第二章 大雨洪水と給料引下げ
(3)片田舎の現実

具体例③
「高校受験から失敗」
筆者が「低学力」と世間に騒がれた理由。

筆者の両親が、いつも、筆者のことを、そう罵っていたから。
で、警察組織から民間人まで、うわさが広がったそうです。警察官僚らが言っていました。

両親は、筆者が、旭川東高(一番目)に行けなかったのを、犯罪者のように責めました。
正確に言うと。筆者が、難関の旭川医大に行けず、エリートになれなかったのを憎みました。

母は何も知らず、生活費を期待したり、子に完璧を求める虐待本能。父も何も知らず、無責任で、過大な期待から。

両親は、筆者が高校生の頃、日々いちゃもんをつけて、叫んだり暴れました。

特に、母は毎日ヒステリーを起こし、泣きわめき暴れ、精神障害でした。
仕事から帰宅した父も、釣られて暴力をふるい、筆者は、あざや出血のある時もありました。

筆者は、旭川西高(三番目)の出身。旭川医大や、北海道大学など、難関大学は不可能。
理由は、高校の難易度に伴い、教科書が違うので。難関大学に行くには、一番目の東高、最悪でも二番目の北高が必要。

旭川付近は、16校の高校がありますが、三番目なんて論外。教科書が、大幅に制限されます。
低い教科書で、いくら勉強しても、絶対に、難関大学には行けません。

また、田舎で、高校時代の塾がありませんでした。西高の、低い教科書に閉じ込められ、旭川医大(偏差値65)に行けず。
それは、筆者には、本当の死でした。筆者の両親は低学力ですが、過剰な学力主義。そう育てられた筆者もそう。

しかも、両親はいつも無計画。子の大学進学費用を貯金せず。東京・札幌等の一人暮らしには1000万円必要。
無知な両親は、「旭川医大なら、市内で、安上がり電球」としか、思わなかったのです。

筆者は、高校受験に失敗し、旭川西高(三番目)になった時点で、人生終了。
簡単な教科書/田舎環境/親の資金力の三つの理由から、旭川教育大学だけ。

筆者は、教育大学が嫌でした。人見知りで、上がり症で、人前に出る教職なんて嫌。
何より、旭川西高(三番目の落ちこぼれ)→旭川教育大学(普通)なんて、万死に値する恥辱。

母にも、西高なんて、近所や親戚に恥ずかしいと、何度も言われました。

高校授業料が高くてムダ、水道代も食費も、もったいないと。父にも、お前が怠けたせいだと、見放されました。
どうして、旭川西高(三番目)なんかに、なってしまったのか。

それは、高校受験制度の、ブラックホールに吸い込まれて。

まず、旭川市は、都市部とは、受験制度が違います。市全体から、①公立高校を一つ、②私立高校を一つの受験。
田舎なので、公立が高学力で、私立は低学力。公立に落ちたら、自動的に、私立に転落する、変な仕組み。

多くの人が、これにハメられます。が、筆者の場合は、内申点制度で、殺されました。志望校選択の時点で、西高に。
近年オンラインで調べたところ、高校受験の制度は、内申点が全て

一番目の旭川東高の合格圏は、「内申点Aランク」が、学力点390点(=78%得点)。「内申点Bランク」が、学力点410点(=82%得点)。

旭川東高を受験できるのは、内申点Bランクまで。学力重視の特別枠さえ、Cランクまでしか受験できません。内申点で、志望校が、割り振られます。
筆者は、中学二年まで、主要5科目で、95〜100%得点。その後、欝症で成績が落ちたものの、中学三年の一学期までは、95%得点。

順位で言えば、学年10位以内。クラスでは、1位か2位。つまり、旭川東高(一番目)。最悪でも、北高まで。それ以外の進路は、ありえませんでした。
が、中学三年の一学期、担任教師から告げられました。筆者の進路は、西高(三番目)だと。

激しく落胆し、その後、成績が急落。そして、高校受験の当日、学力点は90%得点。最後まで、学力点は、東高(一番目)の水準でした。
が、筆者の内申点は、なんとEランク。西高(三番目)さえも、内申点で落とされるところ、学力重視の特別枠。

両親と筆者は、高校受験の制度を知りませんでした。最も大事な内申点を知らず、大失敗。人生の全てが、変わったのです。
およそ三十年前、内申点制度の事は、世間にあまり知られてませんでした。

筆者の両親は、いつも馬鹿なので、知ってたわけありません。
当時、インターネットもなく、筆者が知るすべは、ありませんでした。

それで、内申点対策しませんでした。主要5科目だけでなく、補助4科目も、高得点を取るべきだったのに。
さらに、運動神経が悪く、体育の実技までダメ。恥ずかしくて人前で歌えず、音楽の実技も。

内気な性格で、授業中、引っ込み思案。慣れぬ中学校の人々に物怖じ。部活も委員会もせず。
そう、全部が、ダメでした。内申点を稼ぐべきなのに、全部を大失敗。

正解は、全部が、正反対である事。本当に馬鹿でした。人生をやり直せるとしたら、中学一年から、内申点を稼ぐ生活に。
中学三年の一学期、進路が、西高(三番目)と決まった瞬間、人生が終わったと直感しました。

そして、筆者の落胆以上に、両親は落胆し、子を邪魔にするようになりました。
両親は、筆者が怠けて、100点満点とれなくなったせいだと、筆者をしつこく責めました。

筆者もまた、近年オンラインで調べるまで、そう思いました。
滑稽なことに、筆者も母も、最近まで、西高になった理由に、気づきませんでした。

両親は、それ以来ずっと、筆者に対し、勉強嫌いの怠け者、落ちこぼれ、だらしない奴だと。
父は、何かにつけて、すぐに、「お前のやった事だから、仕方ないだろう」と。育ちが悪く、話を理解できません。

父はいまだに、近年の、深刻な話を、何一つ知りません。アンテナの事さえ、理解しません。
母は、筆者が過去の「大学進学に関する話」をすると、逆上。顔を真っ赤に叫びだし、言葉をさえぎり、止めさせます。

昔から、「親が貯金せず、大学進学できなかった」のを漠然とは知ってたでしょう。子の低学力で、誤魔化そうと。
日本警察官僚らは、そんな筆者の「特殊な家庭環境」に着目したのです。

彼らは、筆者の実家を眺めたり、公安警察等に、聞き込みしました。
すると、両親からは、子への罵詈雑言ばかり出てきたし、苦しめられた筆者からは、自己不全感が出てきました。

また、両親は二人とも、アンテナ障害者な上に、育ちが悪く、低学力。世間知らずでもあり、隙だらけ。

疑問点①
「そのうわさ話を、広める必要性は、あったのだろうか?」

疑問が残ります。筆者が低学力だの、大騒ぎする必要性が、あったでしょうか。

日本人の、給与引下げの「釣りエサ」に、筆者は使われました。でも、何かヘン。筆者のされた事は、犯罪です。
当時、朝から晩まで毎日、低学力だの大騒ぎされ、社会をあげて、イジメが行われました。

福岡市民は、当初、とんでもない勘違いで、不平不満の発散をしました。

また、超高学力の警察官僚らは、学力の話が大好き。究極の自己肯定。

彼らが裕福で、家庭環境にも特別恵まれたことを、当初、彼らは知りませんでした。
疑問点②
「従業員レベルは、落ちこぼれの愛人女性なのか?」

下劣な表現が、多すぎます。筆者が、ハローワークで弁護士に拾われ、法律事務所で働いたのを、「低学力のくせに、キャバクラ」と騒がれました。
また、高校時代に援助交際したと、騒がれましたが、本質が違います。

お金や食事なんて、興味はありません。虐待のせいで、自殺未遂を繰返した子供が、家出するのは、当然です。
理由は、虐待親への復讐で、自傷行為の一種。旭川西高という、恥辱的な、落ちこぼれ高校らしき行動をしただけ。

当時の自身の行動につき、反省すべき点は、ありません。
虐待に苦しめられ、自殺未遂を繰返した子供が、家出したり自傷行為に走るのは当然。

なのに、虐待の被害者側をとがめるのは、奇妙です。
日本人は、一般教養の欠如した知恵遅れみたいな人が多い。

日本人に騒がれ、後悔したのは、内申点制度を知らなかった事です。東高(一番目)でなく、西高(三番目)だから問題。
筆者の母は、そもそも、虐待本能の強い性格遺伝子。筆者が、幼稚園児の頃から、多少虐待はありました。

小学生の頃には、大した理由もなく叫ばれ、暴力をふるわれたり、納戸に監禁されたり。
もしも筆者が、東高(一番目)でも。旭川医大に行けず、就職にも失敗したなら。親の気に入らず、罵倒されたでしょう。

結局、家出問題だったでしょう。でも、東高(一番目)なら、印象が、全然違います。
最後に。
旭川西高が、低学力かどうか。

こちらの記事では、筆者の生立ちをご紹介しました。給料引下げ作戦の「釣りエサ」に使われた理由。

旭川西高は、微妙だから、馬鹿な日本人の妄想を喚起したのです。実際、高校時代の学力は、微妙でした。
西高という、絶望的な環境で、高校二年時には、極端なボイコット。が、やはり、高校三年時には、諦めきれず。

再び、旭川市外への大学進学を、両親にお願いしました。関西か、最悪でも札幌へと。両親は、尚更逆上し、毎日叫んで暴れました。
ある時、父が、「高成績をとれば、旭川市外の大学に進学させてやる」「おう、やってみろ」と言いました。

また、良い担任教師が、励ましてくれました。高三時には、勉強し、一応進学校(三番目)の通知表で、主要9科目中6科目で「5」の成績。

父に再度、お願いしました。が、父は不気味な笑顔で「だめだ」と言い、簡単に約束を破りました。いつもの父でした。
最近、オンラインで、凄いニュースを見ました。

なんと、旭川西高の卒業生が、働きながら、「税理士試験5科目」を突破したのです爆笑ルンルン
筆者の目に入るよう、オンラインで、クローズアップされてきました。彼のプロフィールは、

旭川西高→小樽商大(中堅)→旭川信金(優良)→転職し税理士事務所(優良)→働きながら税理士試験5科目(超優良)キラキラ
優秀な人物。筆者の手柄ではないが、準ずるほど嬉しいです。

旭川西高の誇りで、希望の星。すばらしい頭脳明晰さと、タフな不屈の努力。すばらしい爆笑キラキラ
礎には、ご両親の優秀さも。旭川から、市外の小樽商大に行き一人暮らし。親の財力か、入念な計画性が必要。

当然ながら、ご両親が、子が旭川西高だからと罵倒しなかったし、いちゃもんつけて暴れなかったのです。
最後に。
もう一つ言わせてくださいニコニコ

筆者のような「特殊な生立ち」の者が、札幌の会計事務所で働けたのが、どれほど光栄だったか。
ハローワークで、税理士先生に拾われ、とても幸運でした。

入社時、挨拶をしました。「税理士事務所で働くのが、夢でした」と。それは本当です。
日商簿記2級(合格率13.9%)の後、芽ばえた夢。が、それ以上に、大きな意味が。学者の下で、働きたかったのです。

筆者は、中学生以降、物心ついてから、学者になりたかったです。各分野に興味があり、研究対象は特定しなかったが、学問研究したかったです。
それで、筆者本人は、北海道大学か、最悪でもMARCH/関関同立が志望でした。が、親子揃って、上記の不甲斐なさ。

そんな筆者が、好きな学者の下で、働かせてもらえ、光栄でした。次長は、独学突破の猛者。尊敬し、自分もそうなりたいと憧れました。

しかし、その後、筆者は、七年間も、犯罪被害に遭わされました。

そのせいで、税理士試験の一科目もとれず。犯罪被害さえ無ければ、二〜三科目とりたかったです。
在職中、FP2級の勉強した時、次長が褒めてくれました。

当時は、内心、「でも簡単な資格だし。上を目指したいショボーン」と思いました。今では、良い思い出です。
次長・所長に、感謝しております。そして、先輩Mさん、お世話になり、誠にありがとうございます。

次の記事は、給与引下げ騒ぎの、結末をご案内します。

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