長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典【後編・式典】 | 新宿区議 鈴木ひろみオフィシャルブログ Powered by Ameba

長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典【後編・式典】

式典は平和公園の平和祈念像前で、
多くの原爆死没者のご遺族や
多数の市民の皆さんの参加のもとで
挙行されました。

原爆が投下された
午前11時2分に長崎の鐘や
サイレンを鳴り響く中
1分間の黙祷を行い、
その後、平和宣言や、
平和への誓いが行われました。


「今年3月、東日本大震災に続く
東京電力福島第一原子力発電所の事故に、
私たちは愕然としました。
爆発によりむきだしになった原子炉。
周辺の町に住民の姿はありません。
放射線を逃れて避難した人々が、
いつになったら帰ることが
できるのかもわかりません。

『ノーモア・ヒバクシャ』を
訴えてきた被爆国の私たちが、
どうして再び放射線の恐怖に
おびえることに
なってしまったのでしょうか?」

これは長崎市長の平和宣言の冒頭の
一文です。
長崎平和宣言全文はコチラ

この宣言を聞いたとき
涙が出ました。
広く知ってほしくて
このブログにも掲載
させていただきました。

原爆資料館での説明で、
被爆者=hibakusyaという
世界共通語であるということを
伺いました。
「そして、長崎を最後の被爆地に。
もう2度と被爆者を出さない。」という
長崎の人々の共通の願いが
福島第一原発の事故により
果たされなかったと
話す市民の方の言葉が
胸に刺さりました。


長崎は周りを山に囲まれていたために
原爆の被害が少なかったそうです。

それでも一瞬にして
原爆により
7万人以上の人が命を落とし、
さらに7万人以上の人が怪我を負い、
今なお、後遺症で苦しむ
多くの方がいらっしゃるのが現状です。

そんな人を
もう出したくないという思いで
本当に多くの市民の皆さんが、
ボランティア等で参加をされていました。


下の写真は原爆が落とされた
当時の地層です。
ガラスは溶け、
土とともに固まっています。
復興の際、この地層の上に
2mの土をかけて埋め
現在の平和公園などを
つくったそうです。
当時の地層の中には
被爆により亡くなられた方の
ご遺体が多く埋まっているだろうと
言われています。
photo:03


この様は、私が6月に行ってきた
陸前高田市の地面に非常によく似ています。

割れた食器や、生活の痕跡が
土や泥と一緒になっている
その光景が一面に広がっていました。


長崎の人々の多くは
東日本大震災に伴った
人々の痛み、
福島第一原発の事故を
自身の痛みと感じ
核兵器廃絶と、
原子力に代わる
再生可能エネルギーへの転換を
訴えていました。




以下は、
新宿区の平和都市宣言です。

世界の恒久平和は、人類共通の願いである。

私たちは、世界で唯一の核被爆国民として、
自らも戦火を受けた都市の住民として、
戦争の惨禍を人々に訴えるとともに、
永遠の平和を築き、この緑の地球を、
次の世代に引き継ぐ責務がある。

国際平和年にあたり、私たちは、
人類の生存に深刻な脅威をもたらす、
すべての国の核兵器の廃絶を全世界に訴え、
世界の恒久平和の実現を心から希求し、
ここに新宿区が、
平和都市であることを宣言する。

昭和61年3月15日 新宿区