行く前の父 | 国際結婚 こんなところまで来てしまった・・・

国際結婚 こんなところまで来てしまった・・・

これは、私の過去の記録(日記)です。
イギリス人の夫と国際結婚 
中東で海外生活を経て
やっと日本に戻ってきた。。
海外でも日本でも何故かいつも微妙に波乱万丈をしている
2児の母です。

たくさんのメッセージありがとうございます。

ううう。ここに吐き出して

少しスッキリしました。

本当にありがとうございます。。

 

今回のことは忘れないけれど(笑)

ここに来ることを許してくれた

愛する夫のために

また、このことは飲み込もうと思います。

 

まあ、義父母の場合は

実際お金が絡んでるし

起こるのは仕方ないといえば仕方ない。。

キェンセルさせてしまったしですね。。

私のせいといえば

私のせいだし。。。

 

みなさんに吐き出して

スッキリしたし

みなさんが自分のことのように怒ってくださったので

なんだか私もうまく気持ちが整理できました。

また笑ってやっていけそうです。

いつもありがとうございます!!

 

まあ、まったく関係ない義弟は

絶対許さないけれどもね。爆

 

さて、ここは落ち着いたので置いておいて。。

本題に入ります。。

 

 

 

出発前。。。

ある一つのことが

私の中でかなり心配だった。

 

それは・・・私が日本に帰る前に

父が退院させられること。。。

 

私の計画はこうだ。

私が父が退院するより前に帰国して

家の中の環境を整える。

2階にあった父のベットを1階の座敷に運び

そこに父の部屋を完成させる。

 

トイレが近いし全てにアクセスが良いので

この部屋を選んだ。

 

介護するには

水場が近い方が良い。

 

もし、父が歩けなかったら

父を運びやすい位置に

いて欲しかった。。

 

が・・・

事態は急変する。

どうも、私より若干先に

退院させられるようなのだ。

 

父が倒れてすぐ

父は痙攣を起こしていた。

意識は朦朧としていて

引きつけも起こっていたので

医師の判断は

脳梗塞が原因の

「てんかん」

というものであった。

 

すぐに処置されたので

命には別状はなかったものの

父は錯乱状態にあった。

 

病院の隅に「小人が見える」と

看護婦さんたちに訴え

「あそこに落ちている金魚を助けねば」と

訳のわからないことを連発。

金魚つながりで

「この病院の水は汚れている」と

妙なことを口走り

何もない壁に向かって

リモコンを向け

「テレビがつかない」という。。。

まさに混乱。

もちろん、家族の顔もいまいちわかってない。

 

さらに

常に声がするようで

いつも後ろを振り返っていたよう。。

 

脳梗塞などの後にある代表的な症状

幻覚や幻聴が

続いていた様子。。。

この症状はだいたいは

どこかの時点で落ち着くのだとか。

しかし、100%ではないという

医者からの話だった。。

 

つまり、このままの可能性も

あり得るという・・・。

 

倒れてから数日後、

少しずつ家族のことも

思い出してくるのだが

幻聴や幻覚はまだ続いていて

「帰りたい」と暴れるようになる。

幻覚や幻聴のせいで本人は怖かった様子。

 

夜中に騒いで

看護婦さんたちに迷惑をかけたよう。

あまりに暴れるので

いっときベットに拘束されていた父。

つまり、帰りたいあまり

リハビリをすっ飛ばして

歩けていた様子。。。

ちなみに倒れた当初は

左半身が麻痺して動いてなかった。

 

しかし

歩けているとはいえ、

きちんと歩けていたのではなく

ヨタヨタしていた様子。

錯乱してる状態で多少歩けて暴れるとなると

本人もだが他の人も危ないので

私たちは病院に同意し

父をベットに拘束してもらった。

 

夜に特にこの状態が続いたらしい。

 

私たちの脳裏によぎったのは

一番初めの脳梗塞。。

 

実はこの時も

父は病院の指示に従わず

最後は追い出されるような形で

病院を退院した。

 

で・・案の定

この病院も

父を持て余してしまい。。。

強制退院。。。失笑

 

この時点で

・歩ける(かなりヨタヨタでマージー程度しか歩けないけど)

・トイレは自分で行ける(たま〜に失敗する)

・食事も自分で食べれる(文句は言うけれど)

 

この3つは完全じゃないけどできていた。

しかし、記憶の方の錯乱は

多少良くなったとはいえ

まだまだ。。。

 

この3つが出来るようになっただけでも

介助が必要かもしれないと

覚悟した私からしたらボーナスだ。

 

しかし、まだ、不安が残る要素を抱えたまま

てんかんの恐れがある父を

支えられるかどうか自信のない母は

血圧が上昇。。。

上が190まで上がる。。

完全に父のことに対するストレスによるもの。。。

 

父のことは思ったよりマシになっていたが

母が今度は心配に。。。

 

この状況から

遠くに住んでいる妹が有休を取って

帰ってきてくれていたため

私が帰るまで父の世話をすることになった。

 

私の計画を妹に話し

実際に動いてもらう。。

父がおとなしくその部屋に寝てくれるよう

必死にいろんなものを揃え

快適に過ごせるようにした。

 

あとは手続き。。。

母は血圧も高く気が動転してるので

これも妹に行ってもらった。

 

介護の保険が

効くのかどうか・・・

その手続きをして

実際に実施されるまで

1ヶ月以上待つ必要があるのだとか。

 

なんともゆっくりなシステム。

我が家は私が帰ってきたから

そこまで急いでないにしても

そうじゃなくてすぐに助けがいる人は

沢山いるだろうに・・・

 

なんだか介護の制度って

実際にサービスが受けれるまで

かなり遅いんだな。。って

思ってしまった。。。

 

さて・・追い出されて退院して家に帰った父は

ずいぶん気持ちが落ち着いたようで

穏やかになった。。

 

やっぱり病院が嫌だったよう。

病院にとっても

父にとっても

この早めの退院が最善だったのだろう。

 

妹と私が作った部屋も

気に入って

そこにおとなしく寝てくれた。

 

父は私たちが来るのを

「あいつはいつくるんだ?」

と毎日

毎時間聞いたよう。。。

「私たちが来る」そこは覚えているようだが

自分がそのことをきいたことは

忘れてしまっているよう。

 

色々な話を妹から聞くも

全く全体像がつかめず。。。

どの程度父がおかしくなってしまったのか

想像するしかないもどかしさ。

何をどうしてやったら

いいんだろう。。。

 

気が焦る私。

早く行ってやらないと。

母が倒れる前に

父がおかしくなる前に。。

 

そんなはやる思いで

(義父母にプレッシャーかけられつつ)

日本帰国の準備をしていたのであります。。