天野さん講演会にて!   | hirominのブログ

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市民の立場で出来ることに挑戦している日々を綴りたい!
それは日々人と関わり、感じることがベースだから
感じたことを、感じるままに・・・

天野さんの連続講座
なかなか日程があわず
ようやく本日12月22日(土)の最終回に
参加することができた

「のびのび子育ち、いきいき子育て」
最終回「シマ(テリトリー)の確保が肝心」
~仲間、空間、時間、すき間という四間(シマ)~

都市化するニッポン。遊びも消費される時代。
けれど、自然豊かな過疎の村でも子どもが遊ばなくなっている。
なぜに??都市化が何を招いてきたかを子どもを通して考えるシリーズ最終回

小田急線「梅ヶ丘」駅から徒歩10分
梅ヶ丘地区会館にて

参加者は15名ほど
神戸から駆けつけた5名
子育て中のお母さん
学生さん
プレーパーク・スタッフなど様々
でも、こじんまりとこんな近い距離での
充実の3時間!
プレーパークの先駆者である天野さんのお話を
じっくり聞いたことがなかったので
思い切って参加して本当によかった

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今日のテーマ「都市化」
都市だけでなく、過疎地でも子どもがあそばなくなった!
価値観そのものが「都市化」しはじめているのだ
人の頭が作りだしているのが都市
それはコントロールされ、システム化されたもの
それは効率的に、無駄を省き予定通りになるということ
予定外のことを起こさない
だから予測できない行動や存在=子ども
は生きずらいのだ
子どもを早く都市化しろ!
それこそが、早期教育だ

予測できない自然は壊され、木を植え直す
自然が壊されることは
子どもが壊されてゆくことにつながっていると思えてならない

全国統一テスト
ひとつの価値観で子どもに順位をつけること
それは異質なものへの排除=いじめ につながってはいないか?

経済を生まないと都市化とならない
都市化の論理→金にならないものは価値がない
合理性、無駄の排除
プロセスを省く
ゆとりをなくす、あそびをなくす
あそびはプロセスそのもの!
あそびに価値を見いだせない世の中になってしまった…

子どもがあそぶということは、非合理、非効率
子どもがやることは無意味なのだ
値段が高いかどうかなんてどうでもいいはず
ボクはこれが楽しい!好き!
その実感が人を豊かにしていく
そうではない価値観に左右されていると
外からの評価がないと自分が楽しいと思うことにも自信がもてない
自分の実態がない、いつも不安な人に

あそびに正しい・まちがっているを求める大人
あそびはおもしろいか・つまらいかなのだ
ルールは大人が困らないためのもの
ルールを守れるように大人は教育しようとするけれど
あそびの中で子どもはルールを作りそれを守ってあそんでいる
あそぶ力がない子ほど、ルールをやぶり
あそび込んでいる子ほどルールを臨機応変に変えることができるようになる
あそびの中でもっと楽しくするための知恵を出しあっているのだ

子どもと大人は時間に関する概念が全くちがう
大人は逆算して「今」を使う
先のために「今」を使う
一方、子どもは今をそのまま生きているのだ
「あなたの将来のため」と言われても
今を生きる子どもにとっては、全然ピンとこないのだ

子どもを都市化するということは
子どもを大人の都合で大人化するということ

大人性…法、約束、秩序
子ども性…感情、感覚、情動→動物脳

子どもは未熟な大人ではない
成熟した子ども時代を過ごした子どもが、成熟した大人になるのである

「情動」=自分の気持ち を抑えるのではなくて
「情動」「自分の感性」を感じとること、感情を発揮することができてから
コントロールできるようになっていくのである
しつけ中心になっていくと「情動」を殺そうとするようになる
「やりたいことはダメ」
「やりたくないことをやりなさい!」
これをくり返すと
「どうせ自分の気持ちなんて聞いてもらえない」と無関心な子どもになってしまう
「今の子は生きる力がない」と言われるが
生きる力に満ちあふれている命からそれを奪ったのはだれなのか!!

教育とはひとつだけの基準に当てはめて
正・誤、善・悪を教えていくこと
でも人が物事を決める決定材料は、快と不快なのだ
それがないと決められない、判断できない
快と不快を感じないかのような無関心な子どもの態度は傷つかないための「自己防衛」なのだ
あなたの気持ちが一番大切
がまんの前に自分の情動がきちんと出せているかどうかが大切
正・誤でしかるのではなく、困った時はその子の気持ちに添って一緒に考えればいい

いじめ

ケンカとはちがう
相手を傷つけることが目的
道徳的に指導しても無くならない
「人を傷つけることは怖い」と心から感じることが出来ているかどうかなのだ

過疎地でも暮らしが都市化してきている
そこにある自然をだれも評価しなくなっている
だからこそ、プレーパークのような所で
気がついた大人が再評価し
あきらめないであり続けることが必要なのだ
子どもを都市化させるな!
子どもは自然に近い存在
子どもはサルなのだ
早いうちから人間にしようとせずに
システム化せず
ひっくり返したおもちゃ箱のように
割り切れないあまり・・・も認めあえる
そんな場が必要なのだ
親ではなかなか難しくても第三者だからできることがある
互いの子をお互い様で見あえるような関係作りこそ今必要だね

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参加していたお母さんが

「児童館などに収まらない我が子を抱えて
ひとりぼっちであちこちさまよう日々。
プレーパークに出会いようやく居場所ができた
今、プレーパークがスタッフ不足で閉鎖されそうだと聞き
私でよければお役に立ちたい!とスタッフを引きうけた」

と話してくれた。

また、学生さんが

「自分はキットうまく育てられてこなかったのだと思う。
今、自分がイヤと感じたことが自分のせいなのか、相手のせいなのかわからなくなる
自分は何が好きなんだろう
自分の夢はなんなのだろう
こんな自分のまま母になる自信がもてない
こんな私でもやりなおせるのか…」

と天野さんに尋ねていた

天野さんは

「だったら、貴方がプレーパークで遊べばいい
子ども達はどんな大人も受け入れてくれるよ
何が楽しいか、何が好きか
子ども達とあそびながら感じてご覧!
キット何かに気付くはず」

と答えていた

んー、深いよねぇぇ~「プレーパーク」という名の「居場所づくり」の活動って…
あそび場の可能性を改めて感じることができた学習会でした

天野さん
そして、駒沢はらっぱのスタッフのみなさん
ありがとうございました!


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