事も落ち着いていて読書の時間がたっぷり取れる。

週に,5,6冊は読んでいる。

最近のお気に入りは,夏川草介著「神様のカルテ」「神様のカルテ2」(小学館)だ。信州の片田舎の地域医療に携わる夏目漱石好きの変わり者の医師が主人公の,彼と彼を取り巻く個性的な仲間たちの物語なのだが,自分と重ね合わせて一気に読んでしまった。

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「神様のカルテ2」の作中に「良心に恥じぬということだけが我々の確かな報酬である。」(セオドア・ソレンソン)という言葉が出てくる。その言葉が,24時間365日対応する地域の総合病院で奮闘する主人公とその親友の座右の右の銘となっている。家庭や自分自身の時間を犠牲にし,医療に携わる医師の良心がクローズアップされ,思わず,ジーンときてしまう。

自分も「その良心に従い,独立して職権を行い,この憲法及び法律のみ拘束される」(憲法76条3項)。待遇や報酬等について妙な考えが頭をもたげてきたときには,きっと,同じ言葉を胸に,この僻地の司法を支えていきたいと思う。

また,作中には,次のような一節がある。

「人間にはそれぞれの哲学というものがある。その哲学を櫂として,多事多難な世の大海を漕ぎ進んでいくのが人生である。人生がはなから不条理でできている以上,渾身の力を櫂に注いでも進めぬ時がある。進めぬときに余人の船に体当たりをかまして突進するのは,禽獣の道である。我々は人間である以上,お互いを慮って櫂を休めねばならないときもあるのである。」

この言葉も,自分の今までの所業を振り返り,ぎょっとさせられた。

医療とは何か,医師とはどういう職業か,人の生とは何か,死とは何か,様々なテーマが込められた,名作である。