29日でジムをオープンして一年になる。

緊急事態宣言中にオープンしてマンボウがあって、何もなかったのは2ヶ月くらいだろうか?

ほとんどの人が一年も持たないだろ?って思っていたに違いない(笑)


そんな中、会員数も予想以上に増えて自分が描いていた一つのTEAMが完成しつつある。


格闘技は本当のTOPにならないと、それだけでは食べていけない。


指導やパーソナルトレーニングだけで食べていければ良いがよほど大きな組織や格闘技以外で収入がある会社が運営していないと、給与をもらうのは厳しい。従って歳を取ってもずっと続けるのは難しい。


だから、ジムがオープンする前の時間に練習をして、その前後にバイトをして暮らしている人がほとんどだと思う。


自分は若手に定職を持って生活を安定させて試合をして、TOPに行く事が出来れば仕事を辞めて格闘技だけでチャレンジする様に伝えている。


会員さんの中には打撃が強い人、寝技が強い人、レスリングが強い人がいる。MMAは選手同士でやるにしてもパーツパーツの練習は自分が考えて工夫すれば充分に試合用の練習が出来る。

プロとアマが共存して強くなる。


強くなる事だけではない、一番のメリットは社会人の先輩と練習をしながら生活をしながら何かを成し遂げる為のヒントをもらえる事だ。

そして社会人の方も選手達を見て勇気をもらう。

それが自分の描いていたTEAMだ。


嶋田先生の生活をみて手を抜ける選手がいるだろうか?自分はやるしかねえって考える。若手達もそうだ。


後の事は考えるな、がむしゃらにやれ、それも一つの考えだと思う。


でも、30歳くらいでそいつはやってくる。

「将来に対しての不安」だ。

これは恐ろしいくらい心身を蝕んでくる。


自分は22歳で結婚してしばらくしてから子供が生まれた。

ある日家で食卓を囲んでいる時「自分は妻と娘を幸せに出来るだろうか?当たり前の生活をさせてあげられるだろうか」とふと思った


そこからは常に生活と格闘技のバランスを考える様になった。


芸能界や代理店で働き生活を安定させようとした。それが36.7歳の頃だ。

でも、頭のどこかで常に格闘技が残っていた。

そこから悩みに悩み格闘技界に戻ってきた。

会社を作り、税理士や弁護士を雇い、法人として組み立てた。


妻の人生。

娘の人生。

自分の人生。

これはひとつの様だが、3つともそれぞれが主人公の物語がある。

だから、自分の人生を最優先にした訳ではないが一歩ずつ前に進んでみる事にした。


自分は運良くジムを出せたが、この一年間暗中模索しながらやって来た。

何も対応せずに一日を過ごせた事はオープン以来1日もない。

ジムを出せるのは100人いて1人くらいじゃないだろうか?

もっと少ないかも知れない。

野球やサッカー、柔道、ボクシング、バレー、バスケ、所謂オリンピック競技に比べてMMAは圧倒的にマイノリティな競技だ。

無我夢中という言葉があるが夢から覚めた時に自分に何が残っているか?


自分は未熟だが嶋田先生、早川先生、井賀先生、今成さん、鈴木槙吾、地元の仲間、会員さん達に支えられてMYDは2年目を迎える事が出来る。

感謝という言葉だけでは表せない恩がある。


そして水も甘いも経験して来た強みもある。


まずは5年後の今頃もっともっとジムが大きくなる事を目指して頑張ろうと思う。