池場店長って誰!?

 

みなさん・・・

 

今、幸せですか?

 

今から20年以上前のお話です。

 

子供の頃から親不孝だった、勉強もしない、

毎日TVゲームばかりしている少年がいました。

 

食べ物も、好き嫌いが激しく、

カレーやお肉しか食べませんでした。

(野菜は大っ嫌い)

 

自分の事で両親が喧嘩をしている毎日。

 

将来の夢や やりたいこともなく、ただただ、

愛犬の散歩と、ゲームだけで過ぎていく毎日。

 

よほどの変わり者で、同級生からはからかわれやすく、

 

いじめの対象になっていました。

(なんで自分だけ・・・)

 

いじめっこからいじめられる日々の中で、

やり返す事がさらに、相手を調子に乗らせてしまい、

殴られて鼻血を出した時も、両親が呼び出され、

喧嘩両成敗と、いじめられていた私も怒られる始末。

 

そんな私にあった、

 

唯一の取り柄が、カレーが好きだったという事。

 

そして、たまに作る家族へのカレー作りが好きでした。

 

「将来はカレー屋さんをやりたいな・・・」

 

そんな気持ちが芽生えたのは、高校生になってからでしょうか。

 

 

 

 

 

忘れもしない

 

1997年6月13日の金曜日

 

 

 

 

当時、高校3年生だった私は、将来の進路について悩んでいました。

 

大学へ進学?

 

それとも調理師の専門学校?

 

自分のやりたいことがまだ見つからない中、

 

高校生、最後の夏が訪れました。

 

体育祭の練習でサッカーに励む私。

 

気が付くと、全身に痣が多数できていました。

 

友人から、肩パン(肩にパンチ)された跡は、大きく腫れあがり、

 

見たこともないくらいの痣になっていました。

 

当時は、

 

サッカーでたくさん転んだし・・・

 

くらいにしか思っていませんでした。

 

そして、元気だけが取り柄の私が体調不良により、

 

休んだ日の事です。

 

高熱、さらには、めまいと・・・

自分の足で歩く事もままならないまま、

母親に付き添われ、地元の病院へ。

 

血液検査の結果、大きな病院でないとわからないとの事で、

 

後日、大型病院へ移動の予定でしたが、

 

さらに、夜になってから体調は悪化し、救急車で大型病院まで運ばれました。

 

当時、流行していたドラマ、

「ひとつ屋根の下2」がなぜか気になっていた17歳の少年。

 

翌日、

 

医師から告げられた病名は、

 

「急性リンパ性白血病」という血液のガンとも呼ばれている病気でした。

 

言われた事に実感もなく、

 

なんとなく、ガンである事、

死んじゃうのかな?という事が頭の中によぎり・・・

 

真っ先に思ったことは、

 

 

 

 

 

 

「俺、まだ彼女作ったことない」

 

でした・・・。

 

 

・・・

 

・・・

 

〇凹  コテッ

 

 

 

そんないろいろな感情が混じり合う中、

 

左右に座っていた両親がそれぞれ、私の方手を握りながら、

「一緒に頑張ろうな」と言ってくれた事で、

急に涙が溢れてしまった事は忘れません。

 

自分が死んでしまう事より、一緒に頑張ろうと言ってくれた事が嬉しかった。

 

抗がん剤の治療により、抜け落ちる髪の毛、

 

ふがいない自分に対し、両親に罵声を浴びせてしまう私。

 

それでも、

いつか必ず親孝行したいという気持ちがありました。

 

医師からは、

治療をしなければ2週間の命

将来再発する可能性や、

抗がん剤により、不妊になる可能性を指摘されました。

 

それでも、命には代えられません。

 

 

 

 

池場店長 高校三年生の夏

 

 

治療にもっとも効果があるのは、骨髄移植と呼ばれる治療法でした。

 

骨髄の形には、たくさんの種類があり、家族と一致する確率は4分の1で、

 

世界中で10万人に1名くらいの確立で一致する人がいるそうです。(私のイメージです)

 

もし、家族と一致したら、移植が出来るかも?

そんな気持ちも実らず、家族とは一致せずに、家族間での移植は諦める事に。

 

そして、日本でのドナーを探すために、

ドナー登録者から一致する方を探す事になりましたが、

なんと、当時5~6万人いる登録ドナーさんと一致する方が、

ひとりもいなかったのです。

(よほど私は特殊なんだろう・・・)

 

最後の賭けとして、世界中でのドナー登録者と一致する人を探しながら、

日本でも一致する方が現れるを待ちながら、抗がん剤治療のみで治療していくことが決まりました。

 

治療に4か月の入院(特にマルクって言われる骨髄穿刺が本当に泣きそうになるくらい痛いし怖かった)

 

その後2年間の抗がん剤治療、5年間の通院治療により、完全寛解になる事ができました。

 

今では、家族と一致しなくて良かった。

ドナーさんが見つからなくて良かったと、前向きに考えられるようになりました。

 

 

 

 

復活後、人生最高の1枚(まだハゲてなかった頃の写真)

(だれやねん!!)
 

世の中には、戦争で苦しんでいる人がいます。

餓えで苦しんでいる人もいます。

 

そんな中でも自分で幸せを見つけ、

幸せをつかみ取る為に、生かされています。

 

もし、あなたが産まれてくるのが、人間じゃなかったら・・・

 

 

もし、あなたが産まれてくるのが、日本人じゃなかったら・・・

 

もし、

 

あなたが・・・

 

そう。

 

あなたが産まれてきた事は、本当に​​​奇跡な事です。

 

 

 

 

 

そして、幸せとは常に自分で決める事。

 

いじめも、いじめている人がいじめてないって言っても、

いじめられている人がいじめられていると思ったら、

それは、【いじめ】です。

 

いじめとお笑いって似てると思います。

 

いじめる人・・・突っこむ人(いじる人)

いじめられる人・・・ボケ(いじられる人)

いじめを見てる人・・・観客

 

それが理解できるようになってから、私は、

いじめられているのではなく、いじられている(おいしい)と思えるようになりました。

 

人間は、考え方で幸せになれる不思議な生き物です。

 

世の中にはもっともっと大変で、辛い人がたくさんいます。

 

大切な人を病気で亡くしてしまう人、

急に事故で亡くしてしまう人・・・。

 

そんな方々に、私から言える言葉なんてひとつもありません。

 

でも、もしからしたら、同じ病気で悩んでいる人がいて、

同じ病気だけど、元気にしている人がいたら、少しはハゲみになるんじゃないかなと思い、

書かせて頂きました。

 

そして、そんな私にも奇跡が起きました。

将来不妊の可能性を指摘されましたが、子宝にも恵まれ、

今では立派な6人家族で、毎日が大騒ぎです。

 

もし、この文章を読んで頂き、

久しぶりに、両親に電話してみよう!とか、連絡してみよう!とか、

けん白井店に外食に行こう!!とか、

親孝行につながって頂けると嬉しいです。

 

そして、

 

そんな私が、

みんなを幸せにしたい

誰かを幸せにしたい、

なんて、そんな大きな事は出来ないけど、

お客様や、従業員がちょっとだけ、

ちょっとだけでも、笑ってくれるような会社にしたいという想いを込めて、

株式会社G-Smileという会社を起ち上げさせて頂きました。

 

現在は、

・ステーキハンバーグ&サラダバーけん白井店

・豪賊の極み 柏Vzone店

 

を運営させて頂いておりますので、

 

ぜひ、最寄りへお立ち寄りの際には、ご利用頂けると幸いです。

 

 

 

 

 

長々とお付き合い頂きまして、誠にありがとうございました!!

 

 

     株式会社 G-Smile 代表 池場 豪