―前例のない、このようなブログを受けてくださってありがとうございます!

 

SAPの中で一番仲が良くて、いつも助けてくれてるので力になれればと思って。初めてなので緊張してます。

 

 

―本当にありがとうございます!蔡本さんは私と同じで運命の巡り合わせでSAPにいらっしゃいましたが(笑)、 SAPに来てよかったと思われますか?

 

はい、思いますよ!良かった、楽しいと思う事を例として2点あげますね。

1つ目は、私は全盲で障害者雇用で採用されたのですが、社員さんが私の普段の生活に興味を持ってくださっていて、Design Thinkingの際にインタビューを受ける事が多々ある事ですね。少しでも話を聞いて仕事に取り入れようとしてくださっている社員さんがいらっしゃると言うのが、私もこの会社の一員としているんだという実感ができる瞬間です。

2つ目は、専門的な知識を活かして社内でセッションを持って、セルフマッサージを教えたり、SAPの中でITとは関係ない分野を教えられるというところがすごく楽しいです。私は専門が鍼灸マッサージで、社員さんに福利厚生で無料で鍼とマッサージをしているんですが、その中でも長年美容鍼を勉強しているんです。

 

 

―私も、蔡本さんから学ぶ機会を頂けて本当にありがたいと思ってます。いつも目から鱗がポロポロ落ちますよ。そんな蔡本さんのこの会社での大きな学びは何ですか?

 

学びというより、大きな楽しみと言った方が良いかもしれないですね。本社がドイツなので、このオフィスにもドイツ人の社員さんが結構いるんですよ。ドイツ語は勉強した事ないので全然わからないのですが、マッサージにくるドイツ人社員さんがすごく一生懸命ドイツ語を教えてくれます。文章の丸暗記をさせられるんですが、マッサージが1コマ40分、この3年で叩き込まれたお陰で、合言葉みたいに40分丸々ドイツ語でマッサージの対応ができるようになりました。 (笑) 今後も新しいドイツ語が学べるのが楽しみですね。

 

 

―SAPならではですね。

 

そうですね。

 

 

―ドイツ語もそうですが、今すごく輝いて仕事されていらっしゃいますよね。社内でも有名だし、人望も厚いし。でもここに来るまでに、すごく多くの経験をされて来られたと思うんです。人生のターニングポイントを教えていただけますか?

 

パッと思い浮かべるだけで4つありますね。

 

1つ目は、小学校3年の9歳の時。12月に1型糖尿病という病気を発症しました。これは遺伝ではなく突発的に起きるものだと思います。実家の和歌山市内の大学病院で診断されたその日に入院、そのまま3ヶ月程度入院をしました。その日から毎日4回血糖値測定とインシュリン注射を自分でやらなきゃいけないという人生がスタートして。一般的な生徒とは違った生活を始める事になりました。でも、まだ物心つく前だったので測定や注射は気がついたらもうやっていたと言う感じですね。顔を洗ったりご飯を食べるのと同じ感覚。

 

 

―なんで自分は違うのだろうと思ったりしなかったんですか?

 

それはしょっちゅうありました。高校で周りのみんなは友達同士で家にお泊まりし合ったりしていたんですけど、私は家で血糖値計らなきゃとか、インシュリン注射しなきゃとかで泊まれなかったんです。ご飯もカロリー計算しなきゃとかあったし。クラスメートには私の病気の事は内緒でいました。だから、学校でもトイレで注射したりしていました。

 

 

―言いたく無かったんでしょうか?

 

その時はマイノリティっていうのが受け止めきれなかったし、認めたく無かったんだと思います。他の人と違うところは見せたく無かったですね。親の方針というのもあったけれど、人に打ち明けるのが怖かったんです。

 

二つ目が大学4年生の時。1型糖尿病の合併症で夏に視力を失ったんです。小学校の頃からファッションデザイナーになるのが夢だったので、それを目指して大学では服飾デザインを勉強していました。卒論とかゼミとかあってあと半年で卒業できるってタイミングで目が見えなくなって大学を中退する事になるという大きな挫折がターニングポイントかなと。

 

 

―想像できないダメージですね・・・。

 

あ、ここまで来たのにっていう。母親がもう40年以上ずっと洋服を縫う仕事をしているのですが、その影響なのか私も子供の頃からずっと服の絵を描いていて私も母のように服を作るんだと思っていたのです…あとちょっとでなれるというところで挫かれちゃったという感じでした。

 

落ち込んで1年くらい実家に引き籠っていたんですけれど、ある時奇跡的に朝起きたら右目が少し見えるようになっていたんです。慌てて大学病院の先生に見てもらったら何で見えるようになったかわからないとお医者さんも不思議がっていて。私は、1年間も引き籠っている私に「もう一回頑張りなさい」と神様が言ってくれているのかと思って、それが立ち上がるきっかけになったと思います。何とかして働くとか、もう一度生産性のある生活をしよう!と奮起したんです。

 

それから和歌山のデパ地下のパン屋さんで売り子さんをしました。ルーペを片手にレジ打ち。でも目はやっぱり悪くなっていったんですね。1年かけて徐々に悪くなっていったので、これはいずれまた全盲に戻るぞと思いました。当時、実家で祖母と二人暮らしだったのですが、祖母も長くないから祖母がいなくなってから全盲になったら自立できない、と思いました。だったら、まだ少しでも視力のあるうちに、自立の練習しなきゃと思って一人暮らしを始めようと思ったんです。

 

関西だと、いざとなったら親族に頼れるため自立の練習にならないと。だったら家族に頼れない関東まで出てしまおうと思って、一人で埼玉県川越市に転居しました。そこから、川越市にある埼玉県立盲学校(現・埼玉県立特別支援学校塙保己一学園)で鍼・お灸・マッサージを勉強して、2011年に国家資格を取って、この8年間鍼灸マッサージ師として従事していると言う流れです。

 

 

(”②更なる試練から将来の夢へ”に続く)