2018/8/5(日) 第6回世界総極真近畿大会 第10回世界総極真兵庫カップ+その後 | 世界全極真 東京清水道場 のブログ

この日は審判で参加させて戴きました!

今日も外は猛暑です(゚Д゚;)

今年から名前が変わったウインク武道館の中は快適です(^^)v

会場のギャラリー席は四方から見渡せる作りと

畳が壇上になる設備は見たことがありません(^^)/~~~

今大会604名の参加者で盛り上がりました。

関東からお馴染みの選手も来ています👍

遠征して入賞することは精神的にも大変なことですが

見事に収めてる選手は、これからも一目置かれ、

これからの大会や団体をリードしていく存在になる事でしょう(^_-)-☆

嬉しいですね!(^^)!

今大会、長谷川範士、米山師範はじめ米山道場、長谷川道場

の指導員、道場生、また御父兄の皆さん、

また、進行にあたり開催中、コートをまわり

不測の事態に備えて下さった米山師範、ありがとうございました。

 

大会その後

 

大会後は帰宅を明日にする為、

もう一泊させて戴きました。ありがとうございます。

そこで予てから気になっていた姫路城を散策!

パワーを貰いに行って参りました(^^)/~~~

とはいえ、お城マニアでも歴史好きでもなく、

オヤジになり興味が湧いた程度のものでしかありません💦

中村重遠大佐は廃城令による姫路城の解体を阻止した人です。
 高知藩宿毛出身の陸軍大佐である彼は、1878年(明治11年)12月26日に

陸軍卿山県有朋に対して名古屋城と姫路城の保存を訴えました。
いま姫路城があるのは中村大佐のおかげといっても過言ではありません。
 (名古屋城は残念ながら第二次大戦中の空襲によって焼失しました)

 

姫路城と中村大佐
 日本古来の城郭は兵器の発達にともなって、無用のものになり、

明治6年(1873年)のはじめ、太政官は全国の城郭125の廃棄を布達し、

姫路城など56の城が残されました。
しかし、その後各城とも腐朽がはなはだしく、姫路城も取りこわしのため、

市内の神戸某氏が23円50銭で落札したほどでした。
  陸軍省第四局長代理中村重遠大佐は、

先人の築いた名城はぜひ後世に残さねばならぬと考え、

陸軍卿山県有朋を説いて、名古屋城と姫路城は陸軍の費用で

修理することになりました。
  中村大佐は、明治17年(1884年)45歳で亡くなりましたが、

文武に達した古武士風の人だったといわれています。

 

と書いてありました(^^;)

夏休みの自由研究に是非どうぞ!

この碑が入ってすぐ左にあります。

 

天守閣全景です。キレイですね👍

塗り替えをして、話題になりました(^^)v

最上部より姫路駅を望む(^^)/

内部は急こう配な階段で各階が仕切られており、

上り下りするだけで大変でした(^^;

 

束の間でしたが、昔を知り新しきを得る

温故知新の精神を我が身に吹き込む事が

出来た時間になり姫路城を後にした(^^)v

 

今日の天候で、汗はズボンまで浸透(゚Д゚;)

新幹線冷房効き過ぎ~これ風邪ひくわ💦

 

夕方からはしっかり稽古に間に合いました(^^)/

強行な日程でしたが充実したプチ旅行(2時間ですが)

も出来て良かったです(^^)/~~~

次はチャンピオンシップで名古屋の明治村かな(笑)

押忍