縄文は、長く長〜く続いた、平和な時代で、
人々が、争って命を落とした形跡がないそうですね。
縄文時代は、5次元の世界だった、と私は思っています。🖐️
見えない世界、波動の高い精神の世界にいる、高次元存在が、
望む物質体験、『食べる🍖』『走る💨』『踊る🕺』などを、
色濃く経験したいときだけ、3次元の肉体に降りてくる。
そんな、精神と物質が、手を取り合って、共同想像していた時代から、
やがて、精神世界と、物質世界は、その繋がった意識を、切り離すことになる。
エネルギーを下げて、次元を降りていく、ディセンションが行われた。
3次元という枠の中へ、すっぽりと入って、
精神の繋がりを忘れ、『分離』の世界を生きる。
『出来ない』を経験して、悲しいや苦しいといった、重い波動を経験する。
それは、『眠り』の世界。
では、高次元存在は、どうやって眠ったのでしょうか?
そのときに、土偶を使ったのではないか。
私のところには、そんなインスピレーションが、降りてきています。
もちろん、これは、科学的な説、証明された説とかではなく、
まったくの、私のイメージの中のお話なので、
フィクションだと思って、お読みいただけたら、嬉しいです。🙏
3次元の肉体に、完全に降りてくる。
それには、練習が必要だったのではないでしょうか。
新しく建物🏠を建てるときも、車🚗を開発するときも、試作品が、必要。
何かが、物質化されるとは、
『見えない世界、自分の内側で想像したものが、
見える世界に、創造されて、現れてくる』
という順番だと考えると、
まずは、精神面で、波動を下げて、エネルギーを重くする。
そうやって生まれた、分離の意識を使うことで、
精神面との繋がりを絶った、単独の物質が、存在しているという状況を、作る。
でも、そのとき、完璧な姿で創造することは、
波動が軽すぎて、不可能だった。
皆さんも、イメージしてみてください。
完璧な肉体を。
目はよく見える、歯並びは綺麗で食べたいものすべて食べられる。
心臓は問題なく動き、消化や排泄も順調。夜もよく眠れる。
筋肉は、望む通りにつき、やりたいことは何でもやれる。
すべての臓器に、何の問題もない。
この肉体で生きていくことに、何の不安もない。
そのように、完璧だった場合、
肉体に対する実感は、薄まっていくと思いませんか?😅
肉体を持っていることが、何ひとつ気にならない。
こうなると、肉体という『物質』が、
「肉体がある」という『情報』と、同じ軽さに感じられませんか?
「あぁ、肉体ね。あるよね〜」ぐらいの意識での、体験だったら、
思い悩んだり、生きることが大変だ!などとは、経験できない。😓
では、5次元意識という、軽い波動のエネルギーを、
どこまで下げていくと、3次元にすっぽり入り込むことができるのか?
土偶を、作ってみる。
おそらく、その試作の途中では、物質である土偶に欠損がみられた。
いや、欠損させないと、完璧な姿では波動が軽すぎて、
3次元に表すことが、できなかったのではないか。
欠損という、ネガティブな部分、
そのエネルギーの重みを利用して、3次元物質化できた。
3次元という、重たい周波数の世界に、適応するため、
見える世界の物質に、欠損や不具合といった重さを持たせるか、
あるいは、見えない世界の、精神の波動を落として、重たい波動を発するか。
そのバランスをとって、ようやく精神との繋がりを忘れて、分離の経験ができる、
この3次元の物質世界の乗り物、『私の肉体』を産み出すことができた。
こうして、ようやく高次元存在は、ディセンションして、眠りについた。😴
私たち『人間』の中で。
目覚め、アセンションと言われる今、
皆さんの中でも、高次元存在、目を覚ましてきていませんか?
土偶について、ようやく書けました。🙌
私のインスピレーションの中での、土偶さんです。
でも、妊婦の像が多いことからも、産み出しには、関係してると思うんですよね。
土偶さんで試行錯誤して、いまの人間の肉体が産まれた。
そんな縄文人さんの、創作活動を、イメージしてみました。😙🤭