最近思う
小さいころ親が自分を心配してくれたように、最近は
自分が親を心配するようになったんじゃないかって。
シーソーや砂時計のように、
「親の子供に対する心配」 という片側の度合いが減っていく分、
減ったその分が、もう片側の
「子供の親に対する心配」 に移動するのかなって。
少し前は、親から注がれた愛情を同じように親に返すことは
出来ないから、その分次の世代にリレーしていけばいいのかな、
って思っていたけれど。
最近はそれももちろんだけど、頑張ればちゃーんと
親の生きているうちに、形は違っても愛情を返すことは
できるなーって思い始めています。
両親も年を重ね、昔と同じようにはいかなくなっても、
そんなもどかしい、じれったい場面に何度、出くわされようとも
親が自分たち兄弟にしてきてくれたことに比べれば
大したことないなって思わされます
それに、そういった心配も理解してくれる環境が周りにあれば、
その心配 = そこにこころ配れること
事態をも、幸せな状況だと感じられます。
これも、それも、人と人とのコミュニケーション。
今をちゃんと生きてる証拠だなーって思います
抱え込むと大変だけれど、みんながみんなちょっとずつ
想い合って、頼りあい、認め合いながら
笑って過ごせる毎日を、重ねていけるといいね!
今夜もあつーい
でも恵みの雨だ!ちょっと涼しくなるかな
明日は久しぶりの完全OFF
リフレッシュするぞーっ!!