論座 1月号 浜井浩一×山本譲司 対談(続き) | 女子リベ  安原宏美--編集者のブログ

論座 1月号 浜井浩一×山本譲司 対談(続き)

山本 「K-プロ」という運動があります。「警察プロジェクト」という意味で、知的障害者の親御さんたちが、知的障害者び特質を警察の人に知って欲しいと活動している。なぜそのような会が立ち上がったかというと、知的障害者が危険人物扱いされてるからなんですね。最近実際にあった事例では、障害者の子どもさんがいるお宅に所轄の刑事がちょくちょくやってきては、「息子さん最近、どうしてますか?」と聞いてくると。「いま元気に福祉作業所に行っていますよ」と言うと、「何月何日何時ごろはどうされていましたか」なんて聞かれる。よくよく話すと、どうも近所で下着泥棒が出たらしいと。(略)僕がかかわっている知的障害者で犯罪者になった人というのは知的障害があるから犯罪者になったわけではありません。原因は貧困です。あるいは劣悪な家庭環境です。

 山本さんの著書累犯障害者 を読んでいただけると「劣悪」ってこういうことかというのがわかります。「犯罪にいたる要因は家庭環境だ、社会のせいだ」という言説が陳腐化しているのは、よーくわかっておりますが、このアマゾンのレビューの驚くほどの5つ星連発がすべてをものがたっているのではないでしょうか。私なんて、39条ってやっぱりあったほうがいいんではと一瞬思いましたよ(苦笑)


浜井 理解できない人、訳がわからない人というのを不審者としてどんどん追いつめていく。孤立させていく。再犯にどんどん追い込んでいるようなものです。04年に奈良女児誘拐殺人事件を受け、06年度から性犯罪者に対して認知行動療法を行うようになりました。目的は再犯防止ですが、それが達成されるためには、大前提として社会のなかに彼らの居場所がなければなりません。居場所をつくったうえで認知行動療法を実施すれば再犯率は下がるという話なのです。どんなに一生懸命、性衝動をコントロールできるように訓練しても、社会の中に居場所がなければ教育効果なんてあっという間に吹き飛んでしまう。

 最近では更正というと、みんな心の問題だと思っていますよね。心の底から反省しているか、改悛の情を見せているかと。確かにそれは象徴的な意味としては大事なのかもしれませんが、人の心というのは社会的環境によって変わります。ずっと同じ心を持ち続けている人がいたら、離婚なんか存在しないでしょう(笑) 

 更正とは心の問題ではありません。社会が彼らの居場所を用意できるか否か。それにかかっているのです。

 謝罪も何も・・・・今日のご飯と住むところもなきゃ、無理ですよ、という当たりまえのお話。


山本 受刑者の処遇、厚生には当然税金が投入されています。累犯加重で120円のおにぎり1個盗んで、実刑2年という人も実際にいます。彼に対して、矯正予算として計600万円くらいの税金が投入されます。そんなにお金をかけるなら、福祉に使って、彼らの居場所を作ってあげたほうが安く済むんじゃないでしょうか。いま政府は一生懸命生活保護の受給者をしぼっていますが、生活保護のほうが安い場合も絶対に安い場合もあると思います。

浜井 イギリスの刑務所は1人の受刑者を1年間抱えるコストが700万円以上で、日本の3倍近い額が掛っているんですね。だからこそイギリスの議会では本当に刑務所での処遇は効果があるのかどうかというのが逆に問題になるんです。それに比べると日本の刑務所はものすごく安上がりです。イギリスに比べるとスタッフの数も全然足りないし、きちっとした処遇をするための施設もととのっていません。逆に言うと新しい受刑者処遇に示された処遇改善をきちんと実行し、矯正にかかる費用があがっていくと、福祉のほうが安いということに行政も少しは気がつくのではないでしょうか。

山本 50州がそれぞれ独立した予算になっているアメリカは非常にわかりやすいですよね。
他の州に比べて福祉予算が低いところは矯正予算が高い。(略)

 厳罰化をすすめているアメリカなんて司法が破産してますけど・・。このあたりの「コストと効果」のお話ができるところが浜井先生、山本譲司さんの現実的なところです。浜井先生の著書刑務所の風景―社会を見つめる刑務所モノグラフ に書かれていますが、日本の刑務所というのは、世界的にみるとコストかけてないのに事故が非常に少ない。刑務官の人権侵害などを叩く言説は、ありましたが、「刑務所の風景」でも犯罪不安社会 誰もが「不審者」? でも、日本の刑務官の優れた部分は部分で認めています。当然ですが、このあたりは教育論議にも同じ構図があるんじゃないかしら?認めるべきとこをは認めていく、リソースも予算もないのにできないものはできないという議論を腑分けしていくということが苅谷剛彦さんなどはされていますが今まであまりにできてないように思います。


浜井 私は社会全体が、人間が弱い存在であるということ、人は心だけでは更正できるわけではないということきちんと理解すべきだろうと思うんです。少年犯罪でも凶悪犯罪でも加害者の心が変わればすべてがよくなるみたいな言われ方がされますが、それは間違いです。最近「格差社会」を論じている研究者と話したのですが、彼らは格差社会で語られるニートの問題などの問題と、犯罪者や非行に走る人の問題は別だと思っているんです。ニートをモラルの問題と分離させたいという思いもあるのかもしれませんが「ニートは雇用の問題で心の問題ではないが、犯罪や非行って要は心の問題でしょ」と。これは驚きますね。マスコミにもそういう人が多い。完全に延長戦上にある問題なのに、偏見があるんです。

山本 現在、日本にいる障害者は650万人ということになっているけど、そんな数じゃありません。福祉の枠に入っていない知的障害者、発達障害者の含めれば1千万人、あるいは高齢者福祉の枠に入っている障害者を含めると、国民の10人の1人以上です。

浜井 みんなどこかでもたれあって生きているわけです。私だって大学教授という肩書きがなくなった途端に、弱い存在になります。あっという間に不審者です(笑)仕事と家族を失ったらもうアウトです。

山本 僕も本当に弱い人間ですよ。いまだに焦りがあるんです。やっぱり前科者だもん。

前コメントにも書きましたが、人間100%弱くなるし、老います。性善説とか性悪説じゃなくて性弱説だと思います。


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冬枯れの街http://newmoon1.bblog.jp/ さんのアマゾンの「刑務所の風景」のレビューです。とてもよいレビューだと思ったので転載させていただきます。光文社の黒田さん(「犯罪不安社会」の担当さんが、このタイトル「姥捨て山化」いいですねーと4章のタイトルにどうかと話してたくらい 笑) ところで遊鬱さん、気が付いたらベスト1000レビュワーじゃないですか?よかたねー。


姥捨て山化する刑務所に対する静かな怒り。

治安の悪化が定量的になんら根拠のない「体感治安」の悪化に過ぎないことを明らかにした前著「犯罪統計入門」が理性の書とすれば、これは「体感治安」の悪化がどのような帰結をもたらしたか、その帰結に対する著者の怒り、哀しみが伝わってくる情の書ということになろうか。
体感治安の悪化がもたらした厳罰化への動きは刑務所の過剰収容をもたらした。政治家、マスコミそして後押ししている世論は刑務所に犯罪者、不審者をぶちこめばそれで終了と、例外的に問題となるのは刑務所から出てきたとき、再犯のときだけだが、刑務所という地点から眺めれば収容されてきたまさにそこから物語が始まるのである。

表に出てくる話は裁判までのお話だけで終わっているので「責任能力」に話が集中しがちですが、上の対談では「受刑能力」(訴訟能力もですが)を考えるべきだという話をされてます。

前著では白書などの定量的データから「治安悪化」の虚妄を暴いたわけだが、その問題意識は刑務所という現場で目の当たりにした現実と治安悪化言説のあまりの乖離から生じていた。つまり、どんどん刑務所に入ってくる犯罪者は凶悪化どころか社会的弱者とされる人たちこそが主だったという現実である。それは根拠なき不安に突き動かされ寛容さを失った社会は本来福祉の枠組みで対応すべき人たち(高齢者、障害者、外国人…)を不審者として刑務所に追いやる否、捨てているというあまりにも酷な現実である。そのことは前著と同じようにデータでもって明確に示されているが、本書の命はおそらくそのような定量的データではなく、これでもか、これでもかと一人一人血の通った人間として描写されている刑務所の人々の姿であろうと思われる。
この書を読み終えて、刑務所がまさに最後(そして最期でもある)のセーフティーネットとして社会的弱者と否応なく向かい合わざるをえないというある種の倒錯した状況を知ったとき、一体この社会はどんな社会なのだろうかと、それも根拠なきあくまでも「体感治安」の悪化に突き動かれているに過ぎないということを知ったとき、どう思うだろうか?そのことを考えるために読んでもらいたい。しかし、著者がその個別具体的な顔名前の一致する悲惨さを越えて、情動を抑えて、定量的データや研究でもって具体的批判を展開していることを想うと、よりいっそう政治家やらマスコミやらのいいかげんさに腹が立つのを押さえることができなくなります。