母校の高校の制服👨‍🎓が、私が通っていた時と、今では、変わっています。

卒業後も👩‍🎓、制服姿の子たちを見ると、「後輩だな〜」と思っていました。
その後、制服が変わった事は知っていましたが、馴染みがないので、
街中で見かけていても、おそらく後輩だと、気づいていないことが多いです。

学校の近辺や、そちらの方角へ向かう子が、
写真で見た、新しい制服の色味の物を着ていたら、
「そうなんだろうな」と思うのですが、まだ他校の生徒たちと、はっきり見分けがついていません。

年数も経過すると、どこの学校も制服が変わっているので、
自分の学生の時の記憶では、もはや、わからないのですよ💦


それなのに、最近、
『高校の制服を着て街で遊んだ』
というフレーズを頭に思い描くときなど、
街中に立ってる私は、どうにも、新しい、現在の制服を着てしまっているのです。

いや、新手のコスプレみたいで、申し訳ないですが🤣

『過去に自分が着ていた制服』を思い出す頻度と、
『今現在の制服着てる子』を、見かける頻度とが、
段々と、近づいてきているのだと思うんですよ。

毎日着ていたものでも、現在では、袖を通すことのない、
更新されない、過去としての、制服。
一方で、馴染みがないといいながらも、現在進行形で見かける制服。

脳が、さあ高校時代のこと、イメージしますよってなったとき、
どっちを着せるか、一瞬混ざっちゃったりしてるんですよね😅


これは、何が言いたいのかといいますと、
過去も、イメージの世界も、
どちらも、身体で現在『着る』という実態のないものは、
区別が、つかないということです。


いやいや、そんなわけない‼️区別つくでしょ❗️


その区別は、左脳の後付けだと思います。

右脳で、映像で、私が着用する分には、どちらもあり得る。
イメージは、できる。

それを、『違うでしょ、あなたが着たのは、古い方』
って、区別をつけて、後から教えてくれるのが、左脳。


イメージの世界には、現在、過去、未来、
実際に起こったこと、起こってないこと、
それらの区別は、ありません。
同じように、目の前にあることを、見ています。

左脳が、「違うよ、違うよ、そんなの違うよ」
と言って、止めてきたり、
過去のこと、現在のこと、未来のことと、ラベルをつけて、振り分けたりしています。


皆さんも、イメージとして湧き上がってきたことに対して、
「これは、こうでしょ」
って入ってくる、左脳の言葉、ちょっと意識してみてください🙋🤔