ーそこでSAPを導入ですか?

 

カルビーではまず全社的な情報を集めて、会社が中央集権的に経営判断をして、工場とか営業を動かすという体制だったんですが、それにふさわしい情報システムを最初に作ったわけです。当時はデータ通信の速度が非常に遅いので、大量にデータを送るということが非常にやりにくかった。だからデータを集めて処理するというよりは発生地点でデータを集めてそこで処理をすると。そして集約したデータだけを本社が集めて、本社はものすごく身軽な情報システムで動かす、合計値だけでアウトプットを作って、それで最速でアウトプットしていけば良いと。そういう意味で、各種分散システムみたいな感じで仕組みを作って回してました。

 

それが、2000年問題というのがあって、1999年から2000年になった途端にコンピューターが一斉に止まるというバカみたいな話(笑)、ハルマゲドンじゃないけどさ、そういう話があって、その時はなんと飛行機が落っこちるって言われる話もあって大騒ぎしたんですよ。一機も落ちなかったですけどね。で、そのためにコンピューターの仕組みを変えなきゃいけない、という事で、その何ていうか脅しに乗って、全社的にリニューアルしていくと。その時のシステムがERPでした。ERPは当時はSAPとオラクルの2社くらいしかなくて。どっちを選択するかで、まぁ実績上、ERPといえばSAPだという風に海外で出来上がっていたのでSAPを選んで全社の物流、営業、購買、人事と経理。

 

 

ーフルスコープですね。

 

ビッグバン方式というんですが、全部取り替えたんです。で、1997年ぐらいから準備して試験して1998年くらいに北海道地区だけでテスト運転をやって、いけそうだという事になって、99年に全社導入して、無事に2000年を迎えると。長くなりましたがそういうところがSAPとの出会いです。

 

 

ーそうなのですね。SAPとの出会いは中田さんの人生に影響はあったりされたのですか?

 

SAPとの付き合いが始まったという事で、人生が変わりました。SAPを活用する事によってITが経営に活かせるという信念が生まれたという事ですね。つまり、SAP自体が何かじゃなくて、SAPを前提として、そこから出てくる情報を経営が活用できると、それが理想的な狙いであって目的。それが検証できたと言うことが人生を変えた。SAPを導入した目的は2000年問題、これはきっかけにすぎません。

 

一つの狙いは全社の業務を標準化すると言う事ですよね。その狙いは何かというと、鮮度戦略というのが当時あったんですね。できるだけ早くカルビーの商品をお客さんに届ける、手にとって頂くときのタイミングが短ければ短いほど美味しい、体に良いと。だから、このビジネスの決め手は鮮度だと言う事で、それを実現するためには、物流の仕組みを変えなきゃいけない、そして営業の仕組みを変えなきゃいけない。それに、情報システムの情報提供が不可欠だと。そう言う戦略を実現するためにITを活用すると言うことが目的としてあったと言うことです。

 

もう一つは、決算の短期化です。だいたい月末で締めて三日くらいで月次決算をアウトプットしよう、或いは週単位で仮締めして翌月曜日に週次の結果を出して行こうとか。そう言うスピーディーな情報提供が出来るようになった。そうなると、情報をトップにあげるのではなくて、実際にマネージメントしている現場のマネージャーたちに対して提供していく。そして彼らがそれによって自主的にPDCAを回していくと言うのが理想像になり、それがSAPをベースにして可能になったと言うことですね。

 

そう言う意味で、ITを経営に活かすと言う仮説と信念がようやく実現できました。

 

 

ーこれまでの経験と積み重ねがここで一気に集大成というか。すごいですね、ドラマチックですね。

それ多分一つの人生のターニングポイントだったのかなって思ったのですけれど、何か他に人生のターニングポイントっておありかお聞きしてもいいですか?

 

最初にITの世界に飛び込んだっていうのが大きなターニングポイントですね。それから、SAPと出会った事、社長になった事、起業した事がありますね。

 

最近もう一つターニングポイントがあって、それは私の前任の社長が2月に亡くなった事です。その方がやり残した仕事があって、それは農業改革です。今、日本の農業は米作りが中心です。だけど、お米は消費量がどんどん減っていく。なぜかと言うと段々と洋食化してエネルギーの大体を肉とかから取ると言う食文化の大きな転換があると。

 

しかし、依然として米作り中心の農業が居座っちゃっている。結果として、耕作地が30%くらい、つまり300万ヘクタールのうち100万ヘクタールが休耕作地なんです。こんな大きなロスはないじゃないですか。これを畑に変えて、麦とか大豆とかジャガイモやトウモロコシを作ると、自給率がガッと上がって日本にとってすごく良い循環が生まれて農家が潤うと。そうすると人が都会から戻ってくる、その事によって若い人が戻って来れば出生率が上がるんじゃないかと。なぜかと言うと、都市より農村の方が出生率が高いんですね。まぁ色んな子育てとかの環境が違うからね。

 

そう言う意味で農業を再生しない限り、この国は衰退してしまう。故に彼は米中心から米半分の農業に変えると言うことが必要だと説いて、その実験を始めた訳です。で、今際の際に病室に呼ばれて何とか跡を継いでくれと。やり残した事をやり遂げるために力を貸してくれと言われて、それで逝っちゃったんですよね。その仕事を最近初めて。これが5番目くらいの転機ですね。

 

 

ーそうなのですね。全く新しいですね。その信頼関係が本当に素敵だと思うんです。これらの転機を迎える前と後で、心の有り様というか、考え方って変わったんですか?

特に最後の3つ、社長になられた時と、起業と、農業と。

 

社長になった時は一番大きな転換だからね。さっき申し上げたステークホルダー全体としてどう満足が実現できるかと。この発想の転換が一番大きく変わった。課題ですよね。その課題を解決するツールがありまして、バランススコアカードっていう経営メソッドなんですけど、そのBSCという経営メソッドを取り入れて、お客様、従業員、それから株主、社会、そういった方々に同時に満足していただく、一番最初にまずお客様に満足して頂く、結果的に従業員が喜び、社会が喜び、株主が喜ぶと。そういう構造ですよね。こういう経営がベストだなーということで社員にそれを説明し、それを共有して、その姿で経営をするということをやりました。

 

起業した時は、自分が経験したことを伝えていくことができれば良いと思いました。結論はベンチャー企業、若い起業家に対して何か力になれないかと言う事でアドバイザー、メンターや役員など、そう言う事をやると結構期待が寄せられるようになってきました。これはすごく良い仕事です。自分自身も若い人のエネルギーを取り込んで若くなりますし。

 

 

ー結構若い人を助けるって大きなモチベーションになってるんですかね?

 

助けるっていうより一緒に考えて行こうって事ですよね。

頼られると言うか、期待されるという事が非常に大きなモチベーションになっています。

 

 

ー私もすごく助けてもらっています。いつも本当にありがとうございます。

 

 

(”④日に新たなり。また日に新たなり。”に続く)