ー本日はお忙しい中、誠にありがとうございます!事務所にまでお邪魔させて頂いて・・。

中田康雄事務所は2009年11月に立ち上げられたのですね。もう9年くらいですね。

立ち上げようと思われた理由とかおありだったんですか?

 

前職のカルビーの役員を退任して、それがきっかけです。

 

 

ー退任されたらその後は第二の人生というか、すごく楽しく過ごす事も出来たと思うんです。実際、大半が多分そうだと思うんですよ。

 

楽しいってのはまぁ定義によりますよね。僕にとっては今やってる事が一番楽しいという感じです。

結構若い人とのふれあいの機会がたくさんあるという事、それが一番楽しいですね。

 

 

ーそうなのですね。逆に一番大変だった事もお伺いしても良いですか?

 

自身にとって一番大変な事は、まぁ、社長にならないかと打診をされてそれを受けて社長になった事、それが一番大変な事でしたね。

なぜかと言うと、ある意味それは既定路線ではなくて予定外のことが起こって社長の番が回ってきたと。そう言う経緯で社長になったから、大変でした。

前任社長は後2年やりますと、そのために後継者も大体この人がいいんじゃないかと決めて、予定を作ってたんです。だけどそれがうまく予定通りいかなくて、代わりとしてまぁやれと言うことになって、わかりましたと言うことで登板したんです。

 

 

ー晴天の霹靂みたいな感じだったんですね。

 

そうそう。そう言う状況だったんで、大変は大変ですよね。

まぁ社長になれば当然会社全体、あるいは取り巻くステークホルダーの方々に対して責任を持たなければならない。で、その責任を一身に背負って且つその方々が満足できる状況を作ると言うことに関しては、ものすごく生きがい、働きがいも感じました。

 

 

ー人を大事にされるんですね。売上をあげますとか、そう言う明確なものにモチベーションを感じる方もいらっしゃると思いますけど、中田さんはすごく人を大事にされる方だと言う気がします。

 

まぁ、他の人がそう見てくれてるかどうかはわからないけど、自分としてはそう言うことが一つのモチベーションですね。

とりわけ従業員の満足度ってものは一番大事にしてましたね。

 

 

ー心にグッときますね。そう言う風に思ってもらえる方がトップだったらありがたいと思います。CIOからCEOでしたよね。すごく珍しい経歴ですよね。特に当時って本当に珍しかったと思います。その業務のあまりの変化に戸惑ったりされる事もあったんですか?

 

ま、CIOという事もさることながら、社長になる前にやってきた仕事っていうのは管理畑全体ですよね。とりわけ経営企画とか財務とか経理、人事そう言ったところも含めて社長を支える。会社の方向性を決めてそれに向けて人材をどう揃えて行くか、人のモチベーションをどうやってあげて行くか、従業員の満足度をあげるにはどうして行くか、あるいは財務的にはどういう形で戦略を立てたらいいかと言うような事も含めて、会社全体についての総合マネージメントの司令塔見たいな役割をしていました。

 

それは煎じ詰めるとITに関わった時から。ITと言うのは基幹業務システムが明確にそれを表していますが会社全体の業務の流れとか動き、あるいは人や物やお金の流れというのが全部把握できる、そう言う部署なんですね。それをベースにして、会社全体の俯瞰ができて、経営企画、経理、財務だとか或いは人事といった仕事も、まぁ間違いなくこなせると言うバックグラウンドができたんでしょう。

そう言う準備をして、社長にと言う。だからCIOからCEOとはよく言われるけれども、決して直線ではないと。CIOと言う事もある意味では広がりを持って、色んな事をやって、その上でCEOって事になると思うんですよね。

 

 

(”②キャリアの変遷”に続く)