昨日の朝、旦那さんが


鹿さんが罠にかかってるよ


と。


猟師さんと知り合い、畑に鹿が来てることをお伝えすると、罠を仕掛けさせて欲しいとの事で、でもなかなかかからなかったのです。

ローゼルの葉をきれいに食べられてしまっていたので、罠のそばにローゼルを植えたりして様子を見ていたのですが。


遠くからそっと、見に行きました。



小さい鹿さん。

私に氣付いて、じっと見つめてくる…


鹿が罠にかかったら鹿肉もらえる、とか笑って話していたのに、いざとなると複雑な心境。


そっとその場を離れて、朝食を食べ、旦那さんが猟師さんを迎えに行く。


鹿を捕まえて、さばいて、というのは、私は見に行かなかった。

旦那さんも、無理に見なくて良いよと言ってくれていたので。


お線香とライターを途中で取りに来た旦那さんに、渡した。




しばらくして、お肉の塊になった鹿さん…


綺麗な、色。


道の駅にも鹿肉は売られていますが、赤黒いんですね。


パック詰めになった、たとえば牛さんや豚さんに「かわいそう」という感情がわかない方が大半だと思います。


途中の過程を見ていないけれど、私をじっと見ていた、あの鹿さん、なんだよね…


かわいそう、という氣持ちは、不思議とわいてきませんでした。


綺麗。そう思いました。




私の母はお肉が嫌いでした。


家で養豚をしていたから。


豚ってね、綺麗好きなんだよ。汚れたところには寝ないから、綺麗に掃除してあげないといけないんだ。


そんな母の言葉を思い出したりもして。


スーパーに並んでる、パック詰めのお肉も、誰かが屠殺して加工してる。


1番精神に堪える部分を、担ってくださる人達がいる事を知っていないといけないし、忘れてはいけない。


植物だって、動物みたいには動かないけど、生きているんだ。


沢山の命をいただきながら、生きている私達。



天地(あめつち)の お恵みと

これを作られた方の ご愛念に

感謝して いただきます

この食べ物が 私の身体の中に入って

自他共に お役に立ちますように



「百姓屋敷わら」さんで覚えた、食前のことば。


いただいた沢山の命、これからいただく沢山の命。


無駄にしないように、感謝しながら、誰かのお役に立てるように生きていかなくては。